日本の国際貿易を通じた経済成長の成果・1970 年代に相次いだ経済的危機 に直面した背景と日本の対応

 第二次世界大戦に敗れた日本では国内の戦後処理として米軍の占領下に徹底的な非軍事化と民主化が進められる一方で、国際社会への独立復帰への道も模索された。片面講話で決着したサンフランシスコ講和条約の締結後は平和条約を締結してない国々との対話が続き巨額の賠償金の要求を突き付けられることになるが、日本政府は最終的に経済協力という形で解決を図る。国際社会での戦後処理の第一歩は戦後経済復興と国際社会での地位向上が挙げられ、そのため自由主義を共有する国際制度(国際レジーム)への参加が目指されたが障壁も多かった。具体的には日本が国際社会では依然敵国とみなされていた点、第二次世界大戦の敗戦国であった点、そして戦前の国際社会からの見方の中で国際貿易での「市場攪乱」をしたという不公正な国であったという点である。3点目は後に GATT への加入を試みた際に欧州の反対に繋がってしまう。しかし冷戦が追い風となり、日本は最終的には国連に加盟することができた。戦後の国際社会は固定相場制を中核として、通貨の安定を目的としたIMF と世界銀行のブレンストンウッズ体制が確立された。国連加盟を受けて、日本は「国連中心主義」「自由主義諸国との協調」「アジアの一員」という外交路線を示し、対米自主と対米協調を併用する方針を示した。西諸国では自由主義を原則としつつも社会安定のために一定の政府介入を容認していた。自由主義への急速で完全な移行は社会の混乱を招き影響が甚大であるとの認識から、現状の雇用や生活を支える既存のシステムに自由主義を「埋め込んでいく」形式をとったため、「埋め込まれた自由主義」という表現がなされる。GATT により自由貿易主義は拡大したが、結果的にグローバル化が進み競争は激化したため格差も拡大し反対運動に繋がっていっ
た。
 60 年代半ばのアジア諸国は政治的独立を達成し、経済建設に積極的に取り組み始めており、高度経済成長の最中にあった日本との経済関係も急速に深まった。しかし日本の経済大国化により、警戒感や反発を強める国も多く東南アジアでは日本企業の相次ぐ進出により日本商品の氾濫(日本の経済的オーバープレゼンス)がナショナリズムを刺激したため社会不安が高まり、反日暴動に発展した。この混乱の鎮静化に奔走したのが福田赳夫であり、軍事大国にならないという約束を前面に押し出して理解を求めた福田ドクトリンが大きな効果を発揮した。
 1970 年代に入ると危機が続き、早くも国際制度に動揺が走った。金ドル交換停止と輸入課徴金の賦課等の新経済政策であるニクソンショックによってブレンストンウッズ体制が終了し、日本は変動相場制に移行した。さらに第四次中東戦争とイラン革命を契機に二度にわたる石油危機が起こり、主要先進国はスタグフレーションに陥った。

 70 年代半ばに入ると米国の衰退、産油国や開発途上国の挑戦、西側先進諸国間の経済的相互依存の末に経済問題が政治問題化したことなどを受け、現在に続くサミット体制が志向され、実現された。なかでも G7 サミットは世界経済を牽引し、政治問題における自由主義陣営の結束を維持する役割を担った。この時代に求められていたのが強いリーダーシップであり、その状況下でサミット体制は大変重要な役割を果たした。
レーガン大統領が誕生した 80 年代初頭の米国では、新自由主義的で大規模な減税や規制緩和が行われインフレや低成長、高失業からの脱却が目指されていた。その効果は長期的には米国経済の復興に大きな役目を果たした一方で、短期的には財政収支と経常収支の「双子の赤字」に陥り債務国に転落した。このような苦しい経済状況が米国で続く一方で、日本は最大の対米黒字国であった。貿易摩擦は激しさを増し、日米英仏独による通貨調整の合意、いわゆるプラザ合意がなされた。また 80 年代半ばの米国では西洋の政治経済システムとは日本の政治経済システムは根本から異なるものがあり市場経済原則を逸脱する閉鎖的で不公正なものであるとする「日本異質論」が展開されていた。プラザ合意によって日米経済摩擦の是正が図られたにもかかわらず、その効果は限定的であり、また依然日本の貿易における存在感は根強く、さらに米国の中心地への日本の進出などは大変な注目を集め、それが反日感情を引き起こし米国人のナショナリズムを刺激したといえるであろう。
日本は戦後、右肩上がりの成長を続けてきたが戦後処理や貿易摩擦などのいくつもの困難にめぐり逢い、また変遷する国際システムに柔軟に対応し西洋諸国との比較的穏やかな協調関係と経済的発展の両立を成し遂げてきた。現在の国際政治は日中の二極化が進み、米国内の分断が進むなか、中国の凄まじい発展が目立っている。地政学上重要な位置にある日本では安全保障上の脅威は常態化しており、経済の安定は特に穏やかな外交関係の維持に欠かせない。私自身、これからも国際経済のシステムを総合的・俯瞰的に捉えつつ個別具体的な各国の特徴や歴史にもしっかりと向き合っていきたい。

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