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1冊のマガジンが持つ破壊力【日本一(になるため)のnote論2】

「悪名は無名に勝る」。個人的には嫌いな言葉なのですが、「成功」に渇望する人々には好かれている言葉のようです。無名のまま自由に好き勝手暮らしていければそれに越したことはないのですが、どうやら今の世界はそれを許してくれないようです。であれば正当にある程度有名にならなければならない。正当とは「有名になる価値がある人が有名になること」を指します。

文章を発信している人は基本的に「誰かに届けるため」に発信しています。(そうじゃない人もいることは理解しているつもりですが、ここでは本筋とはズレるので割愛します。)ここでサムネに立ち返ってみましょう。

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この4つの本が並んでいた時、手に取られるのはどの本でしょうか?

答えは、「恐らく赤い本」です。理由は目立つから。

ちなみに他に考えられるユニークな回答を2つほど箸休めに考えてみましょう。(箸休め早いな)

「赤い本以外の3つの本」…赤い本が手に取らせるための巧妙な手口と読み切っていい意味でひねくれた方はこういった答えを思いつきます。こういう方は面白いのでぜひTwitterに連絡をください。

「そもそも手にとらない」…問題の前提となる「本を手に取る」を覆します。なぜ私が本を手にとらなければならないのか、そんな反感をもったあなたは面白いのでぜひTwitterに連絡をください。

少し話が脱線しましたが、この問題の主旨は「いかに目立つことが活動を知ってもらうために大切か」を明白にすることです。(その主張をする割にはサムネが地味過ぎやしないかというツッコミは受け付けません、その通りです。)

仮に赤い本が手に取られる世界が今私たちの前に広がっていると仮定すれば、本屋でカラフルな表紙の本が並んでいることもうなずけますし、Youtubeでド派手なサムネが飛び交うことも理解できます。

本題はここからです。

noteで赤い本になるためには?

目的はnoteにおいて赤い本になること、すなわち「目立つ」ことです。ここには一つ私の場合条件がつきます。それは「正当な評価をされて」という条件です。

そこで出てくるのが「マガジンの設定」になります。

マガジンの破壊力

noteはその性質上どうしても読まれることを意識したときに一つの記事に書ける文字数が限られてきます。人間が一分間に読める文字数を500と仮定したとき、2500字の文章であれば5分、10000字であれば20分にかかります。

読むのに20分かかる文章ってなかなか読むハードルが高いのではないでしょうか?もし、読んでみて大したことなかったらちょっと残念に感じてしまうような気がします。

一方で、一定の内容で書き続けている限り、文字数は増えれば増えるほど内容の厚みは増していきます。一人の人を紹介するのに3行使ったとすれば、30行あれば10人。300行あれば100人の人を紹介することができます。

しっかりとした質で物事を表現していけば、文字数が増えるほどその情報量は増えていくことになります。

ここにジレンマが生じます。一つの記事に文字数を詰め込みすぎてしまうと読者が読むのに気が引けてしまう。一方で、文字数が増えれば増えるほど内容としての厚みは増していきます。

このジレンマを解消するのが「同じテーマで書いたマガジン」になります。
マガジンは自由に構成できるため、自分の記事でも他の人の記事でもいくらでも入れることができます。

その「同じテーマで書いたマガジン」によってnoteの発信は「赤い本」になる可能性が大いにあります。

同じテーマで書いた2500字の文章一つ一つは、同じ質で書いたとしたら同じテーマで書いた10000字の文章が与える印象より弱いかもしれません。しかしながら10ならどうでしょうか?100ならどうでしょうか?文字数的にも内容的にも遥かに10000字の文章を超えてきます。

また、同じ1万字という枠組みではどうでしょうか?2500字の文章4つと10000字の文章一つ。私は「起承転結が一つ一つで完結していれば」前者すなわち、2500字の文章をとります。

理由は様々あります。一つは同じテーマで書いていても一つの文章にするときは、一つの切り口からになりやすい(その方が全体としてまとまりやすい)一方、2500×4であれば切り口を4つ設けることができます。それは同じ「しあん」という色であったとしても、青っぽいお話であったり、藍っぽい話であったり、はたまた「緑」っぽい話であったりと切り口を変えることができるのです。

また、息継ぎをしやすいというのもあります。一つ一つの文章が5分程度で読めるのであれば読んでいても疲れる可能性は20分かかるときに比べて少なくなります。

マガジンを作成してみました

他にも4つ程私の発信をまとめたマガジンを用意しております。一つ一つ全力で立ち向かわなければならないのですが、それがあわさったときかなりの威力になるのです。

無名で悪名に立ち向かうことはできる

迷惑系Youtuberや炎上系Youtuberに立ち向かう手段は、そんな動画を見なくても面白い世界を作りあげることだと思っています。面白いコンテンツにあふれいている世界であれば、そんな気を引く行為などたいしたことなくなるはずです。人間がアリ同士の戦いを気にしないように。(ダーウィンが来たは別である。あれは面白くなるような付加価値づけを行っている)

そのためには、(私もそうなのですが)数多くの無名クリエイターがより価値のある発信をしなければならない。その手段が「マガジンの作成」になります。マガジンによって束ねた矢は、悪名の牙城をも突き崩します。

勿論、前提としてしっかりとした内容の発信を続けていること。そしてその内容を自分の中でしっかりとカテゴライズできていることが必要にはなりますが、それができれば、あなたの言葉は破壊力を持ち始めます。

私は面白い発信が見たいですし、あなたの作品を期待しています。世の中のくだらない悪名が「無名だったもの」に塗り替えられていくのが楽しみです。面白くなっていく未来を望みます。

よろしければnoteのフォローとスキよろしくお願いいたします。

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