「ノースアップが文明なんだよ」ーー久米宏

夕方のイヌの散歩のときに、radikoで数時間遅れの「久米宏 ラジオなんですけど」(TBSラジオ)を聴いていたら、興味深い試みをしていた。題して「リスナー緊急調査! あなたのカーナビはノースアップ派? それともヘディングアップ派?」。

ノースアップは、多くの紙の地図と同様、つねに北をカーナビ画面の上に表示する方法、ヘディングアップは、つねに進行方向をカーナビ画面の上に表示する方法を指す。

久米さんは断然ノースアップ派である。つねに現在地と目的地の位置関係を方角で理解しておきたい、また、いまどちらに向かっているのかを方角で把握しておきたいという意見そのものは反論しづらい。ただ、それが便利かというとそうは思わない人が多いようで、リスナー調査の結果もどうやらノースアップ派は旗色が悪い。ある調べでは「ノースアップ派はわずか3%」だそうだ。

あるリスナーは、こんなメッセージを番組に寄越した。曰く、「ノースアップはたんに紙の地図のころの名残であって、文明の進歩によって、より便利なヘディングアップがかんたんに再現できる以上、それを使わないのはおかしい」。

冒頭の久米さんの発言はそれを受けての反論だ。続けて(いやこのメッセージの前だったかもしれないが)、「ノースアップは宇宙のなかのココにいまオレはいるという絶対的な位置関係を示すが、ヘディングアップは、たんにココから目的地までの行き先、つまり相対的な関係を示すのみだ。ノースアップで右や左がこんがらがるというなら、それは退化だ」とも。

ぼくは、久米さんほどの強い意見はもっていないけれど、同じような理由でノースアップ派。つねに、市内の、県内の、日本の、地球の、太陽系の、銀河系の、そして宇宙のなかのどこにいるか、その位置を「絶対的に」知っておきたいと思っている。それにここだけの話、最新のカーナビはノースアップ設定にしても、カンどころでは画面が分割して、右側の画面にヘディングアップに即した情報が(ていねいなイラストつきで!)提供されることが多い。だから、たとえ自分が南を向いて走っていて地図上の左(西)に曲がりたいときも、それが左折なのか右折なのかでマゴつくことは少ない。

久米さんはそれを文明といったが、ぼくはノースアップ型の考え方は「文化」だと思う。文明の話をすると、進化とか退化とかいう一直線の話になりがちだが、要するに「これまで人類がウン千年、いやウン万年かけてつくりあげてきた、地図や位置把握の学問的な体系とどう向き合うかという、態度表明と考えるのがふさわしいのではないだろうか。

ただし。いまのカーナビの技術を支えているのは、全地球測位システム(GNSSもしくはGPS)であり、そのシステムは地球のまわりを回る人工衛星の存在なしでは成立しない。もはや、目印のほとんどない海上で、北極星の位置や方位磁石の磁北を頼りに現在地を確認する時代は過ぎた。北も南も関係なさそうに見える宇宙空間で(いや関係なくないけど)、地球のまわりを漂う人工衛星。そんな人工衛星からの情報をもとにクルマを動かしていることをイメージすると、とか「次の角を東! ……いやだから左折!」などと口々に言っているのもなんだか滑稽に思える。


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