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前提の共有

無作為に集められた数十人のグループに対して、「喋るの禁止で誕生日順に並んでください」と指示するとします。もちろん口パクも禁止。誕生日は数字ですから、手でジェスチャーすれば伝えることができ、小学生でも正しく並ぶことができるでしょう。

でもこれを、「名前順」って言われたらクソ難しいと思うんです。見ず知らずの人の名前なんて知ってる訳がない。ジェスチャーで名前を伝えるのはほぼ無理に近い。そこで皆こう思う。

喋りたい

当たり前ですよね。でも普段はどうかというと逆で、「喋られるのに喋らない」と僕は思うんです。

景色の違い

角度によって見え方が違う」という言葉があるように一人一人見え方があります。100冊並んだ本棚に指差して「俺は!!あの本が好きだ!!」とめちゃくちゃ魂込めて言ったところで「どれ?」ってなります。これは例えばの話なんですけど。実際にこういうことが日常で起きてるんです。

特に、誰かに物事を教えるのが下手、苦手な人って自分の景色だけで教えようとする。

エクセルを教えてもらってるとき「右上クリックして」って言われたらカーソルを右上に持っていきますよね。で、僕にとっての右上は5つくらいあって、「これですか?」「あ、これですか?」なんてマウス動かしてると、「いや、違う、これ。」とか言うんすよ。知らんがな。

ただ僕は教え方が下手とかは思ってなくて、あぁ〜日本人だなって思います。僕も説明下手なので。ただこう言う時って理解してあげられない俺が、私が、悪いんかなって思いがちやけど、説明が下手なだけです。大抵、理解できてない時って、説明下手か、よっぽどアホか、どっちかと思ってます。

コンテクスト文化

日本人だなぁって思った理由はそれが文化として根付いているから。言語にはコンテクスト文化というのがあり、主に言葉によってコミュニケーションを図ろうとする文化をハイコンテクスト文化、逆にある程度言語を用いればあとは察しろよ的な文化をローコンテクスト文化といって、日本人は典型的なローコンテクスト文化らしい。(high,low)

テラスハウスを見ていた人なら分かると思うけど、ロシア出身の「ヴィヴィ(Vivi)」は思っている事を言葉に出してコミュニケーションを図っていた。「ペッペ」もそうだった。だから日本人の僕らからは「ヴィヴィ、今は空気読んで」なんて思った場面は少なくないと思う。でも、文化だからしょうがない。人間のコミュニケーションの手段は言語だ。口にしないと伝わらない。

日本語の上手なアメリカ人、欧米人の日本語は、日本人より上手で聞きやすい理由はそこにあると思う。__________

前提の共有

ここまでで、見てる景色の共有、その為の言語が大事であることに気付いたので、やっぱり普段からイチイチ言葉にして伝える事が当たり前にならなければならないと感じる。頑張ります。

ps.
芸人さんのトーク力は本当に勉強になる。特に、ラジオなんかは言葉以外に伝える手段がないのでリスナーに言葉だけで景色を伝えなければならない。コントや漫才でもそうやけど、

「その場面でそんなことする?!」
「その場面でそんなこと言う!?」

が、笑いを引き起こす。
脳に刺激を与える。

日本語上手くなるために頑張ります













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