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205年前の脱獄と20年前の脱走

 「レ・ミゼラブル」という作品がある。ヴィクトル・ユーゴーの超有名な小説。そしてこれを基にしたミュージカルが存在し、さらにそれを映画化した作品が2012年にイギリスとアメリカの合作で制作・公開されている。
 昨晩それを観た。黒ビール飲みながら。個人的にミュージカル映画は食指が動かず、映画館でバイトをしていた頃にちょうど公開されていたが鑑賞することは無かった。しかしそれから8年後、YouTubeで色々な映画の予告編なりメイキングなりを観ているうち「レ・ミゼラブル」のメイキング動画にたどり着いた。なんとなく再生。ラッセル・クロウが出演してることを知った。えっラッセル歌うん?あの「グラディエーター」が?さらに調べるとヒュー・ジャックマンとのデュエットがあることが判明。早速聴いてみる。主人公、ジャン・バルジャンが懲罰労働に従事しながら自分と同じ囚人たちと歌い始め、それに監査役のラッセル演じるジャベール警部が歌を入れてくる。いい声だった。演技だけじゃなくて歌も上手いんですねと、劇中でラッセルが歌っている曲を片っ端から調べるうちに、もういっそ映画観た方が早いなと気付いた。ということで、昨晩それを観た。
 バルジャンとジャベール警部の歌は映画の冒頭にあった。1815年のフランス。造船所?のようなところに難破しかかった船を囚人たちが縄を使って人力で引き込む。眼下のそれを厳しい目で監視する警部。「下を向け。目を合わせるな。」と囚人の歌。そして労働を終えたバルジャンは仮釈放される。そもそもなんで捕まっとんねんと思ったら、飢えかかった妹の子供のためにパンを一つ盗んだらしい。えっパン一個で懲役19年は重すぎない?フランスの法どうなってんの恐ろしいわ~なんて思っていたら19年のうちパン罪は5年らしい。残りの14年は脱獄したからだと。調べたら4回。脱獄しすぎ。パピヨンもびっくりだぜ。
 そしてそのシーンを観て思い出したことがある。僕も脱獄した。その185年後に。いや、脱獄というか脱出した。もちろん収監されていた訳じゃないので通報しないで欲しい。僕は善良な一般市民です。

 なんのことは無い。小学校から脱出しただけの話。当時小学2年生だった僕のクラスは、宿題を忘れてくると自由帳1ページ分の自主学習が追加させるシステムがあった。つまり一度宿題を忘れてくると、忘れた宿題+自習ノート1ページを提出しなければいけない。新しく宿題が出された日はそれも勿論やらなければならないので、下手すりゃ一気に量が増える。僕は当時からクラスで一番宿題をやってこないクソガキだったので、日数を重ねるにつれ僕に課された懲役(自習ページ)は増えていくばかり。黒板の端に張られたクラスメイトそれぞれの名前入りマグネット、その横に懲役数(ページ数)が記録されていくのだけど、そのほとんどが0や1、2なのに対して、僕だけ20とか30とか桁違いの数字が書かれていた。いや、佐々木君も25とか書かれてたな。そういや佐々木君といい勝負だった。もう毎日の居残りは当たり前。下校時刻が過ぎるまで僕と佐々木君だけがクラスに残っているのも珍しくなかった。
 ちょうど今頃の時期、夏休みも近づいてきた日。その日もいつも通り居残りをして課せられた自習ページを減らしていた。教卓では担任の田村先生が自分の仕事を片付けている。定年間近だったが恐らく女性教諭で一番怖い先生。実は祖母の教師時代の後輩。だからか僕が一番目を付けれられていたと思う。居残りの生徒は僕の他にも2、3人いた。居残りとは別に、すぐ帰らずクラスで遊んでいた生徒がうるさかったんだろう。先生から「居残りの生徒は1階の空き教室に移れ」と命令があった。1階の空き教室に移って数十分。自分のノルマを0にした生徒が帰っていき、残りは僕と先生だけになった。あと何ページ書けば帰れるのか。ちらちら時計を見る。実は今日、近所の神社で縁日がある。毎年欠かさず行っていたお祭り。当然その日も友達たちと約束をしていたが、帰り際に先生に捕まったのがいけなかった。「後から行くから先に行ってくれ」と伝えて居残りに励んでいた僕だったが、時間もそろそろ迫ってくる。早く行かないと友達が帰ってしまう。でも先生から「今日はここまで」の許しが出ない。というか先生、自分の仕事に没頭していてきっと時間を見ていない。帰してくれ、僕をお祭りに行かせてくれ、なんて念じながらひたすら机に向かっていると、「職員室で会議があるから少し席を外す」と先生から言われた。戻ったらどのくらい進んだか見てくれるとの事。書類やら何やらを抱えて先生は教室から出て行った。おいおい。ならもう帰してくれよ。友達が待ってるんじゃ。帰してくれ。
 そこから何分経ったかは覚えていないが、一向に自習は進まなかった。窓の外、お祭りの事が気になって仕方がない。いいなぁお祭り。早く先生戻ってこないかな。そうすれば今日は帰れるかもしれないのに。もう校舎は殆どの生徒が帰ったのか。廊下からは何も聞こえてこない。たまに通りかかる用務員の足音くらいだ。また窓から外を見る。もう鉛筆なんて机の上だ。やる気はとっくの昔に無くしてきた。日はまだ高いが、果たして何時に帰れるかわからない。よし。閃いた。逃げよう。帰ろう。エクソダスだ。
 すぐ行動に移ろう。兵は神速を尊ぶ。どうせ明日も居残りさせられるんだ。なら今日帰ったってそんなに変わらん。謎理論を組み立て、机の上に広げているものをすべてランドセルの中にぶち込む。それを背負ってから気付いた。うちの小学校は職員室が昇降口の真上にある。そして田村先生の机は窓際だ。冷房も無いから窓が開け放たれているだろう。つまり今僕が昇降口からのんきに帰ろうもんなら、足音に気づいた先生に発見されて大目玉をくらう可能性が高い。まずいな。怒られるなら明日がいい。今日は絶対にお祭りへ行くんだ。背負ったランドセルを一度降ろし、中履きを脱いで靴下のみになった。もう生徒は誰もいない。廊下を歩く子供の足音は、先生が異変を察知するのに十分な材料になる。靴下なら足音は聞こえない。そのまま早足で下駄箱に向かう。足音を気にするならゆっくり歩くべきなんだろうけど、誰かに見つかってしまうのも避けたい。つま先でツツツと早歩き。これが一番良いと思った。中履きと外履きを交換して教室に戻る。ランドセルを背負い直して窓を開ける。この部屋は1階にある。そして窓の外は校舎脇の緑地だ。理科の授業で育てている朝顔なんかが並べられている。緑地から裏門に出られるので、一度裏門を出てから遠回りで帰る算段。廊下に首だけ出して誰も来ないか確認する。足音は聞こえてこない。よし。今だ。窓の外に外履きを放り、窓枠に足をかけて乗り越える。脱出。急いで靴を履き、裏門へ向かった。一部始終は恐らく誰にも見られていない。完璧。急いで家に向かった。頭の中はもうお祭りで頭がいっぱいだった。開けっ放しの窓とか、つけっぱなしの電気。果たして明日怒られるだけで済むのかとか、色々なことは忘れて、ただ走った。人生で一番早く走れたような気がした。

 その後、友達と合流してしっかりお祭りを楽しんだ僕だが、家に帰ると田村先生から電話を受けた母親が待ち構えていた。そこから翌日の放課後までの記憶が曖昧なので、きっとあまりの恐怖体験に本能が記憶を拒んだんだろう。ただ一つ覚えているのは、居残って先生に超怒られながら泣く僕を、佐々木君が笑いながら見ていた事だ。白いページに鉛筆を置いて。いやお前も居残りさせられてんじゃん。見んなし。書けし。

 そして実はまだ、僕の懲役は残っているのである。バルジャンは逃げ延びた。僕も逃げ延びた。あの日、教室から脱走したから今の僕がいる。ちゃんと残っていたらもっとマシな大人になっていたかもしれない。205年前のパン泥棒の歌は、僕に懐かしい思い出と小さな後悔を思い出させてくれた。

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