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誰にも過去はあります。その過去を思い出し、懐かしみ、微笑み、後悔し、色々な過去に誰しも過ぎ去った時間が戻らないことを再認識します。ですが過ぎ去った大切な過去がもう一度戻るとしたら、あなたならどうしますか・・・・・・8/8「ねずみ色の雨」

「まさかぁ、そんなの何処にもいないよぉ、毎日一人淋しく過ごす親爺だよ――」
 「ホントかしらぁ、信じられない……」
 「フン、そんな風に見えるのかなぁ、俺は……」
 「えぇ、見えますとも、とても素敵な人がいる様なオーラが漂っている――」
 俺にはサッパリ理解できなかったが、首を捻りながら「そう……」と空返事をした。
 その夜俺は、家で待つ親子が気になりながらもゆきこと食事に行った。食事と言っても前回行った居酒屋だったが、ゆきこの希望でもあったせいか、俺は気楽に酒を飲み、すっかり打ち解けたゆきこと他愛のない話しで盛り上がり時間を過ごした。十時に飲み屋を出ると、ゆきこは二件目の店を誘ってきたが、俺はさすがに家に残して来た親子の事が気になり、なんとか上手く誘いを断り家路を急ぐ事となった。途中俺は親子の食べる物が無い事に気付き、コンビニで明日の朝のパンと牛乳、それとその他に冷陳ケースに陳列された野菜と肉、りんごにヨーグルトなど適当に籠に入れると、レジへと向かい会計を済ませると、大きな買い物袋片手に杖を突き急いで家に向かった。
 自宅へ帰ると子供は寝ていたが女は起きて待っていた。
 俺は「遅くなってゴメン――」と何故か謝り買い物袋を手渡し「食べろ――」と言い残し俺は直ぐにシャワーを浴びに行き、サッサと熱めのお湯を浴びると浴室を出た。するとテーブルには簡単では有るが食事が用意されていた。女は俺が仕事で遅くなったと思っているらしい、そんな女の気遣いを無下に扱う事が出来ず、腹は減ってはいなかったが、全て残さず食べ終えて、「ありがとう、ごちそうさま――」と言葉が出た。
 その言葉を聞いた女は、優しく微笑みかけて頷いた。俺はそのやり取りに、何処か懐かしさを感じ、床に入り目を閉じた。
俺は朝目覚めると洗面所へ行き、顔を洗い歯を磨くと会社へ行く準備をすませ家を出た。会社に着き自分のデスクに座ると、待ち構えていたようにゆきこが声を掛けて来た。
 「おはようございます。昨日はごちそうさまでした。楽しかったです――」
 俺は頷き微笑み返した。ゆきこも同じようにニッコリと微笑み、自分のデスクへともどって行った。
 俺はだいぶ慣れたデスクワークに集中しながら、その日もなんとか仕事を無事に終わらせると会社を後にした。
俺は仕事が早く終わった事もあり、帰る途中にスーパーにより、何時もより多めに食材を買い自宅へと向かった。帰りの道中で俺は、無意識のうちに鼻歌交じりに気持が和んでいる自分に気付いた。(こんな気持ちも久しぶりだなぁ)
 家に帰るとテーブルの上には簡単ではあるが食事の用意がしてあった。
 俺の顔にニンマリと笑みが自然にこぼれた。
隣の中国人の親子と一緒に暮らす様になって、失くしてしまった昔の生活が戻って来た様な気がした。子供はもう眠っているが女は起きて待っていた。何時ものように買い物袋を手渡し、俺は風呂場へ向かおうとした時、隣の部屋から物音がした。俺は動きを止めて耳を澄ます。その俺の様子に気付いた女が異変を察し、一瞬にして青ざめた顔を俺に向けて来た。誰も居ない筈の隣の部屋から聞こえてくる物音は、今までとは違う雰囲気が伝わってくる。
俺はこんな時間に追手が部屋に上がり込みゴソゴソと何かを探しているのかぁ? それとも泥棒かぁ、と考えたが、前回追手が来て部屋中を荒していった後、俺は翌日女に鍵を預かり隣の部屋のドアの鍵を掛けて来た事を思い出し、部屋に入るには鍵が掛かっていて入る事は出来ない事を確信した。女が首を傾げながらフッと何かに気付いたのか、自分の部屋へ行って来ると言いだした。
女には何か確信めいたモノがあるのか、顔の表情からは恐怖は消え、落ち着きを取り戻している。俺はどうしたものかと考えたが、女一人で行かす訳にも行かず、俺も玄関先に置いてある杖を取り一緒に部屋を出た。そーっと俺はドアノブを回し、静かにドアを開けて中を覗き込むと、それに気付いたのか、スッーと息を潜める気配が漂った。
 俺は小さな声で「すみません」と部屋の奥にいる誰かを呼ぶと、追手ではない事が伝わったのか、静かな部屋の奥からのっそりと、長身の殺気だった顔の男がナイフの様な物を片手に俺の前に現れた。
 俺は無意識の間に体全体が震え出している事に気付いた。
 「ダレカ?」
 「……隣の坂崎です」
 「ナンノヨウジカ?」
 「…………」
 「ナニカ?」
 その遣り取りを聞いた女は俺の前に出て、早口で男に何やら中国語で話しかけた。
すると男も警戒心を解き、手に持ったナイフをしまった。女は俺の顔を見て親指を立てて自分の夫だと説明した。俺は納得し「どうする?」と二人に聞くと、女は首を横に振り、悲しい眼差しを男に向けた。女は今の現状を考えたのか、今は一緒に居ない方がいいと考えたようだ。
 俺は少し躊躇したが、長湯は拙いと思い「帰ろう――」と言い、顎を外に向けて振った。男はギョロリとした大きな目を一度閉じてから溜息を一つ吐くと、俺の顔を見詰めると「アリガトウ――」と言うと、ポケットからクシャクシャになった何枚かの札を手にして、何も言わず俺に差し向けた。
俺は「要らない――」と首を振った。すると男は女の手に握らせ顔を見て頷いた。女も頷き返すと金を受け取り、ボーっと立ち尽くす俺に外へ出ようとドアを指さした。
俺達は急いで部屋の外へ出た。周りを見渡したが人の気配は感じられなかった。俺は自分の部屋のドアノブを掴み開け部屋へと入ると、女も後を追うようにして入って来た。
俺は女の方を振り返ると、そこには涙を溜めて必死に何かを堪える姿があった。
然し女は直ぐに表情を変え、何もかもを押し殺す様にして強く俺に微笑んで見せた。
その様子を見て俺は、この親子がどんな理由でこんな現状に陥っているのかは知らないがこの親子の力に少しでもなれればと思った。
俺は玄関に立ち尽くしたままの女の遣り切れない想いを感じ、どう振舞えばいいのか分からなかったが、微笑みながら頷いた後、黙って踵を返しシャワーを浴びに風呂場へと向かった。
俺はシャワーを浴びて部屋へと戻ると、女は奥の部屋へと戻っていた。俺も布団の中へと潜り込み強く目を閉じた。
俺は、今し方まで目の前で起っていた、他人の家のやり取りに触れて、自分の家の事を思い出していた。今頃、別れた妻と子供達はどうしているのだろうか、妻は相変わらず子供の世話に追われた生活を送っているのだろうか、子供達は元気でやっているのだろうか、ちゃんと生活しているのだろうか、俺の送る微々たる生活費じゃ、親子三人で暮して行くには足りないのは判っているが、妻がパートに出て、中学生の娘と小学六年生の息子が、家事を手伝い細々と暮して居るのだろうか、俺は考えれば考える程、居ても立ってもいられなくなり大切な家族を簡単に手離してしまった事に、後悔の念がどんどんと増すばかりで目が冴えとても直ぐには眠りに着く事は出来なかった。
(明日、見に行ってみるか……、いやぁ、よそう……)

続く

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