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なぜ、学ばないのか


連日の大雨によりもたらした被害は尋常じゃな
い。僕の4年間過ごした熊本の人吉では大変な惨事になっている。

川が氾濫し、洪水に見舞われ、死者がでる。これは毎年のように起きている。毎年のように起きて、毎年のように死者がでる。

記憶に新しい西日本豪雨。僕の地元倉敷の真備町でも河川が氾濫し町を飲み込んだ。亡くなった方もいる。

経験してないからわからない」はもう通用しない世の中になった。誰かが経験してから修正するのではもう遅くて、人が亡くならないと気付けない程世の中は劣っていない。

先日、氾濫した川縁に呆然と立ち尽くす鷺を見た。いつもと様子が違う川に近づこうとしない。そして山へと去っていった。

人間の場合、心理に問題があるらしい。


正常性バイアス

正常性バイアスとは認知バイアスの一種で自分にとって都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりしてしまう人の特性のこと。

例えば、災害の観点でいくと、首都直下型地震の今後30年以内の発生確率は70%と言われていてこれがどれほどのものかというと、2016年に起きた熊本地震の発生確率は当時1%未満とも言われていて、震災後の大学の授業でも熊本で地震が起こると思っていなかったと教授が仰っていた。だから首都直下型地震は確実に起こる。

首都直下型地震は都合が悪い。多分みんな、起きた時のことなんて考えたくないし、大丈夫だろうと思い過ごしているはず。1000万人以上が住む大都会が悲惨な状況になるなんて誰も想像したくない。一部のマイノリティーによる、大袈裟な避難準備もマジョリティによりかき消さ れる。

自分だけは大丈夫」って思ってしまうことを理解しているだけでも命は守れる。もっと正常性バイアスについて知って欲しい。このバイアスが良い方向にも悪い方向にも向かうとういことを。

多数派同調バイアス

多数派同調バイアスは、正常性バイアスとも似ていて、自然災害などで困難な状況に陥っても、自分の右、左、周りの人たちの行動に合わせてしまうというもの。周りが避難してないから大丈夫だと思ってしまう。人間の心理のせいで多くの犠牲が伴っているとも言える。

今回の豪雨災害や過去の豪雨災害を見ても、このバイアスによって犠牲が伴ったと考えられる。

特に老人ホームなど、施設で集団で亡くなるというケースはまさにこの多数派同調バイアスによるものだ。

だから、自分への戒めも込めて言うと、大雨が降って、川が近くにあって、危ないなと思ったら自分一人でも避難するべきだ。起こりうる自然災害、洪水、土砂崩れ、地震、雷、台風、など、それら全てに備えておくべきだ。

熊本地震を経験したからこそ。


熊本地震

俺が中1の時、東日本大震災が発生した。岡山でも少し揺れて、当時、理科の授業中で先生が「これは大きな地震きてるぞ」と言っていたのを今でも覚えている。

放課後、急いで家に帰りテレビをつけると目も当てられないほど悲惨な状況が映し出されていた。

こんな光景見たことなかった。

茫然と1時間はテレビを見ていた。
こんなことが起こるのかと。

その時は本当に他人事だった。なんで大津波警報が来ているのに、逃げないのか。なんで、早く高台に避難しないのか。津波が押し寄せて来ているのをじっと見られるのか。でも、自分には襲い掛からないと思っていたから他人事だった。地震なんて、ましてや瀬戸内海に津波なんて。

大学は熊本に行った。

進学してすぐに地震にあった。4月14日。1回目は夜9時過ぎに起きた。最初は何が起きたのかわからず、動けなかった。大きな揺れだった。10秒程して「地震だ」と思い、外に逃げた。サッカー部の同期も同じアパートに住んでいたのでみんな外に出ていた。大学のサッカー場に避難したが、2回目はないと思いみんなで帰宅した。いわゆるバイアス。

4月16日未明。まさかの2回目の地震が来た。確実に1回目より大きく、後に本震と言われる地震だ。夜中1時、寝ていた僕は地震によって目を覚ます。

家の中はグチャグチャだった。
幸い、高い物置はなかったので寝ているところに倒れてくる心配はなかった。でもエアコンが落ちて来たら死んでた。大袈裟やけど。

その日もサッカー場に避難した。4月の夜は外で寝袋だけじゃ寒く、学校の校舎に移動して一夜を明かした。

初めて乾パンを食べた。
給食でしか出ないものだと思っていた。

翌朝、先輩の親の車では博多まで送ってもらい、岡山に避難した。熊本の公共交通機関は全てストップしていた。

途中、コンビニに寄っても何もない。本当に何もない。ガムもなく、あったのはこれだけだった。


岡山に帰ると先輩との考案で、募金活動をすることにした。やらないよりやる偽善。というか、帰りの新幹線でそのことしか考えていなかった。

大勢の前で「募金お願いします」って声出すのは恥ずかしいって思ってたけどそれ以上に困っている人を助けたいという気持ちが勝った。

恩師を通じてメディアにも出演した。
ラジオ1局、テレビ2局。
1人じゃ何もできないから人間は人と助け合っていかないとって改めて思った。

総額、20万以上集まった。
小さい子からおばあちゃんまで色んな方が募金してくださった。本当にありがたいことだった。

集めたお金を物資に変えて、熊本に戻った。母校の先生やその知り合いの方々と一緒に支援活動をしに行った。


ただ、これからの活動は「本当は必要のないこと」だと思う。地震が起きなければ、災害が起きなければ必要のないことだ。

でも、災害が起きてしまって困っている人がいるなら助けけあわないといけない。それがこの熊本地震で学んだことだ。

ただこれだけは言わせて欲しい。
人、1人でも死んだら意味ない
東北大震災でも、タイムリーなコロナでも、数字だけ見れば大勢亡くなってるけど、

もし、自分の身内がが亡くなったら?

想像しただけでも悲しくて、切なくて、やるせなくて、どこにこの悲しみと苦しみをぶつければいいのかわからなくなる。

だから、今後、必ず発生する自然災害で人が亡くなるニュースを見たくない。災害が起きて、人が亡くなることに慣れている世の中はほんと良くない。

だから、周りが逃げてなくても、逃げなくてはいけないということを知っているだけで命は救える。たとえ杞憂だとしても。

熊本地震から4年、今の俺は元に戻りつつあった。あれだけ周りに、いつでも避難できる準備しとけと言っていたのに、肝心の俺は今、何もしていない。でも、気付けたからこそ。


そろそろ学ばんと。








参照 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%B8%B8%E6%80%A7%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

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