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関東平野を受け止める地層 銚子

66kmにもおよぶ九十九里浜の平坦な海岸線を北へ北へと進むと、ゴツゴツとした高低差のある段丘の風景が見えてくる。関東地方を覆う広大な火山灰から成り立つ「関東ローム層」と呼ばれる地層が露出している。

屏風ケ浦。長さ約10km、高さ約20-60m、下総台地を削る海食崖で、かつては海底であった砂岩の層が隆起し、その上に関東ローム層が重なっている。


ここには地球のプレートの動きによって押し上げられた白亜紀の地層も見ることができる。これらの地層は、日本最大の平野・関東平野を受け止めるエッジの役割を担った。

犬吠埼の白亜紀浅海堆積物。約1.2億年前の浅瀬の地質構造や生痕化石などが確認できる。「銚子石」という砥石として利用もされていた。
銚子の強い波による浸食もはげしいが、この隆起した地形達が、関東ローム層の砂を受け止め関東平野を生み出した


これらの特殊な地形の上にあるのが、千葉県の北東部、太平洋に面した港町、銚子だ。
江戸時代には、利根川の流れが東京湾から銚子へと東に移され、大規模な工事が行われた。利根川は関東地方最大の川で、その流域は広大な関東平野を形成している。この工事により、銚子は水路の要所として栄えた。
ヤマサ醤油のお膝元でもあり、「武蔵野」「虞美人草」などの作品で知られる明治の文豪国木田独歩の生誕の地でもある。

利根川を渡る銚子大橋。
国木田独歩の歌碑


丘の上へ登ると、広大な水平線があらわれる。「地球の丸く見える丘」という名前がついているが、確かに、太平洋を他に遮るものがなく、心なしか水平線の左右が丸くなっているようにも感じなくはない。

地球の丸く見える丘
遥か太平洋を望む。

丘の上には、大きなモニュメントがある。「日比友愛の碑」だ。銚子市のWEBサイトには以下のような文章が綴られている。

第二次世界大戦中、戦火を交えた日本とフィリピンの両国が互いの恩讐を越えて、永く世界の平和を祈念し、両国の戦争犠牲者の慰霊と、将来の両国の親善を目的として、昭和33年(1958年)に完成しました。
計画の際に全国の適地を検討した結果、眼下に開ける太平洋を隔てて、途中さえぎるものがなくフィリピンと対峙していることから銚子市の愛宕山が最適地として選ばれました。
碑の斜塔は「友愛の炎」を表し、フィリピンのルソン島にあるマヨン山(標高2,463メートル)に向かって建っています。
ちなみに銚子市と姉妹都市協定を結んでいるレガスピー市はマヨン山の麓の街です。
碑の本体部分にはフィリピンのガルシア大統領のサインと岸信介総理大臣の題字が刻まれています。

https://www.city.choshi.chiba.jp/kanko/page110093.html

日本とフィリピンは太平洋を通して時空を共有しているのかと、見えない島々を想像してみる。

日本とフィリピンは太平洋を通じて繋がっている。


辺りは暗くなっており、自転車で足もパンパンになっている。銚子市唯一の銭湯として地元民に愛される「松の湯」に入る。ささやかな方言や地元の話題が耳に入ってきて、この土地に染み込む人々の日常にさらっとふれたような気がしてくる。

銚子唯一の銭湯「松の湯」

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