凍結を機にTwitterを辞める(かもしれない)話

こんばんは。

突然ですがこの度、Twitterを凍結されました。
2010年から約10年間、
様々な事をツイートし、
色んな人の意見を参考にし、
喜怒哀楽を体験し、
糧にして生きてきました。

ですが、

書けそれを今取り上げられました。
言わば10年間の「結晶」と言うべきものを取り上げられたのです。
今まで感じた事、
体験等全ての事はTwitter社の中にしまっちゃうおじさんされてしまったのです。

私にとって、Twitterは「日記」のようなものでした。
日々 今何が起こったかを記し、
それについてリアクションを貰う。
日記は本来リアクションは要らないものですが、
リアクションは貰えたら嬉しいし何らかの励みにもなるので(笑)、
書けるだけ様々な事を書いてきました。

ただ最近、
思うところがありTwitterはあまり使用してませんでした(と言っても一日60ツイートほどはしてましたが)。
理由としては、
・実際に日記を付け始めた
・Twitterにちょっと目に付く投稿が増えた
・使用しなくても生きていける
この3つです。

・実際に日記を付け始めた
これはもうその通りですね。
前述の通り 日記の代わりにTwitterをしていたので、
ネタを被せたくない私からすると、
出力が多い状態だったので日記にはとても苦労しました。
Twitterに書くことを辞めたら日記の文章も書けるんじゃん?と思った、
これが1つ目の理由です。

・Twitterにちょっと目に付く投稿が増えた
今の時代は誰が見ても情報社会です。
どういう動画でも撮影し容易にアップロードが可能です。
とするとどういう事が起こるか、
あなたでも想像がつくと思います。
スマートフォンを持つ一人一人が「報道記者」となり、
ドヤ顔で災害の映像だったり、
ショッキングな映像をアップロードするようになりました。
万人が見られていいものでは決してないものが手軽に見られてしまう真実。
この状況に正直、嫌気が差しました。
これが2つ目。

・使用しなくても生きていける
これはそのまんまですね。
もちろん不便な事は無いことは無いかもしれないですが、
今のところ不便は感じてません。
コンカフェよく行くので()
お給仕予定が見られない事もこれからあるかと思いますが、それはそれで。
もうそんなに縛られなくてもいいんじゃないかな、と思いました。
これが3つ目です。

ここまで見られた方は思われたかもしれませんが、
ほぼ「負け惜しみ」みたいなもんです。
ただ無くなったなら無くなったで、
そこまで固執しなくてもいいのかなと。
Twitterが有るから出来ることとかってそんなに多くないですから。
無いと出来ることの方が多いのかなって思います。
極論、TwitterなくてもInstagramあればどうにかなるんで()
唯一の後悔は、
何かしらの「感謝」をTwitterで伝える事が出来なくなった事ですかね。

最後に。
一応、凍結解除の願いはメールにて送付しました。キツい言葉で。
Twitter社の中の人からすると「こいつはもう使わなくて良い」と思われてると思います。
使えるようになっても、
使えなくなっても、
今私と関係がある「あなた」にはいつでも感謝してます。
ありがとうございます。
これからも。

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