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2009 旅 クレオパトラの歩いた道

8月24日(月)


古代ローマ時代、数々の芸術が生まれ、人々は人生を謳歌していたといいます。プラトンやアレクサンダーダー大王、クレオパトラも訪れたというエフィスの街。地震や異民族の侵入、破壊によって多くの建物は崩れ、柱や門だけが残るのみですが、古代ローマの雰囲気を今に伝えます。

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7時半のバス出発に合わせ起きたのは6時。4時間の睡眠でしたが、興奮していたのかすぐに目が覚めました。ホテルのレストランで、パンとチーズとスープだけの簡単な朝食を済ませ、まずはエフィス遺跡近くの街、イズミルへと向かいます。右にはエーゲ海、左には塩田が広がり、3時間程でトルコ第3の街、イズミルに到着しました。エーゲ海観光の拠点となるこの街は、どこか小洒落た感じの街です。

ここからエフィスの遺跡までさらに1時間、陽はすっかり高く強い日差しがじりじりと照りつけていました。エフィス遺跡は古代ローマの都市国家の遺跡で、度重なる地震や外的の侵入により街は破壊され、その度にその上に街が再建され、現在見ることが出来る遺跡は紀元前3世紀の3番目の都市のものです。

遺跡の南入り口から入るとまず目に入ってくるのは、オディオンと呼ばれる音楽堂です。収容人員1400人で扇型をしており、ちょうど野音のような感じです。アゴラと呼ばれる広場では、バザールが開かれていたといい市民の生活の場でした。市公会堂は現在は数本の列柱が残るだけですが、かつてここには聖火が耐えることなく灯されていたといいます。クレテス道りのヘラクレスの門は、公共の場への入り口で、左右対称のヘラクレスの彫刻が建っています。その近くにあるニケの女神のレリーフは、本来はこの門のアーチとして飾られていたものだそうです。

三角ファサードのトラヤヌスの泉、美しい装飾のバリアヌス神殿、公衆トイレは池を囲んだベンチに穴が並んでいます。そこに座って、古代も今も変わらない動物の営みを感じて安堵してみたり。そしてクレテス道りを下りきると、そこには見事な2階建てのファサードを持つ図書館に辿り着きました。入り口正面には4つの女神のレリーフがあり、それぞれ、知恵、運命、学問、美徳を表しています。しかしここにあるのはコピーで、本物はウィーンの博物館にあるのだといいます。かつてここには、1万2000巻ものパピルスの書物が所蔵されており、古代エジプト王朝もうらやましがる程の施設だったといいます。

図書館から大劇場への道は、大理石の道で、アルテミス神殿へと続く聖なる道であったそうです。そしてゼオン山に沿って造られた大劇場が姿を現します。直径154mの半円形客席は50段あり、2万5000もの人を収容でき、劇場や民会の場として、また4世紀には剣士(グラディエータ-)対猛獣の戦いが行われたり、市民の集う場でした。音響効果は抜群で、中央前方の舞台で手を叩くだけで、劇場中に響き渡ります。現在も時折コンサートが行われていると言います。そこから延びるアルカディアン通りは、アレクサンダー大王とクレオパトラも歩いたといいます。

地中海世界は石の文化であったため、紀元前の建物が、破壊はされていますが現在まで形をとどめて残っています。ローマの水道橋は近代まで使用されていたり、当時から相当の建築技術を持っていたことが分かります。

そして遺跡の北入り口へと到着し、古代ローマ都市へのタイムトラベルは終わりました。破壊された建物に、聖なる道に、圧倒的なスケールの大劇場に、古代ローマの人々を見た気がしました。時間が許せば、大劇場の客席に座って目を閉じて音楽を聴いたり、図書館のファサードで古代ローマの叙事詩を読んだり、大理石の通りを散歩したり、しかし僕はアルテミス神殿へと向かうことにしました。

紀元前7世紀頃から、豊穣の女神アルテミスを称え神殿の建設が始まり、120年に渡って高さ19m、直径1.2mの円柱が127本も建てられたといい、そのスケールは世界の7不思議の一つとされています。しかし現在はわずか1本が残るのみで、広大な大地に1本の円柱が建つ様子は、どこか寂しく、しかし変わることのない歴史を語り継いでいるようでした。

昼食は遺跡にほど近いレストランでケバブ料理を。羊の肉はそれほど臭みはありませんでしたが、後味が口の中一杯に残る、独特の癖があります。これを薄焼きにしたパンに挟んで食べます。デザートはフルン・ストラッチという焼きプリン。フルンはオーブンのこと、そのままですね。残すことなく食べられ、バスに乗り込み、次の街パムッカレを目指します。

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