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風景を共有することで生まれる連帯

「ここからはね、晴れてると富士山が綺麗に見えるんですよ」と話してくれる人によく出会う。この前も、小金井のハケの上に住む人から、そう声をかけられた。

そうなんですかと返事をしながら、どうして富士山がみえることを僕に教えるのだろうと思っていた(辺りをウロウロしてるからというのもある)。富士塚や富士講もこの土地の至るところにあるほか、「富士見」という地名も沢山あったりして、ここの人たちは、どれだけ富士山のことが好きなのだろうと。

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富士山があるところは、当たり前だけれど駿河だ。武蔵野じゃない。だけど、ここに住む人たちは、もしかしたら、富士山は自分たちのものだと思っているんじゃないかしら。もっというと、富士山の"風景"は自分たちのものだ、と。
遠くに望む美しい霊山。これは本場である駿河の人たちとはまた違う感覚なのだと思う。土地を所有するのではなく、風景を所有する、というか。

武蔵野台地は平たい。だから大抵のところから、丹沢越しの富士山を眺めることができる。高層ビルが立ち並ぶ前の時代ならどこからでも見ることができただろう。この土地に住む人たちは、この風景を皆で共有していたのだ。江戸期制作『武蔵野図屏風』にも薄野の先に大きな富士山が描かれていた。

「この土地に住んでいるというのなら、あの富士山をみているはず」それが、武蔵野(関東平野一円?)の人たちのアイデンティティというか、この土地にいる同士の連帯意識みたいなものと繋がっている、そんな雰囲気をこの土地の人たちから感じたりする。

でも昔、中野や新大久保に住んでいた時には、ここから富士山がみえるなんて考えたこともなかったな。それが、高層ビルによって分断されているのなら、少し悲しいことだと思うけれど。

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そういえば、別府の人たちも「高崎山は大分市のものだけど、高崎山の風景は別府のものだよ」と言っていたのを思い出した。
秋田の人は「鳥海山はこちらからみた方が美しい。こちらがオモテだ」と言ってたりする。

そういうことは、やっぱりあるのだと思う。

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