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東北のアートムーブメントは可能か? 『山形芸術界隈 inリボーンアートフェスティバル』

『リボーンアートフェスティバル2019』で、石巻市街で展示していた『山形芸術界隈』。観に行ってから随分と経ったけれど、やはり気になってあれから色々と考えてる。※写真は山形芸術界隈のFBページより転載

『山形藝術界隈』の展示風景は、界隈メンバーの多様な(本当に多様な)作家の表現がありつつ、一定の世界観を共有しているような雰囲気。

山形藝術界隈は、山形ビエンナーレ2016期間中に開催されたアートの市「芸術界隈」(ディレクター・三瀬夏之介)から派生した芸術運動体です。絵画・音楽・パフォーマンス等それぞれの表現活動を行なうメンバーが集まり、既存の枠組みに捕われない新たな作品制作・発表のあり方を模索する実験的な活動を行なっています。(山形芸術界隈FBページより)

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僕は彼らの活動をみたとき、大正末期に山形で活動していた芸術団体『毒地社』を思い出ていた。もし、彼らの活動を批判的に(批評的)にシュミレートしているのだとしたら。

『毒地社』とは、大正時代に山形工業学校図画講師の為本自治雄らが立ち上げた美術グループ。毒地社という名前は、メンバーの小塚義一朗が「山形の地は毒々しい」と言ったことに由来する。
数回行われた展覧会は山形市役所を会場に大成功を収め、その後の山形近代美術界にとっても大きな出発点となったにもかかわらず、その名は今日忘れ去られようとしている。(参考URL



『山形芸術界隈』にはリーダーはおらず、コンセプトも定めない。バラバラに活動しているのだが、しかし、同じローカルな世界に生きている(地理的にも時間的にも、盆地宇宙的な)。作品は、その世界を捉えるための窓の様に見えた。



それは一方で、界隈メンバーの一人で、山形在住の画家、後藤拓郎さんの絵や展示風景と同じ構造のように感じた。
彼の作品も一種の入れ子構造とトリミング性を宿す、不思議な構造を持つ。個々の作品は自立しつつ、しかし、影響し合いながら他の作品の一部になっている。

以前に書いた、後藤さんの展覧会についてのポスト↓


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そんな後藤さんの今回のモチーフは廃村の風景だ。山形県内の廃村に赴いてはそれを絵画にしていく(後藤さんのHPはこちら)。

僕も山形にいた頃に廃村を探し訪れてたことがあったので、後藤さんの今回の作品には否応なしに反応してしまう。

山形の現実を描写する一方で、どこの地方でもみられるであろう風景。そしてやはり、福島沿岸”ロッコク”から見える帰宅困難地域や、台風や津波被害の風景にも重ねられる(もちろん"家が壊れる"という象徴的意味や、ポスト・アポカリプスという読み取りもあるけど)。

その類似性のリアリティは、写真ではなく絵画にすることで獲得する非事実性からなる。イメージの類似はGoogle画像検索で偶然隣り合わせになった検索結果のようでもあり、ディープラーニングが作り出したどこにも無い風景画のようでもある。後藤さんの絵は、足下のローカルな文脈を掘り進めながら、他のローカルな文脈にリンクさせていく。

まとまり無く書いてしまったけど、とにかく、僕と同世代のアーティスト達のこのようなムーブメント(界隈)が、東北の地で独自に展開されてるのを観て、僕はとても感動するし勇気づけられてる。

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