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多分、楽しかったからなのだと思う 『庚申塔』と庚申講

庚申塔。
道教由来の石像。
ここら辺の辻には、お地蔵さまよりも庚申塔がよくみられる。
国東半島でもよくみかけたのだけど、この何というか、カジュアルさ?が印象的で、江戸時代の流行りだったのだなと思わずにはいられない。

特に関東では多く、一番古いとされる庚申塔は埼玉にある。明治に入ってからは迷信だと撤去され、高度成長期の道路整備でさらに消えていく。今残ってるのは、場所を移されたり、あまり気にも留められない小道の脇にあったものばかり。


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庚申塔といえば、三尸(さんし)説と庚申講の話が好きだ。
庚申の日の夜に人が眠ってしまうと三尸という虫が体から抜け出し、天帝にその人の罪をチクり、その人は罰として寿命が縮んだり死んでしまうというもの(死んでからも罰があるとか)。


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なので、60日に一度の庚申(かえのさる)の夜は、信仰仲間で集まり、飲食を共にして、眠らずに一夜を過ごしたという。この庚申講を3年18回続けたらこの庚申塔を建てるそうだ(全部じゃないにしろ)。 

古くは平安から始まり、最近までも結構残っていたという。すごく長く続いていたこの庚申講。その理由は、多分、楽しかったからなのだと思う。

宗教儀式なのである程度はキチッとしつつも、みんなで夜から朝までワイワイと親交を深める。お酒ももちろん入る。それによって地域コミュニティが結束される。
平安期は夜通し歌を詠みあったりすごろくとかしていたらしい。なにそれ愉しそうじゃないか。

今では親睦会と名称を変え続いているところもあるそうで、信仰は薄れても、みんなと集まるのはやめなかった。生活の知恵や愉しみが信仰と折り重なる(方便になる)ことは、昔に限ったことではないし、そんないい加減な感覚が僕は好きだな。


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