奨学金という言葉の罠 Vol.2
さてさて、今日は昨日の続き(今回の話で伝えたかった事)を書いていきますね。
昨日の記事を読んでおられない方は、読んで頂けたらと思いますが、要点は
奨学金の本質は教育用のローン(借金)
なんだよって事でした。
言葉の意味(本質)をきちんと理解した上で、今回『奨学金という言葉の罠』でお伝えしたかったことは
ローンを組んで通っているという認識を持って生活した方がいいよ
ということです。
なんだか文字に起こすと薄っぺらくて偉そうなメッセージになっていますが、これは自分がもっと早くに気づきたかったことであり、きっと誰かの心に刺さると思っているのでここに綴っています。
(っていうのも、母校のOBOG懇話会でこの話をしたら割と好評で、、、)
話を戻しますね。
昨日は借金やローンという言葉を連発することで、マイナスな方向にもっていくような展開ではありましたが、奨学金のおかげで自分は大学生活を送れていることは事実です。無くてはならないものなのに、無意識的に扱ってしまっているから、意識する瞬間を、考えるきっかけを、作れたらと思い今回noteを書いています。
奨学金とは、決して無下に扱っていいものではないと思います。教育用のローンであると捉えると、学生生活をより豊かなものにしようと思えるんじゃないでしょうか。
借りるか借りないか、の話ではなくて卒業後に返済していく中で、あの時の借りるという選択は正解だった(借りてまで進学した意味はあった)とそう思えるような生活を送っていきましょうね、って話でした。
2日間に分けてしまいましたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。このnoteが何かのきっかけになることを願っています。