思春忌とルックバック

3年ほど前から曲が出来なくなりつつある。
歌を書き出したころは、頭の中に溢れるメロディーを表現するなんて世の中でいちばん容易いことだったのに、ここ数年はギターを握ってもなかなかアイデアが降りてこず、魚のいない海に釣り糸を垂らすような毎日だった。釣果なき釣行に出かけることにすっかり疲れてしまい、いつしか竿を握る頻度もめっきり減っていった。

それでも、一年の中で生まれる僅かな曲たちはどれも気に入っているし、才能が枯渇したのではなく、自分の求めるクオリティが昔より上昇したんだ、俺が本気になれば良い曲はきっと作れるんだと、寡作を気取ることで芸術家風情を保っていたのだと思う。

そんな創作への甘ったれた考えは次第に脳を蝕んでいき、歌うことさえ最近は満足いかない気持ちに陥ることも多かった。歌は基礎体力だ!とランニングに飛び出した翌日には、昨日の決意はどこへやら缶ビールのプルタブを空けて酩酊につぐ酩酊。自己嫌悪につぐ自己嫌悪。

歌えない自分に価値なんてあるのだろうか。

6月の終わりに新曲を書き出した。
なにか薄靄とした手応えを感じ、メロディを当てはめる。響きの綺麗なコード進行なので、どうやってもある程度は形になる。でもハートにまでは響いてこない。どうやったら良い歌になるか考える。答えは出ない。しばらく考えて浮かばなかったら作業を中断して、酒を飲んだ。今日はよく頑張ったから、と言い訳をしながら。

楽な方楽な方へ流れていくのを実感する。曲を作るという苦しみの果てに待つ歓喜よりも、目の前のよく冷えたビールや美味い肴にありつけることの方が重要だった。空き缶を重ねるうちに万能感がやってきて、明日にはきっと出来るだろう明日にはきっと完成するはずだと言い聞かせた。眠りにつく前の一瞬、悪魔がやってきて「お前には才能なんて無いよ」と囁いていく。朝まで眠れない日々が続く。

2週間ほど経って、ようやく満足のいくメロディーが出来上がった。歌詞を書く作業に移るが、ここがまた難しい。全く、一切、アイデアが浮かばない。完全に皆無である。何度も歌う。なにか発想の発端になる詩が突然出ることを期待して、あらゆる言葉を使ってイメージを探る。この歌はどんなことを歌うべきなのか、どんなことを歌われたいのか、それを自分が確実に理解していなければ、台無しになるという予感があった。怖気付く。

そこからさらに2週間。ようやく、本当にようやく出だし4行の歌詞が出来た。手応えもあるし、イメージも膨らみつつある。この調子で進めていけばなかなか良い歌が出来るというような感覚も充分にあった。さて、ここからが正念場である。そのイメージを逃さずしっかりと捉え最後まで集中して臨めば、久方ぶりの新曲が完成する。これは腰を据えて挑まねばならん。

と、ここまで来て俺はギターを傍らに置き、やおら冷蔵庫で冷やしたビールを飲り出した。なぜか。理由は簡単である。

「今日はもういいや、よく頑張ったし…」。

冷たいビールが喉元を過ぎていく爽快感にあてられ、どんどんと酩酊していく。さっきまでしっかりと捉えていたはずのイメージは少しずつ離れていく。離れていくたびに「いやぁ、無理に頑張ったって、良い歌が出来るとも限らないしね」とこの期に及んで呆れ果てるほどの自堕落な言い訳をする。部屋には俺以外誰もいないのに。

いつのまにか酔い潰れて眠っていたらしい。
日付を跨いだころ、目が覚めた。テーブルには空き缶が4つ。日本酒もいったらしい。小皿には固まった醤油がこびりついていて、台所に運び水をかけながら、ついでに顔を洗う。洗面所で鏡を見ると、浮腫みきったひどい顔がこっちを見つめている。

布団に寝転び、携帯をいじりだす。
Twitterを開く。トレンドには
「ルックバック」
とあった。

この日、藤本タツキの最新の読み切り『ルックバック』が公開された。
多くの人がそうだったように自分も『ファイアパンチ』で凄い作家が現れた!と注目し『チェンソーマン』にどハマりしたクチである。コアな漫画通はそれ以前から氏の才能に惚れ込んでいたが、俺もこの読み切りが公開されるのを楽しみに待っていた。150Pに及ぶ大作と聞き、事前情報を持たず早速読むことにした。

俺は泣いた。泣きじゃくった。
そして大いに焦り出した。
こんなことしてる場合じゃない、と。
やらなきゃいけないことがあると思った。

深夜二時。再びギターを携え、譜面と睨み合いながら歌い出す。一度離れたイメージをまた捉えるのは容易な事ではなかった。あまりにも無様で、スタイリッシュでない、原始的なやり方で一行ずつ歌詞を書いていく。優れた作品に触れた刺激でさらっと書き上げるといったものではなかった。
むしろ、その時俺の感情は創作から最も遠いところにあったと思う。ただ突き動かされたのだった。『ルックバック』を読んだという、感情のうねりだけを当てにするしかなかった。集中力はとっくに切れていた。頭もパンクしそうだった。
いい加減眠りたいし、さっきの酒だってまだいくらか残っている。コンディションはボロボロ。サイテーの最悪。うまくいく保証もない。でもやるしかない。今やらなかったらもう二度と曲なんて書けない。曲を書けない俺に価値なんてない。

朝方、ようやく歌詞が仕上がった。
満足いく形になったかどうか定かではない。
ただ完成したという事実に打ちひしがれていた。
嬉しかった。

後日、スタジオでデモを録り、バンドメンバーに送る。9月のライブで演奏したいといって託す。コロナ禍に加え、うちのバンドは今年メンバーの半分が結婚し、ひとりは父親になる。アレンジに割ける時間は限られていたが、たとえ未完成であってもどうしても新曲を演奏したかった。

その新曲には「思春忌」という名前をつけた。
一体どれだけの人がこの歌を気に入ってくれるかわからないが、俺は、この歌を、今の俺が作れる最高傑作だと思っている。

今晩、そのライブ映像を公開する。
是非聴いてほしい。


『思春忌』

美術部は東棟三階奥
油絵の匂いが染み付いてた
あの人の筆には獣がいる
野性の獣が宿っている

睨むような瞳 あの人の絵
怒りと迷いに満ちているような
あの人が孤独と闘うなら
私の恋など押し殺そう

キャンバスへと吸い込まれる午後の夕暮れ
放課後より愛を込めて 描け今を

青春はまだ終わらない
 
合格は悲劇か喜劇なのか
私の自画像は測りかねる
あの人は美大へ学を求め
部室に別れを告げていった

キャンパスまで追いかけるとその背見つめて 
胸に誓い筆を握る 足掻け今を

初恋はまだ終わらない

冷静と冷静の隙間 魂だけを携えて
一瞬の閃光に三年を 磨け今を

青春はまだ終わらない
初恋はまだ終わらない

青春はまだ終わらない
初恋はまだ終わらない

美術部は東棟三階奥
野性の獣が棲み着いてた

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