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再び「がん相談支援センター」に相談しましたー後編(ふりかえり卵巣がん日記 #54)

さてさて、がん相談支援センターのソーシャルワーカー、Cさんとの対話もそろそろしめくくり。前回は副作用への対処法のひとつとして「同じ病気の方からの情報を参考にしてもいいかも」いう提案がありました。

続けて
Cさんは「(あまり身構えずに)副作用は〈出た時に考える〉でもいいかもしれませんし。しびれも...しびれがあるときだからこそ、描けるイラストもあるかもしません」

私    「おぉー!すばらしい!」

Cさん 「新しいものをつくる時は今の状況を壊してからとか、昔の方々がよく言ってたりますよね。そんな考え方もあるのかな、って。」

私    「たしかに!」

Cさん 「うずらさんは、今は技術を生かしてやってらっしゃると思うけど、絵っていろんなことができますよね。ご高齢の方がエクセルで絵を描いていたりとか、ペイントソフトを使って手で描いてる方とか。芸術のジャンルって広いなぁ、って思うので。デザイナーの方で『この状況だから見えてきたデザインがある』って。『入院中にポコッと浮んできたアイデアを形にしてみた』っていう人もいらしたので。」

Cさん、何と素敵な。何かの制約があるからこそ、出来ることもある...確かに。そうやってプラスに転換できたら怖いものなしです。そして、こんなふうに仕事の領域に言及してくれたことにも感激しました。私だったら、つい「門外漢の私がここまで言っていいものか...」とためらってしまいそうだけど、この時はCさんが親身に考えてくれているように感じられて、すごく嬉しかったです。

私  「視野を狭くして縮こまらないで、できることを楽しんでやればいいんですよね。副作用出ても、それが私ですもんね。」

Cさん 「それも期間限定です(にっこり)。」

もう、このあたりで完全に目の前が明るくなりました。「期間限定です」にも励まされました。ずっと続くわけじゃない、終わりが見えていることだし。

最後におまけのようにCさんは
「たぶん、うずらさんは思考レベルで整理して気持ちを置いてきたんだと思うんですよ...。『決めた!』ってなった時は、仕事のように思考レベルで決断して自信もあったと思うんですが、『さぁ、いざ』ってなった時に、気持ちがついてこないってことは当然あると思うんです。頭では分かってるんだけど、気持ちがついてこない。そういう自分を置いてきたんだな、そんな気持ちもあったんだな...って」

この、半分独り言のようなCさんの言葉が、ものすごく腑に落ちました。「気持ちを置いてきた」...そうか、なるほど!

たしかに、私は自分の感情をじっくり見つめる、味わうということをずっとおざなりにしてきました。辛いことがあってもフタをして日常をキープするほうを優先する、悔しいことがあっても直視せずにやりすごす...そういうのが当たり前になっていたし、もしかしたら、感情そのものの存在すら忘れていたかもしれません。その結果「自分が今、何を感じてるか?」も、ヘタしたら分らない...という状態が定着しちゃってる。


これはかなりショックな気づきでした。そしてコレすなわち...またも「がん先生からの宿題」ってことになりますね。「これからは自分の気持ちを、もうちょっと丁寧に扱ってあげてね」ってことかな。ん〜、今回はこれが問題の肝でしたね。ここに気づけたのもこの対話あってこそ。

そして最後に
Cさん   「でも、思考ではしっかり考えて決めたんだと思います」
私    「じゃあ、それを信じてやっていけばいいんですね」
Cさん   「うん!大丈夫ですよ、応援しています!」
力強く肯定してくれて、面談は終わりました。

今回もまた、Cさんに助けてもらいました。いや、助けてもらったという言葉では足りないくらい。落ち込みのどん底から30分やそこらで、晴れ渡った青空のような気持ちになれたんですから。すごいです。

すっかり明るい気持ちを取り戻し、面談後の雑談タイムでは自分のホームページを「ホラホラ」とCさんに見せ、今度は仕事をほめてもらって悦に入る私...相変わらずのお調子乗りですね、スミマセン。「今泣いたカラスがもう笑った」ですよ。こうやって思い返しても、最初から最後まで感謝の気持ちでいっぱいです。

軽い足取りで支援センターを出て、そこからはもう、迷うことなく一気に抗がん剤治療に向けて準備を進めました。で、長年続けていたあれもこれも休んだり辞めたりすることとなります。それも嬉々として迎え入れる、そんな話はまた次回に。 (つづく)

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