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2009 旅 僕が旅に出る理由

8月22日(土)


アジアの極東の島国から、東洋と西洋が出会う最西の国に辿り着いて、ようやく眠りについたとき、日本を出発してから32時間が経過していました。2日ぶりのシャワーを浴びてベッドに倒れ込むと、旅先での感慨に浸る間もなく、夢の中でした。

   ◇

24時間眠らない関西国際空港から、23:30、エミレーツ航空317便は、アラブ首長国連邦・ドバイ国際空港へ向けて飛び立ちました。聞こえてくるのは、僕が旅に出る理由を100個くらい並べたあの曲。2年ぶりの日本脱出に、否応なく気持ちは高まっていました。ボーイング777-300の巨体が闇を突き抜け、街の灯りが見えなくなるとともに、僕の心も体も、日常からは解き放たれていったのです。

機内での最初の食事は日本食(魚)で、日付も変わろうとしているのでノンアルコールで頂きました。日本時間1時30分を回った頃、星空が天井に輝くエミレーツ航空の機内で、静かに目を閉じました。

目を覚ましたのはどの辺りだったでしょうか?日本時間7時を回る頃、朝食が出てきました。メニューはクロワッサンとスクランブルエッグといったごくシンプルなものでした。間もなく、座席スクリーンに、「estimated arrival time : am 4:30」と表示されたので、僕は腕時計を5時間戻しました。

アラブ時間4:30、ドバイ国際空港に無事ランディング、タラップを降りて中東アラブに足を踏み入れました。ここドバイでは、トランスファーの待ち時間を利用して、4時間まで観光することが出来ます。この時、一度入国するので、空港を出るために、transfar/transitではなく、arrivalに進まなくてはなりません。その分岐点で、係員に確認してしまったのが間違いでした。空港案内図を見せ、「ここへ行きたいんだが?」とバス乗り場の位置を示すと、「この図は見るな!transfar か transit か?」と聞かれたので、「transfarだ」と答えると、「じゃあ、あの列に並べ!」と指示されました。セキュリティを通過して進んでいくとそこは「Departures」で「Passport control」の表示はありません。今から思えば当然のことですね。

困り果て、Informatinに聞くと、「セキュリティを逆走して、ダウン・ステアーズだ」と。セキュリティを逆走なんてできるのかと思いましたが、係員に事情を説明すると、「俺に付いてこい!」と言われ付いていきました。そしてPassport controlまで連れて行ってくれました。お礼を言って入国審査を通過し、ようやく入国することが出来ました。こうしてアラブ首長国連邦に入国できたのは午前5時すぎ、辺りはまだ闇に包まれていました。

バスに乗って市街へ向かう中で、遥か向こうにドバイの高層ビル群の灯りがキラキラと見えてきました。その中にひときわ高く光るビルが、バージュ・ドバイ(816m)です。世界一の高さの超高層ビル、ドバイ・マネーの象徴です。そしてこちらも世界一、賞金額で世界最高の競馬レース、ドバイ・ワールドカップが行われるナド・アルシバ競馬場を眺める頃には、やがて陽が昇ってきました。朝焼けの中で、天へと延びるバージュ・ドバイは、ドバイの不気味な成長力を感じさせるものでした。

ドバイで最も美しいと言われる、ジュメイラビーチから、またまた世界で唯一の七つ星ホテルと称される、バージュ・アル・アラブホテルを眺めました。そしてドバイで最も美しいモスクと称されるジュメイラ・モスク、イスラム教の寺院であり、2本の尖塔が立っていました。この先端には、スピーカーが付けられており、お祈りの時間にはコーランを読み上げる声が流れるそうです。

アラブ首長国連邦は、6つの首長国から構成される連邦国家で、ここドバイの現在の首長は、シェイク・ムハンマド殿下です。「世界で一番でなければ、人々の心には残らない」という彼の考えの下、パーム・ジュメイラや、ザ・ワールドといったビッグプロジェクトを進め、それが注目され世界の投資マネーを呼び込み、そしてそれが新たなプロジェクトを産み出す、その様子は、ドバイ・バブルと呼ばれました。2009年、アメリカ発の世界同時不況のあおりを受け、バブルははじけたと言われ、その開発スピードは衰えてはいますが、今も少しずつ、狂気のプロジェクトは進んでいます。

早朝であるため、まだ開いてはいませんでしたが、金の市場や香辛料の市場を歩いて、4時間のドバイ観光は終わりました。空港へ戻ると巨大な空港も目を覚ましたようです。11:30、再びエミレーツ航空で、約束の地、トルコ・イスタンブールへと向かいます。離陸した飛行機からは、パーム・ジュメイラのやしの木の形や、ザ・ワールドの全貌が確認でき、遠く砂煙にかすんでゆくドバイの街はまさに、砂漠に現れた蜃気楼のようでした。

僕が旅にでる理由はだいたい100個ぐらいありますが、その最も重要なものの一つは、あの時以来、ずっと心に引っかかっていたあの言葉、「人生とは旅であり、旅とは人生である。」その言葉の意味を確認するためなのです。

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