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人が生きるという事、それはあてのない未来を探ることです。毎日無意識のうちに人は時間という名の難儀を積み重ねます。しかし人生とはその難儀が人の心に色を添えます。難儀に感謝です!「ねずみ色の雨」 8/13

外に出れない毎日を過ごす女も、生活環境にあまり危険を感じなくなってきたせいか恐怖心が薄れた分、外出出来ず家に籠っている事へのイライラが溜まってきていた。泣き叫ぶ子供に強く当たったり、今迄飲まなかった酒を飲みだし酔っ払う事が度々みられるようになってきた。
俺もその姿を見てそろそろ彼女たちも限界だろうと思い。何処か別の処へ引っ越そうかと思い始めていた。出来る事ならそれまでに女の亭主に一度会い、その旨を伝えておきたいと思っていたが、何の手がかりも無きままに時間が過ぎて行った。
俺はある晩女に相談した。
「ここを引っ越したほうが良いと思うのだが、お前はどう思う……」
「……ウン、ヒッコシタイケド、ダイジョウブ? ワタシタチイッショデ……」
「ああ、お前らさえ良ければ、なんとかやってみるよ。それより亭主の居場所は本当に知らないのか……」
「…………」
この話になると何時も黙ってしまう女の様子を見て俺は、密かに連絡を取り合っているんじゃないだろうか、でなきゃこんなに頑なに沈黙し続けるはずがないし、男も妻と子供を他国の男に任せ心配でしょうがないはずだ。ただ電話の着信履歴にはそれらしきものは示されていない。となると連絡を取るとすれば女が外へ出るか、男がここへ来るかの他に手立てはないはず。昼間の俺の居ない時間を見計らって此処へ来ているのだろうか、だが男も危険を冒しても此処へ来るというのも考えづらい。とにかく俺は仕事の合間を見計らって、最近庶務課にきてよく使うインターネットで、不動産情報サイトを検索し物件を探した。
なかなか交通の便とか家賃の事を考えると手ごろな物件が見つからず、今現在住んでいる大久保からは離れた処で探そうとおもった。逆にその方が女にとっては何かと都合が良いだろうと思い。
予算的なことも考慮して埼京線で乗り換え無しの十条辺りで見つけることにした。ここら辺りなら家賃も手ごろだし北新宿にある会社からもそんなに遠くない。まぁ、足の不自由な俺にとっては埼京線の朝のラッシュがちょっと難があるが、出勤時間を早めれば少しはましだろうと考えた。
勿論、大家直結の賃貸物件で大家には仕事の都合で単身暮らしだが、埼玉の深谷の実家に住む家族が遊びに来る事もあるからと伝え、女が子供連れで出入りしても難癖が付かない様にはしておいた。まぁ大家も近所に住んでいる訳じゃなく、そこは近隣に迷惑が掛らなければ自由にしてもらっていいよと、あまり気に留めていない感じだった。
俺もここなら近所にスーパーも有るし、小さいが公園も有る。近所を昼間散歩がてらに出かけるのも問題ないだろうと早速契約した。
だがやはり気がかりなのは女の亭主の事だ。連絡のとり様がない為、新しい住所を伝える術も無く、妻と子供の居場所が判らなくなってしまう。女に再度確認しても首を横に振るだけであまり亭主の事には触れたがらない様子だった。
俺は女とは薄情なものだなぁと思った。心配じゃないのか、暁美もこんなモノだったんだろうか、と目の前の中国人女性と比較してみた。これもお国柄の違いなのかと諦める様な気持で納得した。
そして翌月引っ越し、近くの大手量販店へと身の回りの物で必要なものを女と子供を連れて買出しに行った。
女の機嫌も良く一安心といった具合となったが、やはり俺は女の亭主の事が気になって仕方なかったが、しかしそう思いながらも、女からの誘いとは言え毎晩のようにその男の妻を抱き、子供の世話も普通にしている俺は何者だろうという気持ちがどんどん深まって行った。
そんな矛盾した関係でありながらも、女達の平穏な表情で暮す姿を見て、俺はとりあえずはこれで良と思うようにした。
ひと月余りが過ぎ特に変わった事も無く、俺は女と子供を連れて散歩に出かけた。
女の子供は既にヨチヨチ歩きが出来るようになり、子供用の歩くと「キュッ」と音のする靴を穿き、喜び笑顔を振りまき歩いている。
女もその子供の姿に満足気に微笑んでいる。
その姿は俺の最初の子供が出来た時の記憶と重なり、一瞬懐かしく思ったが、二人目の子供の時の記憶が全くなく、逆にその当時、仕事に追われた俺は、何時も家に帰る時刻は深夜遅くで、暁美の嫌みを毎晩聞かされた事を思い出させた。同時に(何で俺はこの親子達とこんな生活を送っているのだろう)と思いながらもこの親子が愛おしく思えてならなかった。
そんなある夜、俺は何時ものように仕事で遅くなり家に着くと直ぐにシャワーを浴びに風呂場へ向かった。途中何時ものようにテーブルの上に並んだ女の作った簡単な手料理が目に入った。一瞬俺はニンマリとしながら前を向き直す時、コンビニの買い物袋に入った別のモノが目に入った。(何だろうアレは? おにぎりでも入ってるのかなぁ)
俺は気にするでもなくシャワーを浴びに風呂場へ行き、熱いシャワーを浴びながら一日の疲れを流した。シャワーを浴びて戻って来ると今し方まであった筈のコンビニの袋が無くなっている。俺は首を傾げながら冷蔵庫の中から冷えたビールを取り出し、プルタブを抜き渇いたのどに流し込んだ。
俺はテーブルの上に並んだ女の作った料理をつまみながら、新聞に目を通して静まり返った部屋の雰囲気に浸った。そして二本目のビールを飲みだした頃にはコンビニの袋の事は頭の中から消え去っていた。
俺は新聞を読みながらビールを飲み干し、女の作った料理も食べ終え、静かに襲ってくる眠気を感じ寝床へ向かった。
俺は流石にこの時間じゃ女も眠っているだろうと思いながら、自分の布団に入り目を閉じた。直ぐに眠気が襲って来て意識を遠ざけていきかけた頃、女が奥の部屋から静かに襖をゆっくり開け、気配を消す様にして出て来た。
俺は何時もと雰囲気が違うなと思いながら、今夜は勘弁してほしいなぁと思い寝た振りをして背中を向けていた。
すると女は俺の枕元を通り過ぎ台所へと向って行く、俺は目を閉じたままトイレかなと思っていると玄関のカギをガチャと開けチェーンを外す音がした。(ウン? 何処へ行くんだこんな時間に……)女が外に出てドアのしまる音がした。
俺は目を開き少しの間考えたが、どうにも気になって起きあがると、玄関へと向い下駄箱に立てかけてある杖を片手に突きドアを半分ほど開けた。
目の前に黒いフリーススーツ姿の痩せ細った男の背中が目に入った。(誰だ?)
俺は一瞬危険を感じ女の姿を探した。すると女は男の正面に立っていた。そして俺の存在に気付いた女は男の後ろにいる俺に視線を向けた。
男はそれに気付き咄嗟に振り返り俺の姿が目に入ると一歩下がり女の横に並び、女の顔を見ながら困惑した表情を浮かべた。
俺はそこで初めて以前にあった事のある女の亭主だと気付き男を見詰めた。その様子を見た女は、俺に知らないと嘘をつき連絡を取り合っていた事に罪の意識を感じたのか、申し訳なさそうな表情で俺に許しを請う表情を向けた。隣で男も申し訳なさそうにペコリと頭を下げた。
俺は一瞬何と答えるべきか思い浮かばず戸惑ったが、自然と俺の中に合った二人への想いが、俺を微笑ませ小さく首を振らせた。それを見た二人は安心し、互いの顔を見合わせ頬を緩ませた。
俺もその二人の姿を見て更に微み返し二人だけにしてやろうと思い部屋の中へ入ろうとした時、二人の後方から駆け寄って来る何人かの足音が聞えた。二人も足音に気付き振り返ると、そこには追手達の姿が有った。
男は咄嗟に女を自分の後ろに隠す様にし、逃げろと手で合図した。だが女はそれに逆らい男の背中にしがみ付き声をあげ首を横に振った。
追手達は皆それぞれ鋭利なナイフの様なモノを持って二人に迫って来る。そして追手の一人が男の前まで来た時、俺は咄嗟に持っていた杖を夫婦二人の重なり合う後ろから追手の男目掛けて突き出した。すると間一髪の処で杖は追手の男の喉元を突く形となり追手の男は喉を押さえながら屈み込んだ。
それを見た他の男がナイフ片手に二人に襲い掛かる。俺も二人も一瞬もう駄目だと思った瞬間、俺の後ろから黒い影が飛び出して来たと思うと一瞬にして襲い掛かる追手の男をねじ伏せた。
一瞬何が起きたのかサッパリ状況がつかめなかった俺は、暗い玄関先にバタバタと複数の足音が聞え、目を凝らして辺りを見まわすと、次から次へと大勢の黒い影が現れ追手達5人を一人残らず取り押さえた。
俺達三人は、一瞬何が起きたのかサッパリ判らなかったが、最初に追手を取り押さえた男に「危ない処でしたね、坂崎さん――」と一言言われてその男の顔を見てみると、以前俺が病院に入院していた時に、殺人事件の事で事情聴取しに来ていた年輩の刑事だったのを見て得心した。
俺は一瞬ホッとしたがそれも束の間、刑事の一人が女の亭主の前に立ち名前を呼び、逮捕状を片手に罪名を読み上げると両手に手錠を掛け連行して行く。それに追い縋るように女は手を伸ばすが、女性の刑事が現れ女の肩を抱く様にして止め、女も亭主に遅れて連行していった。
そして何時の間に俺の部屋に入ったのか、別の刑事が俺の部屋から子供を抱きかかえ表に出て来た。子供は大声で鳴き叫んでいる。子供を抱き抱える男性刑事は泣き叫ぶ子供に手をやき母親に子供を手渡す。
その時一瞬、女と抱かれた子供が俺に助けを求める表情を浮かべ振り返るが、どうしてやる事も出来ない俺の心はギューと何かに締め付けられ、そして項垂れた。親子三人はそのまま連行さて行った。
俺は突っ立ったまま連れて行かれる親子三人の後ろ姿をじっと見つめていた。するとさっきの年輩の刑事が「坂崎さんも同行願います……」と言い俺の肩をポンと叩き前へ促した。
パトカーに向かって年輩の刑事と並んで歩いている時、刑事が「なぜ坂崎さんはあの親子を囲まったりしたんですか? あの親子の主人が坂崎さんを刺した犯人ですよ。知らなかったんですか?」と不思議そうな表情で言われ「えっ?」と俺は刑事の顔を見詰め首を振り、嘘だろうと何度も心の中で言い返した。
俺は警察署の取調室で朝まで事情聴取を受けた。事情を知らなかったとはいえ不法滞在者を囲まった罪はあったが、被害者でも有り反省しているとして今回に限り罪には問われず翌朝返されることとなった。
「また何かお尋ねする事も有るかもしれませんが、その時はご協力お願いします――」というと刑事は莞爾として笑い「お疲れさま!」と声を掛け見送ってくれた。
俺は家に帰り上り框の前に立ち部屋の中を眺めた。親子二人が寝ていた布団と俺が寝ていた布団が敷きっぱなしになっているのを見て、もうあの親子が俺の前に現れる事は無いんだと思うと俺は想わず嘆息をもらしてしまった。
その後、刑事から聞いた話だが男は勿論、強盗殺人と傷害の罪で起訴されたが、女とその子供は取り調べ後、自国へ強制送還されたそうだ。
その話しを聞いた時、俺は思わず刑事に自国に帰った後の女の事が気になり尋ねたが、刑事はゆっくりと首を振り俺をきつく見詰め応えようとはしなかった。
それはおそらく刑事が女から俺との生活の全てを聞いていて、刑事が俺に対してこれ以上この親子の事に首を突っ込むなとの忠告に取れた。
その後一人になった俺は何をするでもなく、ただ一人きりの毎日を流れ作業をこなす様に過ごしていた。
そんなある日の事、仕事も早く片付久しぶりにスーパーへ買い物に行ってみようと思い立ち会社を出た。
すると会社のビルの入口を出た処に暁美が立っていた。
「どうしたんだ? 何か有ったのか……」
「ううん……、特には無いけどただ貴方の顔もたまには見とかないと行けないと思って……」
「おいおい、もう離婚したんだから……」
暁美の表情から不躾な言い方をしながらも俺を気遣っている事は直ぐに感じ取れた。俺は頬を緩ませながらそんな暁美を食事に誘った。
「久しぶり食事でもするか? それとも懲り懲りか?」
「いえ、行きましょう。何処へ連れてってくれるの?」
「どこがいい? 今流行りのイタメシか? それともフランス料理か? 他に何か有るか……」
「ううん、貴方の何時もよく行く処が良いは……」
「俺の良く行く処?」
俺は暁美の返事を聞いてちょっと驚いた。(なんで俺の良く行く処なんだ? 昔は一度も俺の意見なんて聞いた事の無かった奴が……)
とにかく俺は何時もの一杯飲み屋へ連れてった。暖簾を潜った時、暁美は以外にも物珍しそうな表情の中に笑みを浮かべながら話した。
「へ~ぇ、ここなんだぁ、貴方の良く行くお店って……、こう言うお店一度来てみたかったんだぁ……」
「そうだけど……、どう?」
「うん、イイ感じ。ハマりそう」
俺は頬を緩ませ暁美の顔を見た。暁美は店内を見回しながら俺に聞く。
「ねぇ、こうゆう処で最初に飲むお酒って何飲むの? やっぱり生ビール、それとも……、あ、ホッピーとかっていうやつ?」
「なんでも自分の好きな酒で良いんだよ。ただし、此処には暁美の好きなワインは無いぞ、どうする?」
俺は頬を緩ませながら暁美に迫ると、暁美は乱雑に壁に貼られたメニューに目をやると
「じゃ~、私ホッピーにする。飲んだ事無いもん……」
俺はえっ、と目を疑った。俺の胸の中で、あの暁美がこんな処へ来て、ホッピー飲むのかぁ、と言うのが俺の感想でコイツ無理して付き合ってるんじゃないのか心配になった。同時に何か相談事でも有るのかなぁという気がしてならなかった。
「ところでどうしたんだぁ、急に……、金でもいるのかぁ?」
「ううん、そんなんじゃないの……、ただ、こないだ刑事さんが何度か家に来て貴方の事を聞きに来たからちょっと心配になっただけ……」
「ああ~、それでかぁ……」
「それにその足どうしたの……」
暁美は俺の顔色を気遣いながらも右足の事を聞くと、事件の真相も興味心身と言う感じで聞いてきた。俺は隠さず全てを暁美に聞かせた。暁美はまるで別世界の話しを聞く様に話しに夢中だった。そんな暁美を見ながら俺は遠い昔を思い出していた。
「暁美、これどう思う? 俺の書いた卒論なんだけどさぁ……」
「う~ん、いいわねぇ。うん、イイこれ!」
「ホント? ヨシ、じゃ~これで行こう……」
俺は卒業を間近に控えた頃、好きな麻雀の合間にやっとの想いで書き上げた卒論を暁美に見てもらい感想を聞いた。暁美は優しい笑顔を浮かべながら俺の書いた卒論を褒めてくれた。
大学の帰り道、よく俺の下宿先の近所にあった喫茶店で俺と暁美は将来の夢を語りあった。その後、俺達は大学を卒業した後も付き合い続け結婚した。
俺は暁美と久しぶりに飲んで暁美の本来の顔を思い出し、二人とも生活に追われて本来在るべき自分を見失っていたのかもなぁ……、と思った。
その後、特に何を話すでもなくダラダラと時間を過ごしたが、子供達が俺に会いたがっているから、またみんなで食事しようと誘われた。勿論、俺はそれを承諾した。
店を出た帰り道、別れ際に暁美が俺に寄り添い「楽しかった。また連れてって……」と言った時、ああ、まだ俺達は続いているんだなぁと確信しニンマリし頷いた。
                   
 了

これにて「ねずみ色の雨」了となります。最後までお読みいただきありがとうございます。

感謝感謝です。

明日からは「デパート恋物語」をアップさせて頂こうと考えています。

それではまた!     青柳蓮

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