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それでも剣持は踊っている——客観的視点と能動的な愚鈍化【にじさんじ】

 剣持刀也といえば、毒舌・辛辣なツッコミ・軽快なトークを駆使してクソマロを捌く姿が有名だ。ファンによる切り抜き動画がいくつも作成されている。私が剣持の配信を見始めたのは、リスナーから送られてくる誕生日お祝い画像と殴り合う切り抜き動画を見たことがきっかけだった。

 しかし、剣持は世の中を小馬鹿にする芸風だけで活動しているわけではない。マリカにじさんじ杯主催やリアルソロイベント虚空集会の裏話では、真摯かつ意欲的な態度を垣間見ることができる。

僕はどっちかって言うと、運営(をしたい方)の意志が強くて。うん。だから練習する暇があったら、二つ名ひとつ、前口上ひとつでも考えたいみたいな感じはなくはなかったんですけど、ちょっと今の戦いを経てね、「勝ちたいな」って思いましたね。うん。
【第3回マリカにじさんじ杯 決勝】剣持視点【最終決戦】 28:06~

 表面上はシニカル(冷笑的)な態度を見せるが、彼の奥底には確かな信念が宿っている。私は偏屈な逆張りオタクなので、世間の流行を斜に構えて見たり、鼻で笑ったりするだけで終わってしまいがちだが、剣持はその一歩先にいる。すなわち、剣持刀也は世の中をシニカルな視点で観察しているが、その態度に固執せず、自分が面白いと思えるものを能動的に生み出そうとする胆力を秘めている。私は彼にそんな魅力を感じた。

 本記事では私が感じた剣持の魅力を、配信上における彼の発言と、私なりの考察を交えて言語化してみる。この記事を読めば、あなたは剣持刀也という男の捉え方が大きく変わる……かもしれない。


高度な分析力・客観的視点

 「みんなで作ろう剣持刀也」において、剣持は「最近幸せだなあと感じる。それはなぜだろうか」という疑問を語った。……かなりふわっとした疑問だ。そして、彼が最初に提示した回答もまた「料理がおいしいから」というふわっとしたものだった。

 しかし、彼の疑問の追究はそこで終わらなかった。幸せだと感じるのは料理がおいしいからだ→料理がおいしいのは、ふるさと納税で届いた大好物の牡蠣を食べているからだ→料理がおいしく感じられるのは、味蕾(味を感じる器官)の新陳代謝を促す亜鉛が牡蠣に多く含まれているからだ——と、疑問を徹底的に掘り下げることで結論を導き出したのである。

これゴールしたんですよ。僕は「なんか幸せだなー」ってふんわり感じたのを、言語化しようと理由を探って、最終的にゴールしたんです。これ牡蠣が一周回って、味覚を向上させて、おいしく感じさせて、人生を幸せにしてたっていうことなんですよ。
「みんなで作ろう剣持刀也」25:47~

 最終的には「だから皆さんもケンモチ社から出ている牡蠣王というサプリを飲みましょう!」とオチをつけるが、一連の言動から剣持が高度な分析力を持っていることが分かる。彼は「なぜ?」と疑問に思ったことを徹底的に掘り下げることで、物事の本質を深く理解する能力がある。豊富な語彙から繰り出されるクソマロ捌きや、多種多様なマリカにじさんじ杯の前口上は、高度な分析力の成せる技なのだ。

 そして、その高度な分析力は、自分自身にも向けられている。夕陽リリの誕生日逆凸配信にて、剣持はロリコン芸をこんな風に語っていた。

夕陽リリ:
なんか最近……あのー、ロリ好きの芸風に磨きがかかってません?

剣持刀也:
うーん……いや、こういうのはなんていうんですかね。一回表に出すと、まあなんていうんですかね。本当に客観的な話をしますと、他の人間とかとコラボとか言及するにあたって、そういう浅い部分って広いやすいじゃないですか。だから、ラジオのパーソナリティをやった時に拾われたり、初回ゲスト……というか初めてコラボしたときに拾わたりみたいな感じで、特にマリカコラボとかで浅い感じで、なんだろうな……マウントじゃないですけど、プロレスみたいなことやると、そこで向こうが突っかかってくるみたいな、その交流により、それが浮き彫りになっただけですね。

夕陽リリ:
……なるほど。

剣持刀也:
うん、まあ、すごい……ロリコンであることに対してこんな客観的でいるのもどうかと思うんですけど……w
「【逆凸】なるほど、BIRTHDAYじゃねえの【夕陽リリ/にじさんじ】」2:41:23~

 彼のロリコンはネタではなく"ガチ"だが、ロリコンという分かりやすい属性があることで会話を広げやすくなっている、ということを剣持本人ははっきりと認識している。実際、だいさんじらじおの剣持xニュイ回では、あまり接点のなかった二人だが、ロリトークで話を膨らませている場面がある。

 ロリコンであることに対して客観的でいる——先に挙げた「みんなで作ろう剣持刀也」においても「僕はメンタルが強いから弱みが生まれず、ドラマを作りづらい」と語っている。このように、剣持は自分のことを客観的な視点で考える能力を持っているのである。

 「就活では自己分析が重要」なんて言われたりする。自分のやりたいことや自分の市場価値を明確に理解した上で、自分の強みをアピールできるか・客観的根拠を持たせることができるかが重要だ。剣持もまた、自己分析を経た上で自分の強みを売り出すこと(セルフプロデュース)で、にじさんじライバーとして最前線で活躍しているのである。

<2021/2/10追記>
 犬山たまきとの対談コラボにて、自分の活動では「道楽の域を越えないこと」「俯瞰した立ち位置でいること」を大事していると語っていました。ここからも、客観的視点を大事にしていることが分かりますね。

剣持刀也:
2018年に僕めちゃめちゃにじさんじとか、まあVtuberに本当にハマって、まあやるも見るも超そこに費やしてたんですよ。で、そうなった結果、2019年に、中学で一緒で引っ越しちゃった子が久々に会って、で、話そうってなった時にマジでVしかやってなかったしVしか見てなかったから、全く話せんくて。これ人間としてペラペラになるなと思って。
そうだからちょっと、スタンスとしてやっぱ一歩引いたじゃないですけど、俯瞰した立ち位置であることは絶対変わんないだろうなっていう感じですね。

犬山たまき:
そっか、Vtuberが好きすぎて夢中になりすぎないように気をつけてるっていう感じもあるんですかね。

剣持刀也:
んー……まあそうですね。そこに線引きというか、まあ仕事っていうか、それで生きないっていうことですね。だって、それで生きたら媚びることに最終的になるから。僕は媚びたくないから。

犬山たまき:
そっか、媚びないっていうのをスローガンに掲げてますからw そんなに媚びること悪いことか分かんねえけどw
【剣持刀也】ロリコンを享受しろ!?天下無双のマシュマロ王?#剣たま​ 対談バトル!!【犬山たまき】 1:05:43~


「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」

 話は変わるが、2021年2月1日、剣持は「第2回剣持刀也オフ会」を開催した。彼の元に集った虚空教徒達は暴徒化し、街を混沌に陥れた。逆走、ひき逃げ、ミサイル兵器の使用——彼らの過激な破壊活動は留まることを知らず、やがて遊園地のジェットコースターを占拠した。彼らを乗せたジェットコースターが発進し、ゆっくりと上昇していく。間もなく始まる急降下の高揚感を味わうために、教徒達は両腕を空にまっすぐ伸ばす。やがてレールの頂点に辿り着いた時、車両の先頭に乗る剣持は教徒達を導くように笑顔でこう語った——

「同じ阿呆なら踊らにゃ損々ということで、僕も手を挙げておきましょう」

 剣持に導かれた虚空教徒達を乗せたまま、ジェットコースターは急降下を始めた……

 ——こうして書くと、まるで世紀の大犯罪者が残した名言だが……(もちろん、オンラインゲーム上での出来事なので、あくまでもネタである)。実際、私は「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という台詞がとても印象に残った。元ネタは阿波踊りの「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」というフレーズだ。

 私の記憶が正しければ、剣持は以前も「同じ阿呆なら踊らにゃ損々って言いますからね」という感じで、このフレーズを使っていた(どの配信かは覚えていません。分かる方はコメントで教えていただければ幸いです)。繰り返し使うということは、剣持にとってそれだけ印象に残った言葉なのだろう。

 ここからはかなり個人的な解釈になるが——祭りの熱気に受動的に浮かされるのではなく、かといって祭りを斜に構えて見るわけでもない。どちらの立場も阿呆だと客観視した上で、踊る阿呆を能動的に選択する(あえて愚鈍になる)この姿勢は剣持らしいと私は思うのだ。

 乱暴な言い方になってしまうが、一歩引いて客観的に見れば、虚空教もロリコンも本来は阿呆らしいものだ。私は彼のファンだから、虚空教に関する書き起こし・考察記事を書いたが、全く知らない人が虚空教のスピーチを見たら「なーに言ってんだこいつ」と思われてもしょうがない。剣持に限らず、誰かが楽しいと思って取り組んでいること、誰かが一生懸命取り組んでいることは、他人からは阿呆だと思われる可能性を孕んでいる。「何が楽しいのそれ?」「何か意味あるの?」「なんか必死こいて頑張ってて草」と。にじさんじというコンテンツも、知らない人から見れば阿呆らしいものとして映るかもしれない。私も多かれ少なかれ、そういう偏見を抱きながら生きている。

 しかし、誰かに阿呆だと思われるかもしれないと萎縮したり、あるいは、何事も阿呆だと決めつけて不平不満を言うのは寂しい、勿体ないことだ。踊る阿呆を馬鹿馬鹿しいと思いながら見る者——世間を小馬鹿にしてカッコつける中二病患者(私)もまた、一歩引いて見れば阿呆なのだから。

 剣持は自ら進んで道化になる場面が多々ある。どの配信でもリスナーから「は?」と辛辣なコメントが飛んでくる。しかし、剣持が阿呆なら、彼の言動をマジにしてコメントしている我々リスナーも阿呆だ。我々は所詮、剣持の手のひらで踊らされている阿呆に過ぎない。だったら、楽しむ阿呆でなければ損だ

 剣持刀也は踊り続ける。彼は客観的思考力に優れながらも、斜に構えるだけではなく、あえて道化になることがある。鋭い観察眼で思いついた面白いものを恐れずに創造していく。だから彼の配信は面白いし、時にはマリカにじさんじ杯や虚空集会のような大きな感動を与えてくれる。そんな彼の姿を見ていると、「人生は悟りきってしまうよりも、時には愚鈍になった方が面白い」と私は思えるのだ。

踊る剣持

 そんなこんなを一枚の画像で端的に表現しようとしたらこうなったのだが……どうしてこうなった。推しの魅力を語るために「カス」なんて言葉を使うことがあるか?(画像は大鷹さんのBB素材を利用しました)

 本記事は以上です。剣持刀也という男は底が見えない。だからこそ、彼の人となりをこれからも研究し続けていきたいですね。


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