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心理的群衆としての剣持リスナー——「群衆心理」による諸考察【にじさんじ】

 我々剣持リスナーは異常だ——犬山たまき対談コラボ配信を見ていると、そんな当たり前の事実に気づかされた。

 犬山たまきは同配信で「湿ったチワワのマシュマロがめちゃくちゃ来るんだよ!」と悲痛な叫び声をあげた(3:41~)。「剣持の配信を覗いたら罵詈雑言ばかりで困惑した」「募集したマシュマロでは剣持(呼び捨て)、顎、カス呼ばわりされている」とも語った(34:52~)

 そう、これが剣持刀也の配信における通常運転だ。剣持がおかしな言動をする度に、統率のとれたリスナー達は愛のこもった罵倒コメントを送る。……犬山氏にはとても申し訳ない気持ちになった。

 そんな文化の違いが浮き彫りになった対談コラボ。私が興味深いなと思ったのは「剣持が帰ったらコメント欄は平和になる」「同じ人がコメントを使い分けている」という二人の指摘だ。

犬山たまき:
でもこれ多分、剣持さん帰った途端に「たまきちゃーん!」みたいな感じになるんですよ絶対。

剣持刀也:
あー、なるかもしれない。

犬山たまき:
いなくなった途端に「今日も配信してくれてありがとう!」みたいな感じに多分なるので、みんなやっぱ使い分けですよね。

剣持刀也:
なるほど。同じ人かもしれませんしね。やっぱ場所によってね、空気を変えてるのかもしれない。

犬山たまき:
多分普段僕の配信見てて、優しいコメント打ってくれてる人も多分ね、剣持さんの所だと「謝れアゴ」とか多分書いてるんですよ。
【剣持刀也】ロリコンを享受しろ!?天下無双のマシュマロ王?#剣たま​ 対談バトル!!【犬山たまき】 37:02~

 実際その通りだ。私は他の配信では「かわいい」「たすかる」「草」とコメントする。間違っても「は?」「黙れカス」「ボイス出せ」とは書き込まない。……卯月コウの配信では似たようなコメントをしてしまうが。

 なぜ剣持リスナーはこんなにも統率がとれているのか? なぜ私は剣持刀也の配信の時だけ、別人のようにコメントをしてしまうのか?

 私はこの疑問に対して、ギュスターヴ・ル・ボン著「群衆心理」を元に仮説を立てた。剣持リスナーは、以下に挙げる①〜④の手順を経て、心理的群衆(ひとつの集団精神で組織された群衆)を形成しているのである。

①意識的個性の消滅(メンバーシップ、ファンネーム、スパチャの非重視)
②剣持刀也による刺激・暗示(プロレス芸)
③過激な反応(「は?」「黙れカス」「ボイス出せ」)
④急速な精神的感染

 本記事では、「群衆心理」と私の体験談を踏まえて①〜④について詳述することで、剣持刀也の配信に関する諸考察をまとめる。私は心理学を専攻した人間ではなく、挙げる事例も体験談ベースであるため、本記事は不正確な内容を含んでいると思われる。あくまでも備忘録ということで、より正確な考察は有識者にお任せします。


①意識的個性の消滅(メンバーシップ、ファンネーム、スパチャの非重視

リスナーに色を付けたくないという理由からメンバーシップは無い。ファンネームやスパチャ読みも無い。
剣持刀也 にじさんじ非公式wiki  2021/2/14現在

 剣持の配信にはメンバーシップがない。ファンネームについてはリアルソロイベント「虚空集会」で虚空教徒という呼称が生まれたが、表立って使われているものではない。リスナーによるスパチャ芸はあったが、巷でよくある「個人が高額スパチャで殴る」ではなく、「集団が低額スパチャでコメント欄を埋め尽くす」というものであり、個人名は重要ではなかった。

 剣持と同じくメンバーシップを開設していないライバーとして、月ノ美兎が挙げられる。月ノ氏は「漫画動画つくる」の配信にて、メンバーシップを開設しない理由をこう語っていた。

まあ簡単に言うと、自分の中でこう……無意識下でリスナーを差別するような気がしてちょっと怖いんですよね。これは別に私個人の感性だからアレなんだけど。
【セルフぷちさんじ】漫画動画つくる【にじさんじ/月ノ美兎】 2:23:27~

 以降の発言を要約すると、「たとえば、私への好きが高じてやべーコメントを連投しちゃう人がいたとする。その人がメンバーだと私はブロックできない。それは、メンバーがついてる視聴者とついてない視聴者を無意識下で差別しているといえる。(だからメンバーシップを開設しない方が)自分の気持ち的には楽。これはあくまで自分の感性・性格の問題」となる。

 私は某ライバーのメンバーシップに入っていたことがあるので、この感覚は理解できる。私はライバーに利益を還元したいという動機でメンバーになったが、実際にやってみると優越感が私の中に生まれた。一般リスナーは挨拶をテキストで打ち込むが、私はメンバー達と一緒にスタンプで挨拶できる。メンバー期間が増えるごとにバッジが豪華になるのは特別感があって嬉しい。また、中には「お、今日はこの人いるのか。Twitterのアカウントを見た限りでは社畜らしいな……お疲れ様です……」「この人いつもスパチャ投げてるなあ」と親近感を覚えるメンバーがいた。

 しかし、剣持の配信にはメンバーシップがない。ファンネームやスパチャも重視されていない。リスナーに色が付いていない状態だ。舞元啓介とジョー・力一が隔週放送している深夜ラジオ風配信「舞元力一」には名物リスナーが存在する。しかし、剣持の配信で主に取り上げられるのはマシュマロ、すなわち匿名化されたメッセージである。

 このように、剣持の配信を見るリスナー個人個人は意識的個性が消滅し、誰もが「群衆の中の一人」として同質化される。こう言い換えてもよいだろう、「剣持刀也の配信には指定席や優待席がない。自由席だけがある」。みんな一般乗客だ。社会人だろうが学生だろうが関係なく、全員が等しい存在になる。

 ここまでの段階だけを見ると、剣持リスナーは没個性的な個人の寄せ集めに過ぎない。では、あの強烈なコメント欄はどのような過程を経て形成されているのか。配信待機画面を例に見ていこう。


②剣持刀也による暗示・刺激(プロレス芸)

 剣持は待機画面でもリスナーに芸を仕掛ける。代表的なものとして、以下の3つが挙げられる。

・遅刻

・生首サムネ

・小ネタ(「待 て。」の画面で、作業中の独り言をわざとマイクに吹き込むなど)

 剣持はこれらの芸によって、リスナー達に対して2つの操作を行なっている。

1. リスナー達に刺激を与えて暗示にかける(無意識に特定の観念を与える)

 「群衆心理」では、群衆の被暗示性が説かれている。リスナー達は①によって意識的個性が消滅しているが、この状態だと暗示にかかりやすいのだという。

個人はその意識的個性を失うと、それを失わせた実験者のあらゆる暗示に従って、その性格や習慣に全く反する行為をも行うような状態におかれることがある、ということを今日われわれは知っている。[……]被術者は、脳の作用が麻痺させられてしまうので、無意識的活動の奴隷となり、これを催眠術師が意のままにあやつるのである。意識的個性が消えうせて、意志や弁別力がなくなってしまう。そのとき感情も思考も、催眠術師の決定する方向へ向けられるのである。
 群衆の一員となる個人の状態も、ほぼこれに似ている。この個人は、もう自分の行為を意識しなくなる。催眠術をかけられた者と同様に、彼においてもある機能はうち砕かれるが、他の機能は、極度の昂奮状態へ高められることがある。ある暗示を受けると、それにかられて、抑えがたい性急さである種の行為を遂行しようとする。この性急さは、群衆にあっては、催眠術をかけられた者の場合よりもいっそう抑えがたいものである。なぜならば、暗示があらゆる個人にとって同一のものであるだけに、たがいに作用し合って、ますます強烈になるからである。
「群衆心理」p.34-35 ギュスターヴ・ル・ボン 櫻井成夫訳

 催眠術師とは、まさに剣持のことだ。剣持は待機画面の芸によってリスナー達に刺激を与えて「ほら、剣持刀也という男がこんなにおかしなことをしていますよ。あなた達を煽るようなことをしていますよ。付け入る隙がありますよ。あなた達はやり返すべきですよ」と無意識に働きかけることで、すぐさま行動を起こさせるのである。

群衆に暗示を与え得る刺戟は、多種多様であり、しかも、群衆は常にそれに従うのであるから、その気分は、極度に動揺しやすいのである。群衆は、一瞬のうちに残忍極まる凶暴さから、全く申し分のない英雄的行為や寛大さに走る。
「群衆心理」p.42 ギュスターヴ・ル・ボン 櫻井成夫訳

2.リスナー達に過激な反応をさせる

 作業中の独り言が聞こえたとき、剣持リスナーの反応は「かわいい」「あざとい」「オフ感たすかる」などと生易しいものではない。「は?」「黙れカス」「遅刻しておいてなんだその態度は」である。これは日頃のプロレス芸によって仕組まれたものだ。剣持はリスナー達の感情に強く訴えかける。群衆は理性ではなく感情で動くことを、彼は配信者として熟知しているのだろう。

群衆の心を動かす術を心得ている弁士は、その感情に訴えるのであって、決して理性に訴えはしないのである。合理的な論理の法則は、群衆には何の作用をも及ぼさない。群衆を説得するのに必要なのは、まず、群衆を活気づけている感情の何であるかを理解して、自分もその感情を共にしているふうを装い、ついで、幼稚な連想によって、暗示に富んだある種の想像をかき立てて、その感情に変更を加えようと試みること、必要に応じてあともどりもし、特に、新たに生れる感情をたえず見ぬくことである。
「群衆心理」p.144 ギュスターヴ・ル・ボン 櫻井成夫訳

 剣持はリスナー達と同じ土俵で戦い、彼らの感情を巧みに掻き立てる。リスナー達が嬉々として作り上げた「僕プリン!」という新たな煽りテンプレを見逃さず、これをNGワードに設定して抑えつけることで彼らを煽動し、反発させる。


③刺激に対する過激な反応(「は?」「黙れカス」「ボイス出せ」)

 こうして、剣持の暗示にかけられたリスナーは過激な反応を見せる。テンプレは「は?」「黙れカス」「ボイス出せ」。その他、あらゆる語彙を用いて剣持と殴り合う。

 「群衆心理」の第二章「群衆の感情と徳性」によれば、群衆には「感情が誇張的で、単純であること」という特性がある。そして、その一因として責任観念の欠如が挙げられている。

群衆の現わす感情は、よかれ悪しかれ、極めて単純でしかも極めて誇張的であるという、二重の性質を示す。
[……]群衆の強烈な感情は、特に、異なった分子から成る異質の群衆において、責任観念を欠いているために、さらに極端となる。罰をまぬかれるという確信、群衆が多人数になればなるほど強まるこの確信、また多数のために生ずる一時的ではあるが強大な力の観念、それらが、単独の個人にはあり得ない行為をも、集団には可能ならしめるのである。
「群衆心理」p.60-61 ギュスターヴ・ル・ボン 櫻井成夫訳

 ここで、黛灰の「敗北した途端治安が地獄のように悪くなるAPEX放送」という配信におけるリスナー達の反応を取り上げたい。この配信は読んで字の如く、黛氏が試合に敗北した途端、コメント欄がスラム街と化すネタ配信だ。

 アーカイブのコメント欄では、「荒らしがどれほど疲れる行為なのか実感できた」という感じのコメントが並んでいる。

荒らしってこんなにメンタルすり減らしてやってるんやな
おれには到底出来ないと感じたよ
- 10さんのコメント

手が震え、寒気がするのに手汗が止まりませんでしたが終始楽しかったです
配信は配信者だけでなくリスナーと協力して作り上げていくものなんだなぁと思いました
- ふぐのさしみさんのコメント

連投コメ迷惑じゃねえかな……とかチキンがヒヤヒヤしながら荒らしてた。尖った企画ありがとう。
温度差でビビらせる為に次は黛をボロカスに指示厨やら荒らしやらした後に負けたら甘やかしたくなっちゃった。変な扉開いたわ。
- れいん-れいん-さんのコメント
【負けたらスラムAPEX】敗北した途端治安が地獄のように悪くなるAPEX放送 【黛 灰 / にじさんじ】 動画コメント欄(2021/2/12現在)

 たとえネタでも、荒らしコメントを書き込むのは憚られる。しかし「敗北した途端治安が地獄のように悪くなる」と御膳立てされ、さらにリスナー達が協力し合っていることで、罪悪感や責任感が薄れ、荒らしコメントを書き込みやすい環境になった。そんな心理状況を垣間見ることができる。

 剣持の配信でも、これと同じ現象が起きていると考えられる。私は他のVtuberの配信では「黙れカス」とコメントしない。しかし、剣持の配信では安心してプロレスできる環境が御膳立てされているし、リスナー達が一心同体になっているから後に続きやすい。このような心理が無意識に生じることで、過激なコメントを容易に書くことができるようになっているのだ。

 余談だが、「群衆の現わす感情は、よかれ悪しかれ、極めて単純でしかも極めて誇張的である」という記述は興味深い。待機画面以外だと「愛してるぞ剣持」というコメントをたまに見かけるが、これは「黙れカス」とは正反対のベクトルを持つ誇張的かつ単純なコメントだ。極端な愛情表現のテンプレを書き込みやすいのもまた、群衆に属するがゆえに生まれる心理状況なのかもしれない。


④急速な精神的感染

 「群衆においては、どんな感情もどんな行為も感染しやすい」(p.33)。そしてこの精神的感染は、感情が単純・誇張的であるがゆえに、より広がりやすくなる。

感情は、暗示と感染とによって非常に早く伝播し、それが一般の賛成を得ると、著しくその力を増大するのであるが、群衆における感情の誇張は、この事実によっていよいよ強められる。
 群衆の感情が単純で、誇張的であることが、群衆に疑惑や不確実の念を抱かせないのである。それは、ただちに極端から極端へ走る。疑いも口に出されると、それが、たちまち異論の余地ない明白な事実に化してしまうのである。反感や不服の念がきざしても、単独の個人の場合ならばさして強くはならないであろうが、群衆中の個人にあっては、それは、たちまちはげしい憎悪となるのである。
「群衆心理」p.60-61 ギュスターヴ・ル・ボン 櫻井成夫訳

精神的感染

 有無を言わせない断定的な口調は、他者に考える暇を与えず、次から次へと極端な言動に走らせる。あえて詳しい言及はしないが、にじさんじライバーに関する炎上事件を例に考えれば分かりやすいだろう。こうして精神的感染が広がり、コメント欄は堰を切ったように「は?」で埋め尽くされるのである。

 ここまで例として挙げた待機画面の出来事は、指導者がたよる三つの手段、断言・反復・感染に見事に当てはまっている。

指導者たちは、主として、次の三つの手段にたよる。すなわち、断言と反復と感染である。これらの作用は、かなり緩慢ではあるが、その効果には、永続性がある。
「群衆心理」p.160 ギュスターヴ・ル・ボン 櫻井成夫訳

 剣持は待機画面の遅刻・生首サムネ・小ネタをはっきり分かる形(断言)で毎配信反復し、それを見たリスナー達も「は?」「黙れカス」「ボイス出せ」と反復する。急速な精神的感染が繰り返される。これにより、「剣持と殴り合う」という剣持リスナーの固定観念は永続的なものになる。

一時的な意見は、群衆の精神に容易に植えつけられるが、永続性のある信念を群衆の精神に固定させるのは、非常に困難であるし、いったんこの信念が確立されると、それを打破するのもまた、非常に困難である。
「群衆心理」p.186 ギュスターヴ・ル・ボン 櫻井成夫訳

 私は昨年頃から剣持の配信を追い始めた。その時にはすでにコメント欄がこ ん な 状 態 になっていたわけだが、この状態に至るには一朝一夕では足りない、それこそ年単位の期間を要したであろうことがうかがえる。「10分間で分かる剣持刀也②」を見ると、当時のコメント欄は現在に比べるとかなり平和であることが分かる。剣持の配信は一日にして成らず。あの頃に戻ることは非常に困難だろう。


まとめ、最後に

 以上、①〜④の手順を経て、剣持リスナーという心理的群衆が形成される。①個人の意識的個性が消滅しているこの群衆は、②被暗示性によって感情や観念が「剣持と殴り合う」という同一方向に指向しており、③それを誇張的かつ単純なコメントですぐさま実行に移す。④その過激な言動が群衆全体に急速な精神的感染をもたらす。

心理的群衆の示す最もきわだった事実は、次のようなことである。すなわち、それを構成する個人の如何を問わず、その生活様式、職業、性格あるいは知力の類似や相違を問わず、単にその個人が群衆になり変わったという事実だけで、その個人に一種の集団精神が与えられるようになる。この精神のために、その個人の感じ方、考え方、行動の仕方が、各自孤立しているときの感じ方、考え方、行動の仕方とは全く異なってくるのである。
「群衆心理」p.29 ギュスターヴ・ル・ボン 櫻井成夫訳

 私は他のVtuberの配信では「かわいい」「たすかる」「草」とコメントするが、剣持リスナーに属することで①〜④のプロセスが無意識下で作用し、かつ責任観念が欠如することで「は?」「黙れカス」「ボイス出せ」とコメントすることができるようになるのである。

剣持リスナーと群衆心理

 「群衆心理」では、群衆中の個人の主要な特性として、意識的個性の消滅・無意識的個性の優勢・暗示と感染とによる感情や観念の同一方向への転換・暗示された観念をただちに行為に移そうとする傾向が、またその原因として、不可抗的な力を感じること・精神的感染・被暗示性が挙げられている(p.32-35)。本記事を踏まえた上で剣持の配信を視聴すれば、その意味をすぐに体感できることだろう。同書では他にも剣持の配信を彷彿とさせる記述が数あるが、これ以上取り上げると蛇足になりそうなので本記事はここまでとする。気になった方はぜひとも同書を手に取ってみてほしい。最後に、私が感じたことを述べて締めとする。

 この仮説に辿り着いた時、私が感じたのは「剣持の手のひらで踊らされている安心感」だった。剣持リスナーは「剣持と殴り合う」という同一方向に指向しており、その攻撃性が他所に向かうことはない(とは言い切れないが……)。彼らは見境のない暴徒集団ではないのだ。剣持の巧みな話術に負けじと、手を変え品を変え配信を彩る。プロレス芸に乗っかるのは愛情の裏返しであり、ある種の信頼関係の上に成立しているように私は感じられる。だから私は気兼ねなく配信を楽しむことができる。あの一体感がもたらす高揚感と感動に身を委ねることができる。

 ジェットコースターにはスリルがあるが、それは器具による身体の固定や身長制限など、安全保障が行われているからだ。この安全保障があるからこそ、乗客は気兼ねなくスリルを味わうことができる。死亡する危険性があるなら、恐怖ばかりで楽しむどころではない。剣持の配信はこの構造に近い。リスナー達は無意識のうちに、剣持の手によって巧みに管理されているのである。

 剣持刀也の配信は、一種のアトラクションである。そんなことを思った。

<2021/2/14追記>

 「他の配信でロリが出てきただけで、すぐに剣持の名前を出さないでほしい。双方に迷惑がかかる」「『ボイス出せ』『配信しろ』とは言うけど、剣持のペースで活動してくれればそれでいいよ」という意見をちらほら見かける。私も同意見だ。我々がやるのはあくまで"プロレス芸"であり、マジの誹謗中傷になったり、他所に迷惑をかけることがあってはならない。その常識だけはちゃんと胸に留めておきたい。

 殴るなら時と場合を考えて、愛を込めて殴ろうな!(誤解を生む表現)

<2021/3/31追記>
 本記事に関するちょこっとした反省文を書きました。自分語り記事ですが、よければこちらもあわせてお読みください。



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