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夫婦はんなり京都旅行

その日は、いつになく妻がきげんが良い。

もうすでに、私の中で起きている変化に気づいている様子。

二人の旅行は、最近は信州黒部、北海道富良野、

知床 と数回これまでに行っている。

出発前の妻は、楽しい旅にしたいがために、

家事を完璧に完了してから出たがる。

その気持ちは、私も痛いほどわかる。 

ディナーの前にラーメンを食べる者はいない。

誰しも、楽しむ前には、心の中を真っ白にして、

無心で飛び出したいものである。

私も同様、仕事、期限を切られている仕事は、

やり終えてから旅を楽しみたい。

そんな二人が、旅の前に殺気立つのは恒例の事。

でも、今回は私の言葉

『今度は、京都でも行くか、それも電車ではんなりと(笑顔)』

を聞いた時の、妻の笑顔は、この旅立ちの朝の、

余裕の鼻歌につながっているのかもしれません。

『昼食をゆっくり洛北で食べれたらいいね』

このやり取りで、妻の心の余裕がうかがえる。


朝食を終え、洗濯、後かたずけも済ませて、二人でコーヒーを飲んで、

晴天の明るい京都へ出かけて行きました。

妻の、きげんが良い理由には、もう一つ要素があったと思います。

私は学生頃から車に乗り、すこぶるの電車おんち、

難波に環状線が来ていない事を知ったのも最近の話です。

(大阪の人以外は分からないかもしれません)


何処へ行くのも車、車。 今回、電車での京都観光を提案する事は、

先を走り続けている私が、

一生懸命後ろから支えてくれている妻に振り替えること。

車では一瞬で通り過ぎる町角に、

自分の足で立ち、荷物を持って歩き、笑顔で話しながら風を感じる。

妻は、かなり昔から、こんな旅がしたかったかもしれません。


花が大好きだった妻の望むこの旅を、

もっともっと早く気づいていればよかったと、いま思います。

通勤時間が一段落したホームは、

新緑の季節にふさわしい、心地よい風が吹き抜け

ベンチに座り、列車を待っていても、車のサイドシートでの距離とは違い

妻の体温、妻の息遣いが聞こえてくるほど近く、

そのぬくもりが、話を弾ませます。

出町柳からの叡山鉄道はローカルの1車両編成。

余裕の車内は、幼稚園のかわいい子どもたちと先生

そして、大学生、優しい顔のおばあちゃんと私たち夫婦。

ゆっくり揺れて時間が止まりそうです。

窓を引き上げ全開にすると、

忘れかけていたのどかな田園、目に眩しい北山の緑

これから飛び込んでいく洛北の大自然が手招きしているように見えます。

鞍馬寺から貴船神社への散策は、

緑の紅葉のアーチをくぐり登って行くほどに空気が澄み渡り

一枚一枚よろいを下ろして、心が軽くなって行きます。

登り切ったころには、私のシャツの背中は汗で濡れてきましたが、

妻の足元を気にして、

『ごめん、こんなだったら登山靴持ってきたら良かったね。』

『大丈夫、慣れてる靴はいてきたから、それより、そこからもう下りだから

ポロシャツ着替える? 』 一本取られた気がしました。

出町柳のコインロッカーに預けてある

旅行キャリーからこっそり私のポロを鞄に忍ばせていた妻。

鞍馬寺から、貴船神社までの道のりを調べていなかった私は

自分を責めました。

登りより、下りの一歩一歩がに体重がかかり、

大きな木の根が不安定さに拍車をかけます。

ここぞとばかり、怖がる妻の手をとり、汚名返上を勤めました。

下るにつれて、清流の音が、山道の終わりを知らせてくれています。

そんな二人を出迎えてくれたのは、北山の清流と貴船神社の荘厳さ、

緑の紅葉と朱色とが絶妙のコントラスト。

貴船そばに山道の疲れも癒されます。

『今度は絶対床料理食べようね』

と約束して、ゆっくり、北山を下りました。

京都御所の中をゆっくり歩き、

ずっと続く多いな白塀に関心しながら、ホテルへ

夕食の後、ホテル側のはからいで出てきた、

スゥィーツに、ささやかな心づかいが嬉しくて

アニバーサリーの文字に、妻もゆっくりとした笑顔が、

目の前の日本庭園の大きなガラス越しに、私の目にも映り込みます。

二日目の朝は、早くから目覚め、

朝風呂にもしっかり入って朝食もお腹いっぱい満喫

早々に、明るい京都の町に飛び出して行きました。

比叡山山頂は少し黄砂の影響で見慣れたびわ湖もかすみがち

でも、山頂にあるミュージアムは、

花がきれいで、妻と私のテンションは絶好調

外で食べるランチも格別で、冷たい風が良い一日を演出します。

明るい光と、花のあいさつを受けた二人は、

いよいよ、最終目的地、大原へ。

付き合っていたころ、一度ここへは二人で来た事があるのですが

それは、ドライブの目的地でしかなく。

二人ともあまり印象が薄かったのですが。

心の窓が全開で臨んだ今回は、

心の柔らかいところにこの静けさが突き刺さります。

三千院の境内に座り、苔むした庭園に目に眩しい新緑、涼しげな風に

しばらくの、無言の静寂。

朱の敷物に置かれたお茶とお菓子も忘れ

うっすら、涙がこぼれてきます。

ささくれた心に包帯を巻くように、

かれそうな樹木に雨が降りそそぐように。

妻は私の変化を、後ろからずっと見ていてくれました。

二人の子供にも恵まれ、下の娘の最後の授業料も収めることができました。

後は、子どもたちも自分で何とかしていくでしょう。

ふと、気がつくと、妻と二人。

いま、ようやく、妻の方へ振り向けたことに感謝しています。

人の人生は不思議なもの、どの行動が正解で何が失敗なのか

どんな出来事が有意義で、何が無意味なのか。人はその都度問いかけて

小さな小さな決断をして前に進みます。

自由と責任のはざまで、人は多くの人とかかわり、

影響し合って育っていきます。

『この世に当たり前のことなど何もない』と知らしめてくれた大地震。

常に『いいね!』と肩を叩いてくれ、

素晴らしい人の心に触れるノートと出会える

心の窓を開けて見渡すと、飛び込んでくる、心躍る身近な自然。

そして、何より私の身近な目立たないところで

私の事を一生懸命に思い、支えてくれていた妻に気づくことができました。

妻と同じ目線で同じ思いで、 とまではまだまだ程遠いですが、

少しは、近づけたような気がします。

変な話、これでもう少し、夫婦でいられる気がしています。

『灯台もと暗し』身近なところの幸せを再発見することで、

『幸せ』の 輪 を  まず、家族から、

そして仲間へ、 そして、すべての皆さんへ。


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