俺ちゃんはネコである


本文はTwitterにて。
ここに書くのは、彼に関するわたしが見てきたちょっとした考察のようなものだ。

デッドプールという男の本質は、ヒーローという枠には入らない。収まらないのではなく、入らないのだ。彼はどこまでもその中身がただの人間である。だからこそ躊躇なく人を殺せるし、痛みに頓着しない。
それは彼が不死身だからではないか?という声もあるだろう。確かにそうかもしれない。
だが人がその痛みを単なる通過点として認識した時、人は痛みを痛みとして知るだろうか。
彼には死がない。終わりがない。愛する人を奪われても、彼の現実は終わらない悪夢のごとく続く。
ひょっとしたら彼はこう考え、見たことがあるかもしれない。人類も何もかもが滅んだ先に、自分だけが存在している風景を。
それはなんという悪夢だろうか。彼はひどい躁鬱である。躁鬱という症状、特にデッドプールのその生涯や周囲の環境に興味がない読者にしてみれば、彼はあくまで狂人に過ぎないだろう。死なないだけの厄介な男。端的に表せばたったそれだけ、それしかないのがデッドプールなのだ。

多くのヒーローらは彼を避けるだろう。それは彼が救うことのできない存在だからだ。ひたすらにまとわりつく一般人。踏んづけたガムにも似た鬱陶しさかもしれない。
彼自身にはヒーローになりたいという思いがある。ひどく弱々しい、覚悟にすら至らない、信念とは程遠い概念に過ぎないが。
ただひとつ言えることは、彼はヒーローに憧れ続ける必要があるということだ。
彼が復讐に溺れ、悪逆に浸ることに慣れてしまったならば、それは彼にとって今よりも遥かに幸せだろう。だがそれは出来ない。彼はヒーローに憧れているし、どれだけ普通の人間に過ぎないとしても、そこに一抹の希望があるからだ。

スーパーヒーローとは能力によって誕生するのではない。
その信念によって初めて存在しうるのだ。
それは例えどれだけの能力があろうとも、その力を使う方向に意味がなければ意味がないのと同じことだ。
無闇に回る風車は目立ちこそすれ、その役割に意味がなければやがて人々から存在を忘れ去られてしまうように。










──なんてね♪

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