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3.11~僕は風に吹かれていた~東日本大震災当日の手記~
14時46分・・僕は4分前の14時42分に家を出て、最寄の駅に向かって歩いてた。
その途中に地震があったらしいけど、揺れは全く感じなかった。
駅に着いたら何やら地震があったということで多少ざわついていたけど、駅員に「また電車遅れてるんですか?」って聞くと「いや、遅れてるとかいうことではない」と言うんで、じゃあもうすぐ電車くるんだろうなと待ってたらいつまでたってもこなくって、放送で「点検にしばらく時間がかかる、券売機も販売中止」と何度も流れたのだが、いままでもこうゆうことがありながら30分くらい待てば再開するもんだと思ってただジッとホームのイスに座っていつ来るかもわからない電車を待っていた。
15時15分頃にホーム全体が地響きの如くドドドと揺れたのを感じたが、点検作業の一環だと思っていた。
隣に座っている見知らぬ美少女は黙々と携帯メールを打ちながらもその場を離れない。でも僕はしびれを切らしてホームをうろうろ歩き始めた。
結局駅のホームで一時間近く待ったと思う。
さすがにもう待てない、仕事行くの辞めた!と意を決して家に引き返した。
西友が「地震の為閉店します」と張り紙してあったので、思ったよりも深刻なのかもと思い始めたが、それでもまだ僕はこの時点で何も解っていなかった。
家に着いてドアを開けると玄関先で嫁が赤子を抱えて非難する準備をしていた。
僕に電話を50回くらいしたと言うが、一切着信されていなかった。
メールも送ったというが届いていない。
あとで新着受信をしたら入ってた。
こんなときに使えない携帯って意味ねーなと思った。
電話が届いてたらすぐに引き返して、一時間も駅で無駄に待たずに済んだのに。
もっと言えば駅員がホームに残って待ってる人に「いくら待ってても無駄ですよ」って言ってくれればよかったのに!と苛立ちが湧いてきたが、テレビのニュースを見て、それどころじゃないことをようやく知る。
嫁も赤子を抱えて相当怖い思いをしたらしい。
僕は地震の揺れを体感しなかったのでかなり幸運だったんだと思い始める。
が、どうせなら体感したかったと不謹慎ながらも思ってしまったりもする。
うちは電気もガスも大丈夫だったけど、すぐに非難する準備だけはした。
が、何を持っていけばいいか考えた末、結局財布に全財産と銀行のカードと、携帯とI-Podとポケットティッシュと目薬と鼻炎スプレーくらいしか持つ物がない。
僕は基本いつでも手ぶら主義なのだが、こんな時でさえカバンに物を詰める気にはならないようだ。
部屋に私物はたくさん転がってるのだが、最終的に持ってかなきゃならない物なんて何もないんだと改めて気付く。
手ぶらでないと家族を守れないからね(笑)。
結局外に非難することはなかったけど、その日は嫁は眠れずにテレビにかじりついていた。
僕はというといつもは明け方まで起きてるくせに、夜中のうちにテレビも消して爆睡モードに入った。
アニメもやらないこんな日は寝るに限る。
日本中が大パニックだと思うほどにどうでもよくなってくる。
みんなそろって日本沈没するのも悪くないなんて思うのは、被災地じゃないからなのかもしれないが、こんな時でさえもあまり「生きたい!」と願えない自分に気付く。
むしろ全部滅びちゃえと中二な発想が浮かぶが口に出すことは控えた。
こんな理不尽な自然災害を前にするとますます全てが「運」で決まると確信する。
津波に流された人達は、日ごろの鍛練を怠ってたわけでもないし、普段の行いが悪かったからなわけでもない。
ただ、運が悪かっただけだ。
もうやりきれないし、こんなとき人は無力だと痛感する。
どんなに体を鍛えたってしょうがない。
どんなにサバイバルの知識を蓄えていても、一瞬の津波に飲み込まれてしまったらどうしようもない。
必死になって勉強して、高給な仕事にありついても、不慮の事故で突然死ぬかもしれないと思うと、資格を取るための勉強をする気にもなれない。
やっぱり人はいつ死ぬかわからないのだから日々大切に生きようというのだけは真理だ。
どうにもならないこの不安定な島国で、生き延びる術など何も持ち合わせてはいないのだから。
無力な自分に何が出来るか問いかける。
憂う事しか出来ないみたいだ。
テレビに映る残酷な街並みがため息を誘う。
やっぱり神様はいないみたいだ。
そして遅かれ早かれ人はみんな死ぬ。
真実におののく愚民共よ、目を覚ませ。
2011年03月12日記述
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