文化人類学の視点からつれづれなるままに

流行りのリベラルアーツ的なもので文化人類学の学者の話を聞いた。

人類は不確実なものを削減し、それによって安心で安定した社会をつくってきた。

しかし、人類は不確定なことや不確実なことを使って社会を創ってきた。

創造性を育み、芸術を作ってきた。

しかし、現代のようにグローバル化が進み、属性の境界が曖昧になり、社会が不安定化していくと、さらに不確実性を敵視するようになる。

こうなると不確実性にかけてみることや、試しにやってみる、といった行為を失う。いろいろなものを失っていることにやがて人類は気づくのではないか。

確実でないことのもたらすよろこび。
確実でないことにひとは人間味を感じるものだろう。
未来を予測して、リスクを回避しなかったからだみたいになってしまうと、
人間の人生や人の生き方にはままならないことがたくさんある。

それは個人の努力や資質によって、コントロールできないものだ。
相手が自分のままならなさを認めてくれていないことは大きなストレスになる。

ままならさは、人を寛容にすることもできる。
ままならなさと不確実なもの、複雑なもの、それらをそのまま受け止めることが重要。

一方で、テクノロジーや経済的効率性が不確実を嫌う。
複雑なもの、不確実なもの、ままならないものをどううまく活かして生きていくか。

単純化されて、確実なものはマックスウェーバーが言うところの鐡の檻化して、計算可能、代替え可能な平均人化し、沈みゆく船の座席争いをはじめる。そして現実とはかけ離れ、人々は生きる力を失いパワーレスな状況に陥る。

それが今か?

「仮定の話は無意味よ。物事には複雑な要因が絡んでいて、私たちには手に負えない。」海街チャチャチャより

未定稿・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?