9月2日

小学生のころ「むかしの遊びを知ろう」という名目で、ある日独楽(こま)が学年全員に配られた。
木で出来た独楽に自由に色を塗り、遊び方をレクチャーしてもらうと、覚束ないながらも次第に骨を得ていく。原色一辺倒で塗り潰された独楽も回転を加えると複雑な色彩を生み出し、クラスメイトと対戦をおっ始めればそれはもう、最高に白熱した。

驚いたことに、与えられた独楽は翌日からも学校に持ってきてよい、という教員からのお触れも出た。休み時間はグラウンドで走り回るかボールを投げるかしか選択肢のない小学生にとって、この思いがけない規制緩和は"一大独楽ブーム"を生む充分なきっかけとなった。

翌日、みな愛機を片手に登校し、休み時間になるや教室の後ろを陣取り一心不乱にバトルをおっ始める。勝ったり負けたりの繰り返しだが、奇妙な面白さがそこにはあり、授業など楽勝で上の空で独楽にかける想いはみるみる爆発していく。その勢いは留まることを知らなかった。

独楽ブームが起きてから数週間後、クラスメイトのひとりが見慣れない独楽を懐から出してきた。
それは我々の所有する民芸品感丸出しの木独楽と違い、ブリキの缶に塗装が施された通称"缶ゴマ"と呼ばれる独楽だった。人の手によって塗られたカラーリングはそれはそれは美しく、ひと度回せば木ゴマのそれを遥かに凌駕する美しい回転色を生み出すのだった。さらには、木ゴマよりも軽量なため気品に満ちたスピード感を持ち、まるで生きた魚のように瑞々しく動き回るのだった。

この缶ゴマの出現により一大独楽ブームは決定的なものとなり、学年全員が熱病にあてられたかのように寝ても覚めても独楽に興じるようになった。

独楽ブームはさらに勢いを増す。
缶ゴマの出現からさらに数週間が経ったころ、ある日、鉄で出来た通称"鉄ゴマ"が席巻するようになった。これは本体そのものこそ木で出来ているものの、相手の独楽とぶつかる際に最も重要な、側面の部分が鉄で出来ており、おまけに軸足までもが鉄で出来ている、という凶悪なものだった。

野性味溢れる強烈な攻撃力と、場を最後まで支配する圧倒的な持久力によって、鉄ゴマは学内ナンバーワンシェアを誇るようになった。誰も彼もが鉄ゴマを用いて、バトルをする。もはや鉄ゴマでなければ闘いに参加する資格すらない、と言わんばかりに、猫も杓子も鉄ゴマを愛機としていた。

さてそんな中、筆者である私は、しかしそれでも木ゴマ一筋を貫くのだった。缶ゴマが出現したあたりからうすうすわかってはいたが、木ゴマは最弱である。持久に乏しいし、何より攻撃面で致命的な弱点があった。鉄ゴマ同士がぶつかればカキンカキンと重厚な金属音を奏でるのに対し、我らが木ゴマときたら、どれほど勢いよく立ち向かってもコッスンコッスン…と貧弱な、あまりにも貧弱な音しか聴こえてこないのである。参加者の99%が鉄ゴマを用いる中、私はそれでもひたむきに木ゴマ使いとしてしつこくバトルに参加していたのだった。

理由として、まず挙げられるのが愛着だろう。
"学校側から玩具が与えられる"という理外の趣にいたく感動したし、何より自分で色を塗って、雨の日も風の日も回してきた世界にひとつだけの独楽である。それがお話にならないほどの雑魚っぷりだったとしても、それでもなお木ゴマを使用することに一種の美学を感じていたのだった。それに木ゴマといっても、数十回に一度は勝利することもあり、最強と謳われる鉄ゴマを用いての手堅く積み重ねた百勝よりも、最弱と悪名高い木ゴマを用いての下剋上の一勝にカタルシスを得ていたのだった。

参加者全員が鉄ゴマ、または改造を施した缶ゴマなどを使う中で、裸一貫の木ゴマにパンクスの精神を感じていたのである。

くわえて、当時我が家は、我が家史上最大の貧困に喘いでおり、主な原因は開業したばかりの父の店がスタートダッシュに思いっきり躓き、閑古鳥が群れをなして鳴きまくってる状況にあり、とてもじゃないが缶ゴマや鉄ゴマを買ってくれ、と言える状況になかった。それまでそこそこ羽振りのよかった我が家も、その年からお小遣い制度の廃止、クリスマスプレゼントの廃止、誕生日プレゼント制度の廃止、日々のおかずのグレードダウンなど子どもながらに心配になるほど、とにかく金がなかった。余談だが、ある時店の売り上げをつける帳簿をのぞいてみたら3日連続で誰ひとりとして客が来なかった、ということがあった。売り上げ0が3日連続。あとの日はせいぜいが数千円という有様である。あの頃、我が家は貧乏だった。

以上の理由からしつこく木ゴマ流免許皆伝として日々敗北を積み重ねてきた私だったが、ブームは所詮ムーブである。次第に独楽ブームの熱もだんだん冷め出したらしく、ひとりまたひとりと教室の隅っこからグラウンドへ、ボール片手に飛び出していく。誰も独楽に見向きもしなくなった。

残ったのは私を始めとする筋金入りの陰キャラ軍団、通称チンカス5(ファイブ)のみであり、どうせグラウンドで出たところで一子相伝の運動音痴っぷりを発揮してみっともない想いをするだけなのだから、それならまだ独楽でも回してる方がマシというものである。もはや楽しいとか面白いとかそういう価値観ではなく、独楽を回してる方がまだマシだから、という半分意地のような気持ちでバーサーカーよろしくの一握の熱意のみを携えて独楽を回すのだった。

途中、UFOゴマなる形状も独特なら動きも独特の新型独楽の出現により一瞬ブーム再興の兆しもあったが、やがてすぐに廃れた。小学生というのは一度冷めてしまえばもはや徹底的に冷めるものであり、どうで、かつてのブームを取り戻すことは終ぞ叶わなかった。

私も次第に情熱を失い、あれほど相棒のように四六時中一緒にいた木ゴマもいつのまにか紛失し、独楽ブームは完全に終焉を迎えるのだった。

しかし今でもあの狂乱の日々を思い出す。
全員が涎を垂らし、白目を向いて、全身の細胞がどうかしてしまったのかというほど熱中した独楽ブームのころをときたま思い出す。何度敗北しても木ゴマを持って果敢に挑戦したあのころをときどき思い出す。美学を貫いたあのころをたまに思い出す。私は、あのころが、私の最も燃えていたころではなかっただろうか、と考えることもある。だがしかし。勝負はまだついてない。見たまえ、私の木ゴマを。僅かではあるが、頼りないが、みじめだが、ぶざまだが、まだ回っているじゃないか。私の独楽は今もかすかに回っているのだ。本当にかすかだが、回ってないに等しいが、見たまえ、あれから20年以上も、私の木ゴマは静かに回り続けていたのだ。私も同じように回り続けていたい。たとえ闘う者が、誰もいなかったとしても。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?