『ヒソカ=モロー その強さの秘密』

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ハンターハンターを詳しく知らずとも、ヒソカというキャラクターを知っている人間はいるだろう。

変態的にして狂気的。作中描写において優遇されているとまで言われ、その強さは本人のモノローグから「最強を自覚している」とまで言われるほどである。

だが、その評価はインターネット上においてあまりに低く見積もられていると断じていい。

曰く『雑魚専』『本当の強者とは戦わない』。この論理が強調されたのは、ある時期において作られた下記の画像がこれらの揶揄に合致するからという理由だけであるという場合が多い。

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コラ画像というのは、ある種のおふざけである。ブラックジョークを始め、ジョークの質としてはあまりよいものとは言えない。何故ならその本質は揶揄であり、クオリティを上げれば勘違いすら生みかねないという問題点を抱えているからだ。

そして上記のこれを初めとした勘違いがイコールでヒソカというキャラクターを貶めているのは間違いではない。

今回はそんなヒソカについて、わたしの得意分野である念能力の考察をメインに記していきたい。あえて彼の人物評については述べない。何故なら良し悪し込みでそれらはこれまで散々述べられてきたからだ。

そもそも、彼の本質や過去について、原作者である冨樫先生は「ヒソカは過去を持たない」とまで言っている。そしてそれを踏まえて、許可を貰いオリジナルの過去編が石田スイ先生によってネーム公開という話などがあった。ヒソカという人物を知りたければ、こういった様々な作家が描いた二次創作を見ればよい。それら全てがヒソカ足り得る可能性を有するからだ。

さて、それでは改めてヒソカの念能力について詳細に考察を交えて紹介していくとしよう。

『伸縮自在の愛(バンジーガム)』

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その性能はシンプルにして奥深く、単純だからこそ厄介極まりない、最凶と言っても過言ではない能力である。では、何が厄介なのか。作中で散々触れられているこの能力の本質。それは、能力に二つの性質があるということである。

すなわちガムとゴム両方の性質を持つということ。

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なんだ、そんなことかと思ってしまうかもしれない。だが考えてほしい。変化させたオーラに二種類の属性を持たせる。これだけの芸当を、戦闘中において展開できたキャラクターが、果たして人間にいただろうか。実はいないのである。

変化系もまた、イメージを源泉としている。キルアの電気に変化させる能力は充電というプロセスを必要としているものの、あれは自らのイメージ補完に利用されているに過ぎない。直接電気を取り込んで使うのではなく、充電というイメージによってオーラを電気に変化させているのである。

ここで、解説の為敢えて現実の話にしてみよう。例えば自転車や車の運転は、慣れてしまえば肉体的な反射である程度こなすことが出来る。念能力でも同じことが言える可能性はあるが、少し考えて欲しい。車の運転などの複雑な操作も、慣れれば簡単かもしれない。だが、車の運転をしながらバイクの運転が出来るだろうか?
可能である、と答える人間もいるかもしれないが、それはもはや曲芸であり、奇術である。

そう、奇術師に不可能はない。

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それはすなわち、この曲芸にも思える芸当にもそれを可能とする種があるということになる。

まず、思い出して欲しいことがある。ヒソカの腕を治療したマチの念糸は変化系によるものであり、これはすなわち自身から離れてしまえばあっという間に脆くなり消えてしまうことを意味している。だが彼女はこの念糸を用いた治療を行っている。これが意味することは何か。

それは、オーラは互いに引き寄せ合う性質を持つということである。

さらに言うのであれば、操作系による他者の操作。これもまた、同じようにオーラが引き寄せ合う性質を利用している可能性が高い。本来であれば他人同士のオーラは異物と思われがちだが、オーラそのものが本質的に引き寄せ合うのであれば「操作系能力は一撃で勝負が決まる」とまで言わしめることにも納得できる。そうでなければ、念の応用技術で防ぐ技があってもおかしくはないからだ。

つまり、ヒソカのバンジーガムが持つ二種類の性質はこのオーラそのものが宿した性質をもイメージ補完に利用している可能性が高い。これであれば、謂わば車とバイクを同時に操作するのであっても、片方がアクセルを踏むだけであれば可能となる確率は上がるからだ。

これは何も反則ではなく、オーラの性質をよく理解した上での能力だと言わざるを得ない。何故ならばヒソカはオーラが持つその性質を自らのセンスによって見抜き、そこからイメージと重ね合わせたと思われるからだ。

また、バンジーガムの驚異的な部分はこの性質だけではない。これを利用し前提とした上でなお発揮される、尋常ではない強度である。

例えば、前述の画像においてヒソカはレイザーの球を受け止めた。結果としてヒソカの指はイカれたものの、バンジーガムそのものは破れるどころか千切れすらしなかった。これはクロロとの戦いにおいて、無数の人間を絡めた人間ハンマーを用いた時でさえ人間は壊れてもバンジーガムそのものの損傷はない。

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マチの念糸はトンの重量をも吊り上げると書かれているが、ヒソカが成し遂げた人間ハンマーにおいてはそれ以上の負荷が容易に掛かっている。無論、単純な強度としての比較は同様のシチュエーションがない場合断言できないものの、マフィア襲撃においてマチは複数人をその念糸で吊り上げている。

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これと比較した上でも、その強度が計り知れようというものだ。

そして、この能力最大の利点。それが“陰”との相性である。

作中ではクラピカが用いた印象的なシーン以外では、殆んど使う人物のいないこの応用技術。では、なぜ使う人物が殆んどいないのか。それは、この技術が持つ性質ゆえである。

“陰”とは“絶”の応用である。この時点でよくわからないという声を聞くことがあるが、その理由となるのは「そもそも何故肉体的な“絶”の説明をオーラ操作技術である“陰”と同質に語っているのか」ということだが、逆に考えてほしい。オーラを体外に放出するのは精孔だが、体外に放出したオーラの構造にもこれに類するものが存在しているのは間違いないだろう。

これを証明するわかりやすい例が、仮に他の基礎技術を応用したらどうなるかという点だ。

これには実にわかりやすい考察材料がある。クラピカの鎖だ。彼がウボォーギンを捕らえた際、怒りを募らせたクラピカはウボォーギンの肉体に巻いた鎖を一時的に巨大にした。これはオーラを具現化したものだからそんなこともあるだろうとわたしは一時期考えていたが、事実その言葉の意味通りであったのだ。

わたしはこの時クラピカが鎖に対して行ったのは“練”であると考えている。“練”とは全身の精孔に集中し、練ったオーラを一気に噴き出す技術を指す。肉体という器がある場合であれば全身を包むオーラの量が増すに終わるが、これを具現化という全てがオーラで構成されたもので行えばどうなるか。すなわち、その結果がウボォーギンの体を締め上げた巨大化、あるいは肥大化と呼べる現象であると考えられるのだ。

では“陰”とは何か。それはすなわち、オーラで構成されたものを“絶”と同じく精孔からのオーラを閉じることによって、“絶”の副次的効果である気配の希薄さと同質である存在の希薄さに作用したのだと考えられる。それが“凝”といった応用技術で見抜く確率が上がるのも、オーラの性質を捉えていて実に面白いが、今回それに関してはいいだろう。

さて、話を戻そう。ヒソカのバンジーガムである。この能力と“陰”との相性だが、正直に言って凶悪の一言である。例えば、効率は悪いが銃器を具現化した人間がいたとしよう。放出系とは相性が悪いので弾丸は別途用意するか、何らかの条件を持たせる必要があるが、通常の銃器と同じように使えたと仮定する。お分かりだろうか、この時点でホルホースじみた見えない銃が生まれるのだ。だが逆に言えば、“陰”とはそういった不意打ちにしか使えないというデメリットが存在する。しかも、例えば具現化系でさらなるデメリットが想像できる。防御力もとい耐久力の低下である。

なぜそれがデメリットと言えるのか。具現化した対象とは、自らのイメージの結晶である。それが壊されることは、すなわち本人の戦線離脱をも意味する。一度壊れたイメージは本来早々回復しえないからだ。

これはゴレイヌが勘違いされたように、例えば念獣が最も顕著だろう。彼のように倒されることを前提としていない念獣であれば“陰”で消えることは容易いが、同時に打倒された際にダメージの精神的フィードバックが及ぶことにもなる。そして“陰”が“絶”と同質なのであれば、これを使うということは防御において最低の状態であることを示している。つまり、本来であれば“陰”には明確なデメリットが存在しているのだ。

これを解決するには、そもそもダメージを受けることを前提としたゴレイヌの念獣や、シャッチモーノのようにガワを別途用意しておく特殊な念獣である必要がある。

そしてヒソカのバンジーガムに、これらのデメリットは存在しない。そもそもゴムという性質によって実質破壊不可能なほどの強度を有しており、ガムの性質によってくっつくという性質が加わることで、知ると知らずに拘わらず相手の行動を大きく阻害することが可能となるのだ。すなわち、“陰”における防御力の低下という本来生じるデメリットがヒソカのこれにはまるで当てはまらないのだ。もはや反則である。

さて、それではここまで述べてきたバンジーガムの強みを纏めてみよう。

・2つの性質を兼ね備えている

・ゴムの性質(柔らかいということは、ダイヤモンドよりも壊れない理論)を持つがゆえの尋常ではない強度

・“陰”という本来デメリットも伴う応用技術がデメリットにならない反則

・とどめに、能力を知られても対策を容易に立てられない

──以上である。

そして正直、ヒソカはこの能力だけで問答無用に強い。だが、彼にはさらに切り札が存在する。それこそがこれ……!

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そう、『薄っぺらな嘘(ドッキリテクスチャー)』である。

この能力は具現化系である。ヒソカは変化系であり、隣り合った相性の良さこそあるものの、具現化系である以上能力開発には煩雑で膨大なイメージ修行が本来であれば必要とされる。だが、ヒソカはその悪魔的思考によってこれらの要素を大幅に切り落とした可能性が高い。それが、この能力の“薄っぺら”という点である。

この能力、はっきり言って具現化としては異端と言ってもよい超省エネ能力である。なぜそう言い切れるのか。それは、他の具現化系と比べることでわかる。

クラピカがそうであったように、そもそもオーラを視認できるほどに高密度なものとする必要がある具現化には並々ならぬ修行を必要とする。実態として存在する重さ、質感、感触、味から臭いに至るまで。五感全てを騙し、そこにあると自らイメージし尽くすこと。それこそが具現化系の奥義であり極意である。

だが、ヒソカはこれを逆手に取った。

自らの奇術に重さは必要か? 否。
味は?臭いは? 否である。

ならば必要なものは何か。それは質感と感触。そう、薄っぺらだが確固たる存在感さえあればよい。

そうして生まれたのが、本来具現化において強みとなる付与能力を、一見戦闘にはまるで向かないものにするという暴挙。すなわち、質感の再現である。ただし、自らが知りうる数千種類に及ぶ質感を再現するという能力として。

この能力の恐ろしい部分は、すなわち具現化系であるということだ。すなわち、念能力の副産物であると容易く見抜けない部分にある。

さきほどのバンジーガムはなるほど、応用技術である“陰”と実に相性がよい。だが、逆にこちらは“陰”とは真逆の性質を持つ能力。むしろ、姿を持つことで本来意図するものを隠すための能力。さながら奇術における仕掛けを覆うヴェールのごとく。

ヒソカと対峙した敵が熟練の能力者であればあるほど、彼のバンジーガムを驚異と見なすだろう。だが、それと同時にこのドッキリテクスチャーを使われた時、真実は容易に隠される。そうして対処方法を限られ、心を掻き乱されれば、あとは奇術師の思うがままである。

無論、上記の画像にあるように明確な弱点はある。例えばヒソカの肉体を覆ったドッキリテクスチャーは、あくまで表面的なものに過ぎない。ゆえに、場所によっては触ればすぐにブヨブヨとしたゴムのごとき感触に気づくだろう。だが、それをどうやって成し遂げるというのか。そんなものは、ネズミが猫の首に鈴をつけようと提案するのに他ならない。

念能力だけでもこれだけ凶悪であるのに加え、さらに付け加えるならばヒソカは痛覚をほぼ無視している。これもまた、人間においてはヒソカのみである。作中の描写を見る限りでは、あらゆる損傷を帯びて冷や汗ひとつ掻いていない辺り、無痛症の可能性すらある。

そして旅団における腕相撲ランキングで堂々の3位。これを上回るのは、放出系ではあるものの強烈な回転エネルギーに巻き込むことを戦法とし、切り札として肉弾戦を展開する必要があるフィンクスと、肉弾戦最強クラスのウボォーギンのみである。対クロロ戦において人間の頭部の重さが大したことないと揶揄されたが、それを軽々と扱いなおかつ人間ハンマーをも高速で扱う彼が大したことない筈がない。人間(にほぼ近い人形だが)は単なる重いだけの扉とは異なるのだ。




以上、ヒソカが持つ強さの考察もとい解説になりました。以前Twitterで答えた内容のまとめに近くなってしまいましたが、お楽しみいただけましたら♡を押していただけると喜びます(°∀°)

それでは最後に、本編における一番好きなモノローグで終えましょう。

『ヒソカは自分以外の誰にも属さない。自分が最強だと理解しているからだ』

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