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note沼にハマってる B

Twitterと出会ったときみたいな感覚。違いは自分で描く世界が140字に制限されないこと。よくも悪くも。

発信する内容の質は自分の人生の豊かさに比例すると思う。退屈が続いていたときは発信する内容がないとも感じるが総じて振り返ってみれば楽しくかけているようだ。

多分50日くらい発信していると思う。日々積み重ねるとはこういうものだろうか。いや、もう少しうまく積み重ねることができるイメージもある。ただ積み重ねることが大切なのだろう。

今日も高らかに言おう。noteのフォローとスキお願いいたします。

元々自分から何かするのが得意な方

エネルギーはない方だとは思うのだが、基本的に何かするアクションは大体私からはじまるようなイメージがある。

言葉にするなら「積極性はないが主体性はある」のだろう。積極性と主体性は同じようなイメージで語られることが多いがしっかりと意味が違うようだ。

なるほどね、言葉の感度が高いのかもしれない。だからといっていいことばかりではないが。話を脱線させるな。

思い返してみれば、若いころは東京から鳥取までぶっ続けでドライブした。無謀にも程がある。実は頭悪かったりするのか。

という感じで日常生活におけるエネルギーは高くないが、いざというときは何かに突き進むようである。それがnoteに今は向かっているようだ。

かれこれ50日くらいは続いている

なんだかんだ言いながら、これだけのアクションを50日続けた経験はない。いわゆる三日坊主というやつだ。今回はその三日坊主が三日おきにきているようだ。

発信してみて気づいたことはあって、案外他の人に見られていることだと思う。5万RT超えのツイートを一本持っていたのだが、そこに少し宣伝がてら書いたブログの閲覧数にせまる。

大体、2000ビューくらい。多分この記事が公開されるころには全体の閲覧数がどっこいどっこいになっている。継続は力なりか。

これにもっと力を持たせるにはやはり継続して発信していかなければならないのだろう。仙人はまだ力が欲しいあたり仙人になれてないようだ。

一方で50日で拾いきれなかったものの反省がある

8月の目標の進捗状況は体感20%程度。しかしそれ以上に問題にしなければならないのが、記事の格付けができてないことである。

記事の格付けに関しては、この翌日か明後日のnoteで取り扱おう。主観的で定性的な議論だろうがかなり自分としては有意義になると思う。

先日のnoteでも書いたが私はどうやら未来に向かって言葉を投げかけることが苦手なようである。つまり、目標を立てるのが苦手なのである。

なかなか目標を立てるというのは難しいようだ。目指すべき未来に向かって言葉を投げかけるのだが、その目指すべき未来はどうやら遠い先にある星のようで一長一短に現実の行動に落とし込めない。

というよりはむしろ落とし込んだ行動に対して的確に実行できてないのだろう。ということは「実行するのが苦手」なのかはじめて気づいた。(本当にはじめてか)

今の仕事で学ぶのは現実は複雑怪奇で面白いということである。だからこそ実行するのは「大変」なのである。それを「めんどくさい」と捉えるか「ふーん、面白いやってやろうじゃん」って捉えるのは別だが。

次の50日で何が変わっているか。

次の50日で年をとるかもしれない。時間というのは無情にも流れていくようだ。結婚相手を見つけているかもしれないし、仕事に追われているかもしれない。

ただ楽しくnoteにしようと思う。それさえできれば多分大丈夫だと思う。

今、ここにいる自分でしか経験できない景色を「書いて」いこう。それはやはり私にしかできないことだと思うから。

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