4月11日

言わずもがなの日々が続く。

生来の出不精が功を奏したか、外出自粛に関しては然程困ってはいない。楽器に触れたり、ゲームをしたり、漫画を読んだり、長風呂を楽しんだり、酒をきこしめたり。そんなふうにしている。

どんなに楽しみな予定も、当日になると俄然億劫になる性質なので、ここしばらくの堂々たるindoorlifeにはいくらかの張り切りも見えた。

だが、職場は営業時間の短縮が決まって、収入は大きく減ってしまった。予定していたライブも、まだ未発表だったライブも、何本か飛んだ。影響は自分にも、はっきりとした実体を持って迫っている。

なるべくハッピーに、なるべく気楽に、なるべくなるべく…と呪文のように言い聞かせてはいるが、この"なるべく"は果たして何に"成るべき"ものなのかと、自答なき自問ばかりが頭の中をぐるぐると駆けめぐる。日毎に変わる情勢の中で、段落ごとにベストの結論を求められることに、いささか疲れてしまった。

それでも、言わずもがなの日々は続く。

自分はこの期に及んで、未だ自分の中に確固たる考えを持てないでいる。

およそ言いたいことはもう誰かが話してくれていた。大切な人を失わないために、いま出来る個々の配慮。それでも貫きたい信念。のっぴきならない生活。政府への疑問。どの判断も尊重すべきものであるし、どの考えにもなるほど一理あるのだった。

考えるべき問題、出すべき結論はごまんとある。言葉に出来ないものの、自分の中にふわふわと漂う"それら"を未だ掴めないでいる。掴めない、というより、掴むことに躊躇が見える。

何を憂い、何に怒り、何に声を上げねばならないのか、見えたとして、それを発信することに本当に自分自身が納得できるのか、匂いなき糞便が腸に溜まったままの毎日。

それでも、言わずもがなの日々は続く。

去る4日は昭和町でライブだった。
店は開けつつも、生配信を主にした小規模なイベントだった。それでも歌えることが有り難かった。自粛要請が出された今、あちこちのイベントの延期や中止の報せが続々ある中で、歌える場を設けてくれた事が、たとえ賛否あるにせよ、それが配信であるにせよ、単純に嬉しかった。

店まで向かう道中に電車を使った。このご時世に、楽器を持って、のこのこ電車に乗り込めば、周囲にネガティブな感情を与えてしまうのは分かりきっていたし、実際、周囲の人たちも言葉には出さないものの、一家言あるといった表情を浮かべていた。

そういう気配があったので、車内は空いていたが座らず、隅の方で、楽器を隠すように、こそこそと、目的地まで所在なく過ごすのだった。

ギターに申し訳なかった。
自分にとって宝物のギターに、肩身の狭い思いをさせてしまったことがとても悔しかった。

仕方ない、と思った。
何を言おうが、どういう事情があろうが、周囲の人たちからすれば、楽器を持ってる人はいまは特に刺激的に映るだろうし、かといってひとりひとりに事情を説明するのも現実的じゃない。何よりここでトラブルになっては必死に頑張っている周りのバンドマンや関係者たちに申し訳がたたなかった。

静かに、密かに、目的地まで無事に着くために、耐えるしかなかった。すごく辛かった。

例えではなく、誇張でもなく、自分に自殺を踏みとどまらせたのは、このギターがいてくれたからで、ふたりでこさえたたくさんの音楽は自分にとってかけがえのない財産だった。

食べていけるような人気がなくても、ほとんどの人間に解ってもらえなくても、このギターで自分を表現できることは、自分が生きていく上でものすごく大切なことだった。

ギターの気持ちを思うとやりきれない。

楽器はウイルスに侵されたりしないのに、人間の都合で振り回されて、ましてあんな扱いを持ち主からされてしまって、本当に傷つけたと思う。悪いことをした。ごめん。

そういう中で迎えた本番、いつも以上に深く鳴ってくれた。俺の気持ちを汲んでくれたのだろうか。

配信でのライブは無事に終わり、少し話したあと帰路についた。マスターはその日のチャージのありったけを、俺たちにギャラとして渡してくれた。大変なのは知っていたので、受け取れないと言ったが「いいんだ、来てくれてありがとう、歌ってくれてありがとう」と言ってくれた。報われたような気持ちになったし、一日でも早く、何らかの形で恩返ししたいと思った。

言わずもがなの日々はその後も続いた。

ここ数日は特に天気も良い。気温もちょうどよくて、お出かけや花見にはうってつけの日々だ。今年は砂子水路で船の上からソメイヨシノを眺めて楽しもうと思っていたのに、それが出来なくて残念だ。寝台船のイベントも出たかった。バンドのメンバーたちとも飲みに行きたいし、恋人と午垂もしたい。友達と温泉に行く計画もしばらくはお預けだろうし、プロ野球も楽しみだったのに、残念極まりない。

本当に早く、一日でも早く、もとの日常に戻ってほしい。春の自然の美しさを肌で感じたい。
それも、もちろん言わずがな、だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?