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イワシとサーファーが棲む浜 九十九里浜

九十九里浜。
江戸期にいわし漁で栄えた漁業のまち。いわしの脂を取り除いた干鰯は藍染の藍を育てる肥料として重宝され、関東への一台供給地となった。
地域を走ると立派な御殿がいくつもみえる。屈強な海の人々が漁業で財を成したが、最近は厳しいという声も聞く。

風はとても強く、多くのサーファーで賑わっていた。

片貝港の漁船。イワシ漁は、室町時代に紀州の漁民が地引き網によるイワシ漁を伝えたとされ、江戸時代には「千両万両 引き上げる」と唄われるほど賑わった。現在のイワシ漁は地引網から船団での漁に変化した。
この浜で水揚げされたイワシたち
イワシが入っていたであろう発泡スチロールでつくられた定食屋の看板。
今回はイワシフライ定食、旨い。
かつての屈強な九十九里浜の漁民たち。干鰯は藍染の藍を育てる肥料として重宝され、多くの人々がイワシ漁に関わった。
「万祝」(まいわい)は江戸時代から戦前にかけて漁師の間で広まった晴れ着。 大漁の年の翌年の正月、神社仏閣への参詣中また網元の家で三日三晩の酒盛りを酌み交わす時に着られた。
イワシ御殿がいくつも建つ

イワシの代わりにサーファーが棲む浜になった
それでも、この地にはイワシの匂いがしみ込んでいる。

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