7月17日 不思議

今日はポッドキャスト「ネオ五条楽園」「心の砂地」のイベントに行った。新米が行ってもいいものかと思いつつ、まぁ楽しめばいいだけだと思い参加した。

感じたことをツラツラと。

信頼って難しい。"この人は上手くやってくれるだろうと思うこと"というより、"この人なら失敗しても仕方ない"と思えることが信頼だと何かで読んだ。失敗まで織り込んで、人に任せられることが信頼だとすると、ヤブタさんヨウイチさんの関係性は信頼だなと思った。そして、信頼と予測可能性は深く関連しているんだと気づいた。

話を聞いてもらう時、搾取しているように感じる時がある。そして、次の日話した内容を思い出すと、記憶は朧げで、自分に都合よく編集された部分だけ残っている。番組として編集して、カタチに残すことで、好都合な編集は明確になるけど、人間の頭って本質的にそういうものではとも思う。

走馬灯の話も好きだったな。何かを理解する時、人と分かり合おうとする時に言葉は重要だけど、死ぬ時に思い出されるのは視覚的な情報、自分にしか分からない情感を含んだものなのかなぁと思った。ただそれとは別で、記憶装置としての言葉は先の未来を明るくしていくために必要なもの。過去を愛おしむ感覚的なものと、未来を照らす言語的なもの、どちらも大事なんだろう。

終演後、「シクロさん」と呼び止めてもらって、心の砂地の2人と話せてとても嬉しかった。会ったことのない人、一方的に話を聞かせてもらってると思っていた人に知ってもらえてて、話が出来たこと、この"シクロ"というよく分からん人格に初めて、実が宿ったような感じも変で嬉しかった。自分も日々を忘れたくないという気持ちで日記を書いている。これは言葉の記憶装置なんだなと話していて思った。

映画を見た後は少し散歩したくなる。その時と同じ気持ちになって、四谷から新宿まで歩いていた。ひと汗かいたのでタイ料理を食べた。もう少し歩くと、なぜか猛烈に神座のらーめんが食べたくなった。店に入って席に着いて、「あ、今日関西弁大量摂取したから食べたくなったのか」と思った。「ミナミでライブを見た帰り食べたなぁ」とか、「就活で梅田に行った帰りにも食べたなぁ」と思い出した。

関西に住んでいた学生の時にすれ違っていたかもしれないし、もしかしたら出会っていたかもしれない。けど、それから何年も経って東京で観て喋った。これを"縁"というには大仰でドラマチック過ぎて、やっぱり"不思議"だなぁと感じるくらいがしっくりくる。

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