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長篠の戦い解説1

教えて静織さん!なぜ、何?Q&A!
マジレス一刀両断🔥のコーナー🎉

作っていて途中で気づいたのですが長くなってしまいました😭ごめんなさい‼️

Q 日本の馬はポニーで足が遅かったって本当?A ポニーの範囲が広いので、小型で足の短い木曽馬と仮定し、質問者様の思う馬をサラブレッドと仮定しご説明いたします。確かに木曽馬はサラブレッドより足が遅く体格も小さいです。
 しかし、山地等の斜面、森林、湿地が多い日本の地形では、速さを求めるよりも、遅くともしっかり走る木曽馬の方が好まれたことも知っておかなければなりません。
 正直この地形的な状況ですと木曽馬の方がサラブレッドより速い可能性もあります。サラブレッドの足と蹄は非常に繊細で日本の地形においては走れない、走っても体を壊してしまう可能性が十分にあると考えられます。
 さらに加えますと、馬の役目として荷馬がございます。サラブレッドにこの地形+荷馬をさせたら間違いなくもたないでしょう。
 体格や速いか遅いかではなく、その地形に適しているかどうかで考えたほうが良いと思います。
 スポーツカー、スポーツタイヤでオフロード走るのと、オフロードカー、オフロードタイヤでオフロード走るのどっちが速い?と考えると分かりやすいかもしれません。
 なので木曽馬は速いと言えば速い、遅いと言えば遅いとの答えになるかと思います。

Q 武田騎馬隊って本当に存在したの?
A これまた騎馬隊の範囲が広くて答えずらいですが、イメージとして匈奴などの遊牧騎馬民族的な戦闘をお持ちならばいなかったといえます。
 しかし、広い意味であれば、騎馬をメインにサポート役の徒衆を加えていた武士という存在自体が騎馬隊とも言えます(武士の定義のひとつに、馬上による戦闘行為に参加できる身分のものというのもあります)。イメージとしては西洋の騎士団ですね。騎士団も騎士が存在し、それにサポート役の徒(弓兵等も含む)を付けた編成部隊になります。メインにするもの騎馬、それにサポートを加える徒の編成部隊も騎馬隊と言えば騎馬隊なのです。
 狭義の意味での騎馬隊(騎馬のみの編成)もあったでしょう。しかし目的は敵兵の背面、横槍、挟撃、伏兵を狙う奇襲、撹乱がメインで正面からは基本的に襲わなかったと思います。さらにこうした騎馬隊を牽制するのも騎馬隊の役割です。
 なので騎馬隊がいたと言えばいた、いないと言えばいない。重要なのはあなたの指す騎馬隊ってなに?というところです。
 これらの問題の大半は意味合いが広すぎてしまいいくらでも解釈できてしまう所にあると思います。
 例えば車カッコいいよね!と言われてもどの車?バイク(自動二輪車)を指すのか自動四輪車を指すのかわからないし、更にその先のオフロードタイプなのかスポーツカータイプなのかでも意味合いが変わってきてしまいます。カッコいいと言えばカッコいい、ダサいと言えばダサいいくらでも解釈が可能です。
 なので、何ごともそうなのでしょうが、車だったら自分が思っている車が何かを明確に定義し狭義化、お互い思っていることの確認、すり合わせをしないと意味が全く伝わらなくなります。
 最近これを良く見かけます。本人達は意志疎通が取れていると思っているのですが、お互いまったく違うことを話していてお互いが思っている事が違っている事実に気がついていないのです。
 私自身そうならないように気を付けている次第です。

Q 鉄砲三段射、馬防柵って実際にあったの?
A わかりません。正直に申しあげますと史料が乏しく論じることができません。例えば「信長記」、「信長公記」や「甲陽軍艦」等が史料としてあげられますが、史料的に少ない、記載があったりなかったりするため、歴史学における史料批判が行いづらい状況かと思います。
 分かりやすくいうならば、会社の幹部一人が会社内の情報をすべて知っていてそれを記録に残せますか?あなたの親族があなたの行動についてすべて知っていてそれを正しく記録できますか?ということや、例に出した方々で記録に意見の食い違いが生じたときにどちらが正しいと思いますか、本当に正しいと言える根拠はなんですか?立場上記載しないこととか、功績を過大に書いたりすることもあるんじゃないですか?といったことになります。なので史料同士を比較研究することがとても大事になるのです。これを史学用語で史料批判といいます。
 馬防柵の場合、織田・徳川方は守りの体制ですから馬防柵もしくはそれに準じる柵か逆木等が設置されていた可能性はあったと考え論じますが具体的にはわかりません。
 よく史料として扱われる長篠合戦屏風は古いものでも17世紀後半で作者が誰か不明の状態です。なので長篠の戦いに関する史料としては扱いにくいと思います。なぜその屏風を作成したのかも重要なのです。もし武功等を表現するためであれば、その人たちにとって都合の良い改変等がなされるでしょう(英雄潭的な改変)。美術的なものであればあくまでそれは美術品として描き正確に描いているわけではないのです。かなり現実のものから離れている可能性があります。
 果たしてこの屏風が歴史的な出来事を「記録」するために描かれたのかが重要になります。そうでないなら史料的な価値はあまりないと言えます。
 考古学的な発掘調査等で全体像が判明できれば確定できる可能性は十分にあると言えます。
 とにかく史料批判がしずらい状況ですので、歴史学的な研究者の間でズレが生じてしまうことも致し方ないことだと思います。  
 その状況下でも的確に史料批判を行いなんとか歴史的な解明を行う史学、並びに考古学の先生方には心から敬意を表します。並みの努力ではございません。この方達の努力があって今の私達が知る歴史があることを決して忘れてはならないことだと思います。 
 
 なので私の立場は非常に卑怯でずるいです。
 匿名で顔と名前を隠し立場や実績などを度外視して、言って欲しいと思われることを言わず、言いたいことを言っている卑怯者とお思いください。でもそれほどまでに、狂っていると言われるほどに人への探究が好きで止められないのです。
 

以上教えて静織さん!なぜ、何?Q&A!でした!
こちらもあくまで私の個人的な意見で絶対ではないことを申し上げます。


次回本編解説を致します🔥🔥🔥🔥🔥
お楽しみに👍👍👍👍👍👍👍

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