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ボツにした話 ② ③

最近、Noteに農業を始めた頃に静岡新聞の農業欄「こだま」に書いた記事を載せています。
懐かしく思う内容もありますが、悩んでいたことは10年たったのに全く変わらす、10年前の自分に励まされているような感じで読み直しています。
農業欄「こだま」は静岡県内の農業者が1年単位で交代で書きます。どんな人が読んでくれるのかなぁと楽しみと不安の中で書きましたが、改めて読み直すと今の自分を励ますために書いていたんだなぁと思ったりしています。
何を書こうかなぁと考えながら書いていたので、ボツにした原稿がいくつか出てきました。
投稿しなくてよかったなぁと思える記事ばかりですが、始めたころの想いとして書き留めることにしました。(2024年)

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ボツにした話 ②

目指しているのは「身土不二」

「いつか農業をやりたいなぁ」と考えていたものの、では何をやればいいのか、なかなか見つけることができませんでした。考えてみると、工業の世界は建築、土木、機械、自動車etcと別れ、それぞれ全く違う技術や感性が求められているから、「いつか工業をやりたいなぁ。」というような言い方はしません。
自分は最初は茶業を、次の花を、その次に野菜をやろうと考えました。野菜に関しても、イチゴにしようかトマトにしようかと悩みました。最終的に「少量多品目の有機野菜の生産直売」と決めたのは、「身土不二」の考えです。
「人間の身体は住んでいる風土や環境と密接に関係していて、その土地の自然に適応した旬の作物を育て、食べることで健康に生きられる」という仏教の考え方ですが、自分はこれを生物の光合成と窒素同化に絡めて、こんなふうに考えています。
植物は光のエネルギーを使って、二酸化炭素と水から炭水化物を作ります。そして、根から吸収された窒素を結合させてアミノ酸やたんぱく質を作り、こうしてできた食物を食べて私たちの体が作られます。そこで、住んでいる土地で育った食材を食べ続けると、どういうことになるかと考えると、「自分の体の内側も外側も全部同じものからできている」ことになります。
同じものということは、自分の内と外の境界線がないわけで、心だけが浮遊しているわけです。そんふうに心の底から考えられたら、目先の物事にとらわれている自分がとても小さく感じられるような気がしませんか。


 


ボツにした話 ③

身土不二について

「いつか農業をやりたいなぁ」と考えていたものの、では何をやればいいのかについてはとても悩みました。考えてみると、工業の世界は建築、土木、機械、自動車etcと別れ、それぞれ全く違う技術や感性が求められているから、「いつか工業をやりたいなぁ。」というような言い方はしまないし、その程度では雇ってももらえません。
最初に考えたのは茶業、その次が鉢花、その次がトマトで、いろいろと研修や見学もさせていただいたのですが、そこに飛び込んでいく勇気を持つことができませんでした。
そんな中で出会ったのが「身土不二」という言葉です。「人間の身体は住んでいる風土や環境と密接に関係していて、その土地の自然に適応した旬の作物を育て、食べることで健康に生きられる」という仏教の考え方です。
植物は光のエネルギーを使って、二酸化炭素と水から炭水化物を作ります。そして、根から吸収された窒素などと結合してアミノ酸やたんぱく質を作り、こうしてできた食物を食べて私たちの体が作られます。そこで、住んでいる土地で育った食材を食べ続けると、どういうことになるかというと、「自分の体の内側も外側も全部同じものからできている」ということになります。同じものということは、自分の内と外の境界線がないわけです。自然の中に包まれ、周りの光や空気や水や土が自分の体と一体となっていて、心だけが浮遊している、そんな感じに、心の底から考えられたら、目先の物事にとらわれている自分がとても小さく感じられるようになれるのではないか、そんなことができたら、「育てる人、食する人、地域の人がしあわせになれる。」そんなことを考えて、少量多品目の野菜を育てて直接お客様にお届けする農業を始めることとしました。
実際始めると、少量多品目は効率が悪いし、農薬を使用しない育て方はトラブルが多いし、自分で売ることはとっても難しいしのですが、スタッフが楽しそうに農業に取り組んでいたり、お客様が元気になったといってくれたりするし、何より自分自身が楽しいしので、これで良かったと思っています。あとは、成功モデルを作るだけです。


10年後に思ったこと

 これらの記事はPCフォルダ内に「未掲載・検討中」と書かれて残っていました。 これ以外にも「元原稿」という形で同じようなことが何度も書いてありました。
 身土不二の考えが整理しきれていないのと、身土不二を自分に都合がいいように利用しているようなところが気になって掲載できなかったと思われます。

 文章能力の未熟さ、人間力の未熟さ、やっぱりボツ(未掲載)にしてよかったんだなぁと思います。
 10年たって改めて書こうと思いてみようと思います。
(2024年7月に記す。)


【記事の出典元について】

しあわせ野菜畑の代表の大角は、静岡県高等学校の農業教員でしたが、47歳の時に退職し2008年に農業を始めました。 教員生活は大変楽しく充実していましたが、農業経営者として自分自身が農業の可能性に賭けてみようと考えました。
起業して7年目の2014年4月から1年間、地元の静岡新聞に農業経営者の声「こだま」を毎月2回書かせていただく機会がありました。
「こだま」は農業者が交代で書くことになっており2015年3月で終了しましたが、その後、毎月1回農業欄のコラムとして「野菜が好きになる話」を書かせていただくこととなり、現在も続いています。
野菜宅配セットをお送りしているお客様にお届けしているニュースレター「しあわせ野菜新聞」、それからNoteの文章は、静岡新聞の農業欄「野菜が好きになる話」が元原稿になっています。

今回の記事は2014年に書いた「こだま」の原稿です。
当時とは、現状が変わっている部分も多いのですが、自分自身の原点としてそのまま記載しました。

今後、第2版として、「その後」の文章や写真を加えたりしたいと思いますが、まずは「農業で起業したころの想い」としてお読みください。

「ボツにした話」
第1版 2024年9月1日発信
 
(出典元)静岡新聞農業欄「こだま」に掲載しようとしてやめた話
(PCフォルダ内より)

#しあわせ野菜畑
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