【イチヨミ5】青のインクが消えたなら

タイトル「青のインクが消えたなら」

小説には作者の色が出る。
赤のクレヨンでぐりぐりと塗られたハートのような小説がある。紫の水彩で描かれたような妖しくも艶かしい小説がある。墨汁をひっくり返したような乱暴で悪意のこもった小説がある。
いくらストーリーを作り上げ細部の技法にこだわってみても、結局その作者の持つ色は隠せない。
あの色が使えたらきっと私も人気が出るのに。そんなことを思った時期もあったが、私には陰鬱な青しかなかった。
自身の鬱屈した感情にペン先に浸して文を書き散らす。不安、焦燥、嫉妬、孤独。
そうした自身の感情が、歪んだ登場人物を生み出し、そいつは空想の世界の中でもがいていた。
そんな私の小説は万人受けはしない。万人どころか数十人が見て一人二人が面白がってくれる程度。それでも、物語が誰かに届いていく様は気持ちよく、文を重ねていく時間だけは憂鬱が和らいだ。

しかし、近頃の私は思うように書けなくなっていた。趣味に回せる気力がない。仕事に行くのもやっとで、夜の寝つきも悪く、休日は平日の睡眠不足を補うようにただ眠って過ごすばかり。なんとか気力が残った時間を継ぎ合わせても、小説とも呼べない短い文章が出来上がるだけ。
仕事などこの際どうでも良いが、趣味の小説が書けないのはいよいよ重症だと思い、クリニックを受診することにした。
丁寧にカウンセリングなどされても面倒だと思って予約の段階からだいぶ嫌な気分になったが、診察は思いの外あっさりとしていた。たぶん私みたいな奴はいくらもいて、一々まともに相手をしていては時間が足りないのだろう。あっさりと心の病と診断され、薬が処方された。

生まれてからずっと暗い性格だったので、これが病気なのか人間性を拗らせすぎただけなのかはよくわからなかったが、薬を飲み続けて二週間ほど経つと自覚できるほどには気分が安定してきた。夜は薬で眠りにつくので睡眠時間も取れるようになった。突然不安に襲われて叫び出しそうになることも、わけもなく全てが嫌になって泣き出してしまうことも減った。
だが、それと同時に私は創作ができなくなった。私の持っていた青のインクは、精神の安定と引き換えに枯れてしまっていた。

次の面談で、私は医者に創作ができなくなったことを相談した。
「いずれしっかり回復すれば、また書けるようになりますよ。あまり焦らず今は他に楽しめることを見つけましょう。散歩や筋トレなど、軽く身体を動かすのもおすすめです」
回復するまで、創作以外の何かで暇を潰せという。もともと外に出ることは少ないが、早く元に戻るためには仕方がない。
散歩、筋トレ、医者がすすめる健全な暇つぶしには一通り手を出したが、どれもすぐに飽きてしまった。デスクワークと家に引き篭もるだけの休日で身体は凝り固まっていて、少し身体を動かすだけでひどく疲れる。そんなものが楽しめるわけがなかった。
毒には毒をと中毒性が高いとされるギャンブルや風俗も試してみたが、金が消えるばかりでなにも得られなかった。金を得たいという気持ちのないギャンブルはうるさい画面の演出を眺めるだけの退屈な時間で、金で縁を結んだ女との会話も行為も人の温もりはなく嫌な気怠さだけが残った。

創作の他に楽しいことを見つけようとしてどれも失敗に終わり、やはり再び創作を始めようと思った。
文字を書くにはペンと、インクが必要だ。だから、薬を捨てることにした。
こんなものを飲んだせいで。
これまで自分の精神を安定させてくれていたはずのものが、憎たらしいものに見えてきた。
「私を蝕みやがって!」
棚にしまってあった薬の束を引っ掴むと乱暴にゴミ箱に放り込んだ。
私の怒りを感じ取ったのか、ごぼごぼとインクが湧き出る。
久しぶりの創作は気持ちよく、すぐに一本の短い小説が書き上がった。

次の日も小説を書いた。
その次の日も、次の日も、次の日も、溢れ出るインクのおかげでスラスラと小説が書けた。
薬がこんなにも感情を殺していたのか。
自分にはこんなにも書きたいものがあったのか。
無限にインクが溢れ出て筆を止めるなと急かす。
ああ、楽しい、楽しい。
一時的に創作ができなかったのはきっと疲れていたからなんだろう。
はじめから治す必要なんてなかった。これは病気じゃない、私の色なんだ!


だらりとぶらさがった壊れた器から青いインクがぽたりぽたりと床に落ちる。
フローリングの溝を伝って阿弥陀籤のように廊下を進み、玄関の隙間から外へと流れ出る。
夏の暑さで蒸発したそれは、雲に混ざって消えた。


さごし様(@saharayorismall)の企画「イチヨミ5」の参加作品です。
同じタイトルで書かれた小説が読みたいコンテスト!ということで、色々な作者の方が同名タイトルで小説を書いて参加されております。「青のインク」「消える」という要素をどう入れ込むのか、人によって解釈が違っていてとても面白いです!

X(旧Twitter)にて#イチヨミ5で検索いただくと色々な作者の方の作品が出てきますので、是非お読みいただければと思います。

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