12月2日

「ぽぽぽぽぽ」

俺は手から大量のいくらを出せる。
珍しいことではない。
科学の発達と人類の進化により、人間はいつのころからか"手からなんか出す"超能力を備えるようになっていた。

腹が減ると、皿の上にたなごころを構える。軽く力めば、ぽぽぽぽぽっと大量のいくらが出てくる。それを炊き立ての白米にのせて、醤油をかけてかっ食らう。もちろん金はかからない。出せる量に制限も無い(やろうと思えばこの世界をいくらで埋め尽くすことも可能だ)。食べ過ぎて身体を悪くするということもない。生まれながらに、ぽぽぽぽぽっといくらを出す超能力の持ち主なので、プリン体やコレステロールなど、身体に悪影響を与える物質への抗体が出来ている。

加えて、俺は無類の魚卵好きときてて、食卓には毎日いくらが並ぶ。
パスタやクラッカーにのせるのもおつだが、やはりほかほかの白米にのせて食うのがいちばん好きな食い方だった。

今日も俺はいくらを出す。
ぽぽぽぽぽ。

俺には結婚して3年になる嫁がいた。
俺にはもったいないくらい気立てのいい、良いとこの娘で、俺たちは良いコンビだった。もちろん、嫁も"手からなんか出す"超能力を持っている。
嫁の場合は"白米"だった。

"手から出るもの"に関して、遺伝による因果は現在のところ見受けられない。
俺の父親は手から味噌を出すし、俺の母親は手からトマトを出す。じいちゃんはナタデココを出せる。

だが、嫁の実家は世にも珍しい、代々、米を出す超能力を持つ一族だった。嫁の父も、その父も、さらにその父も、みんな手から白米を出す能力を携えていた。そういう背景もあって、嫁の実家は大きな米穀店を営んでいた。味も抜群ときて、俺は学生時代、自分が出すいくらに最も合う米を探している際に、この米穀店に立ち寄るようになり、今の嫁と出会った。

嫁も自分が出す白米の出来には絶対の自信を持っていて、要するに俺たちは食うことに困らなかったのだ。

食うのに困らないのは、なにも俺たちだけではなかった。誰もが"手からなんかしら出す"超能力を持っているので、誰が何を出せるのかを自治体が把握する制度ができていた。持ちつ持たれつ、例えば砂糖が無いなら佐藤さんちに、酒が無いなら酒井さんちに、といった具合。なにせ出せる量に制限がないものだから、物々交換で大抵のことは事足りるのだった。

それでも日用品、服や歯ブラシなど生活に必要なものを買う金は稼がなくてはならないので、皆、なにかの会社に入って働いていたが、たいてい自分の能力を生かした仕事に就いていた。俺も、嫁の白米と俺のいくらでいくら丼屋を経営している。稼ぎは少ないが、食費にかかる金もそれだけかからないので、月に10万円も稼げば生活には困らなかった。
元手がかからないのも助かった。

つくづく良い時代になったものだ。
今日もおれは愛する嫁がぽぽぽぽぽっと出した白米の上に、好物のいくらをぽぽぽぽぽっとたんまりのせてかっくらう。ぷちぷちとした食感が楽しく、醤油の塩気が食欲を唆る。それを受け止める嫁の白米は今日も上手に炊き上がっている。ぽぽぽぽぽ。ああ、美味い美味い。
ぽぽぽぽぽ。おかわり。ぽぽぽぽぽ。

嫁の妊娠がわかったのはその年の暮れのことだった。俺たちは待望の第一子に喜びを隠せなかった。名前は何にしようか、男だろうか女だろうか、どっちに似るだろう、いくら話しても足りなかったが、話題の中心になるのはやはり"うちの子は手から何が出るのか"ということだった。

俺は元気に生まれてくれるならなんでもよかったが、嫁は最近はタピオカが流行っているから、手からタピオカがぽぽぽぽぽっと出せたら素敵だ、と冗談めかして言っていたが、俺が、その頃には廃れているよ、と言い、夫婦で笑った。

ところで、子どもが何を手からぽぽぽぽぽっと出すのかわかるのは、通常、最低でも生後5年はかかる。巷では早期から特殊な教育を受けさせ、自分たちの望むものを出させる教育法が流行っていて、
嫁も、是非その教育を受けさせたいと早くから話していた。熱心にパンフレットを持って帰っては熟読し、どこそこのベビースクールでは、3歳で唐揚げを出せるようになったとか、どこそこじゃ最高級の蟹を出せる子がいるとか、ずいぶん入れ込んでいた。

そして翌年の秋に俺たちの息子は生まれた。目に入れても痛くないとはこのことで、俺たちは本当に大切に育てた。

そして5年の月日が流れた。

今日は息子の5歳の誕生日。
おそらく今日あたり、うちの息子は手からなんか出す能力が開眼するだろう。嫁は生後1歳の頃から息子をベビースクールに通わせ、より良いものを手から出す超能力教育にとても熱心に取り組んでいた。俺としては自然に委ねたかったが、どうしても、というので従った。

息子の好物の唐揚げを食べ、ハンバーグを食い、ケーキを食べながら盛大に祝った。もちろん、俺たち特製のいくら丼も。プレゼントも喜んでくれた。息子お気に入りのアニメ番組をテレビで流しながら、とにかく、それはもう盛大に5歳の誕生日を祝ったのだった。

食事を済ませて、嫁が洗い物をしているのを背中に、俺は息子と戯れあって遊ぶ。ほんの少し前まであんなに小さかったのに、子どもの成長は早いものだ。感慨深い思いである。そうして戯れていると、はしゃいでいた息子が急にぴたりと動きを止め、手を前に差し出し、ぶるぶると震え出した。手からなんか出す能力が発動する前兆らしい。俺はすぐさま嫁を呼んだ。

「おい!いよいよだぞ」

「まあ!とうとうなのね」

息子は顔を真っ赤にしながら、ふーっ!ふーっ!と呼吸を荒くしている。間違いない。手からなんか出す能力の開眼だ。

「パパ、ママ、手からなんか出る」

俺と嫁は息子の背中と肩に手を置き、その瞬間を固唾を飲んで見守る。そして遂にその時がきた。

ぼとんっ。

なんか出た。

でかい。でかすぎる。

なんだこれは。

俺と同じくらいの大きさがある。

息子はぜえぜえと疲労困憊の様子。
嫁は顔面蒼白になっている。

息子の手から出てきた"それ"を俺は眺めた。動いている。生きている。血がついている、手足がある、指も、眼球も、鼻も、口も、性器も、臍も。

"それ"はカッと眼を見開き、そして立ち上がり、後ずさる俺たちの前に仁王立ちしながら、手をかざし、言った。

「ぽぽぽぽぽっ」

ぼとんっ、ぼとんっ、ぼとんっ
ぼとんっ、ぼとんっ、ぼとんっ
ぼとんっ、ぼとんっ、ぼとんっ

次々と"それ"とまったく同じものがぽぽぽぽぽっと出てくる。そして出てきた"それら"もまた同様に仁王立ち、手をかざし、ぼとんぼとんと、同じものを出す。俺の家はあっという間に"それだらけ"になった。

"それ"で埋め尽くされていく部屋の隙間からテレビが見える。息子お気に入りのアニメ番組が急に放送を取りやめ切り替わった。

「臨時ニュースです、本日未明、世界各国で人間から人間が出る能力が各所で報告されています。現在、爆発的なスピードで人間が増えています。このままでは10時間後には地球は人間で支配されてしまいます。世界の皆さん、一刻も早く逃げてください」

俺は嫁と息子を連れて逃げた。
逃げながら、思った。

どこへ?



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