見出し画像

ロマンポルノ無能助監督日記・第11回[西村昭五郎監督・赤江瀑原作『蝶の骨』で予告編を作ろうとしたが]

『高校大パニック』の熱い夏のあと、日活入社4本目に就いたのは西村昭五郎監督『白い肌の狩人・蝶の骨』。
小沼勝監督『時には娼婦のように』と2本立で78年9/23に公開された。
撮影は、8/7~9/1のうちの18日間。
撮影中に4日間のお盆休みが入り、2泊3日の京都ロケがあった。
真夏に撮影された訳だけれど、「暑かった」という記憶は無い。
『高校大パニック』の現場が熱かったから、“撮影の温度”が比べると低かった、ということかな・・・だが、忘れらない事件もあった。

西村監督は「ニシさん」と呼ばれスタッフから敬愛されていて、71年のロマンポルノ第1作『団地妻・昼下がりの情事』を監督して以降、年間4、5本のロマンポルノ(略称RP)をコンスタントに撮っている大ベテラン。
ミスターRP、というか、RPの四番バッターとでもいうか・・・

スタッフから敬愛されるためには、「めんどくさいことを言わない」ほかに、「撮影が早い」というのが大きい。
滅多に残業が無く、現場は淡々と進んだという印象だ。
ポルノシーンが、それまでより多かった、という印象もある。

ニシさんの監督デビューは33歳、今村昌平が共同で脚本を書いた『競輪上人行状記』(小沢昭一主演)という名作で、以後、吉永小百合の『青春の海』など14本を経て41歳でRPの1作目を撮り、 “RPの基礎”というか、”エロチスムの感情に浸れる映画らしさ”というか、「日活ロマンポルノの信用」を築いて維持してきた存在とされ、会社重役からは一目置かれていた。
この時は、47歳だったんだな・・・もっと、上という印象があったが・・・

画像2

本人は、かなりニヒルな人生観を持っていて、映画祭に呼ばれて映画ファンから質問されると、「すべて会社の言われた通りに撮ってるだけでございます」なんて、言っていたらしい。
晩年は、10年以上(かは調べてないが)老人ホームに入っていた。
一度、TVの2時間ドラマを撮るため、出所されたことがあったらしいが・・・

「(俺の仕事は)ループみたいなもんや」と言っていたのを聞いたことがある。「ぐるぐる、まわっとるんや」・・・だったっけかな、これは記憶に自信無い。
「10本も撮れば、撮りたいものなんて、なくなるわ」とも言っていた・・・っけかな、これも自信無い。
そういう事を誰かが言っていたのを、ニシさんに結びつけたのかも知れない・・でも、やっぱりそう言っていたような気がする。

僕は、この年、この作品の後に谷ナオミ『縄化粧』で西村組にまた呼ばれる。
2年後の80年には麻吹淳子『白衣縄地獄』、
81年には寺島まゆみ『わたし熟れごろ』と『開いて写して』で、連続して西村組に就き、チーフを努めた82年小原宏裕監督『ザ・ジゴロ』では、俳優としてワンシーン、ホテトルの客として出演されたので、計6本、ニシさんとは関わったことになる。芝居は、味があった。

一本おきくらいに、“ノっている”時と“ノらない”時とがあるという評判で、ノっている時は、連日残業になる傾向があった。
『蝶の骨』はノってる時だとは思えなかった・・・というか、僕が就いた作品は、どれもそんなにノって無い時だったから、助監督の仕事は楽だった。
脚本は、自分では直したりせずに「そのまま撮る」と決めていたようだ。

日活の監督は、脚本をそのまま撮る人と、毎日直して「差し込み」と呼ばれるプリントで、撮影ぶんの「直し」を、その日の朝出す人に分かれていた。
台本の中に差し込むから、「差し込み」。「号外」という言い方もある。
ニシさんの現場に、監督の出す「差し込み」は無い。
ただし、気に入らないと、撮影準備前に「こんなものは撮れまへんわ」と関西弁で言って、ライターにアタマから全部書き直させる。

『わたし熟れごろ』の時は、ニシさんがそう言ったとのことで、脚本直しに駆り出され、小金井の荒井晴彦さん宅にバイクで通って、同期の企画部員・山田耕大と3人で書き直したものを、また「これはおもろいのかもしれんまへんけど、わたしには撮れまへん」と言われ、さらに僕が旅館で2日くらいで、大筋を言われた通りに書き直した。
セリフをどうこうしろ、という細かい指示は無いので、それは自由に書いた。
クレジット名は入ってないが、評論家(北川れい子)にはボロカスに叩かれた。・・・まあ、でも、べつに恨みは無いですけど。

『蝶の骨』は赤江瀑原作・白坂依志夫脚本で、この前年にレイモン・ラディゲの小説を翻案した『肉体の悪魔』と同様、野平ゆき主演であった。
野平ゆきは、“ロマンポルノの栗原小巻”とか呼ばれていたが、大人しくて地味〜な感じの人だった。声も小さい。胸はまんまるで可愛く美しい。性格は優しくて、おっとりしているので、助監督を緊張させない。

画像4

カメラマンは『高校大パニック』に続いて山崎善弘さん、チーフ助監督は、後にエクセレントフィルムを立ち上げて、数々の作品を作る伊藤秀裕さん(『プライド』『ポールダンシングボーイず』などのプロデューサー)、セカンドは、のちに僕といろいろあった白石宏一さんで、金子はサードカチンコであった。

いろいろというのは、僕が白石さんに「予告編を作らして欲しい」と言ったところから始まる。
白石さんは、一期上だが、年齢は四年上だった。
年齢とは、実年齢というより、翌年の早生まれも同じ年とみなす「文部省年齢」というやつで、結構、これには拘った。
逆に言えば、白石さんは四つも年上だが、期は一つ上なだけじゃないか、というふうに、ちょっと甘く見ていたのだな・・・

助監督同期の瀬川正仁は2年上だが、2期上の那須博之、中原俊、加藤文彦、堀内靖博の“四人組”の文部省年齢は、皆4年上。
浪人なしストレートの僕が圧倒的に若い・・・助監督仲間では、“オトナの中のコドモ”みたいな感じは、多少あったかも知れない。

“えっ、30年生まれ?、わっかいなぁ、30年かよ”という言葉を、飲み屋で何度聞いたことか。多少自慢げには思ったが、誰でも言われて来たことだろうし、いつまでも言われることではない、とはわかっていた。それでも、若いのは、アドバンンテージがあるという図々しさがあった。

また、昭和29年生まれと30年生まれの差は、30年〜34年生まれの差よりも、溝のような落差がある気がしていた。
25年生まれの人より、40年生まれの人の方が感覚が近い気がする。
戦後の歴史とか、学生運動の影響が大きいだろう。見たTV番組とかも大きい。
僕より一つ上の人は、戦後「10年以内」に生まれていて、学生運動を目撃したか経験した世代に入るが、それ以後生まれの僕らは、運動の渦中には無く、嵐が過ぎ去った直後に大学に入った、いわゆる「しらけ」世代に属していた。

僕自身は、高校時代は民青同盟に加入してデモに参加して熱くなった時もある。
が、同調する友人は少なかった。
上の世代は、「団塊の世代」とか呼ばれていたが、かなり長いあいだダンコンの世代と読んでいた(^^)。
大学2年になって、周りの白け気分が伝染した感じで、政治的に更に白け、民青は脱退して、映画ひとすじになった。
『仁義なき戦い』の影響で、“組織というもんは、ヤクザも政治も似たようなもんじゃ”という気分が生じて、実際にそういう事をよく言っていた。

上の世代から見ると我々は、“戦わないダメな世代”と思われているのだろうが、戦いなんて既に無かったので、本当はあなた方を尊敬したいけど、そっちが先に軽蔑してくるなら無視します、という態度でいたので、その世代の那須さんが認めてくれると、凄く嬉しくなったのだと思う。

助監督→監督競争では「浪人なしで国立大学ストレート卒業」というのもまたアドバンテージであると意識していて、監督になる年齢を、とにかく若くしたかった。

いま、23だろ、助監督3年やってデビューしたとしたら26で、根岸さんの27より若いから注目される、とか、そういうことばかり考えていた。
この時、日活に入ってまだ5ヶ月なのに、すでに“焦っていた”のだ、と思う。
『高校大パニック』を経たこともあるだろう。石井君は21で、曲がりなりにも「監督」と呼ばれていたし、大森一樹も25とか、だっけ?

とにかく早く監督になるには、上のダンコン世代後の人たちを抜いていかないとならない。
那須さんは無理にしても、中原、加藤、堀内は抜きたい・・とか・・すいません。1期上の白石さんは、完全に抜く気でいた・・・

だいたい白石さんは、営業で合格したのに、人手が足らなくて助監督に回された、ということらしいから、最初から競争相手では無い、と認識していたフシがある・・という当時の気持ちが、思い出されて来た。

画像4

『蝶の骨』の物語は・・・
野平ゆきが、地味な女子大生時代に、大学で人気者の3人の男子(中原潤・山村裕・錆堂連)がいた。
この3人が、夜の講堂で、ある女子大生を輪姦する。
野平ゆきは、それを目撃して、自分が被害者だと偽って3人を大学に告発し、3人は退学になる。
それから数年後、ゆきは戸浦六宏に見出されて洗練された女になっていた。
そして、3人の男たちと初めてのように装って知り合い、次々誘惑して、セックスしては快楽を得てゆく。
一人は自殺していて、瓜二つの弟とセックスする。
本当に輪姦されたのは山口美也子だった。
山口美也子と3人は事実を知り、計らって、ゆきを車に乗せて、事件のあった講堂へ連れてゆく。
そこで本当に輪姦されて、野平ゆきは、新たな快楽に浸るのだった・・・

一人は京都にいたので、ゆきは京都まで行って、ラブホテルでセックスするうち、繋がったまま廊下に出て、さらに階段を登って、のぼりつめてゆく、というシーンがあった。
オールモスト童貞くんとしては、そういうこともあるんかな〜と思ってカチンコを打ったものであるが・・・
RPはセックスシーンのバリエーションを増やすために、いろいろな場所でセックスしている。

京都に行く新幹線の、ビュッフェ四人がけの席に、伊藤チーフ、白石セカンド、制作の服部さん、と僕が座っていて、そこで僕は白石さんに「予告編を作らせて下さい」と言った。

白石さんと二人だけの時に言ったら、簡単に断られると思ったので、チーフがいる席で言えば、チーフ判断になり、伊藤さんの性格なら「やらせてやりゃいいじゃん」と言うと思い、白石さんは、それを否定して「予告は俺の仕事だから渡せない」と言ったら、“先輩らしく無い”と思われるだろうから断れない、ここで(公の席で)言って決まったら、伊藤さんと服部さんの目があるから、途中でその仕事を僕から奪うことは出来なくなるだろう、という目まぐるしい計算をしていた・・・無能助監督。

那須さんに相談したら、「伊藤さんに聞いてみることだな」と言われた、というのもあった。

白石さんは極端な痩せ型長身で、目が大きく黒ぶちの眼鏡をかけていたが、眼鏡の奥の目が大きく見開かれて、僕を見つめていた。
服部さんは「金子、普通は、予告はセカンドが作るもんなんだよ」
と言ったが、伊藤さんは、
「白石が面倒みて、教えてやりゃいいじゃん」
と言った。

白石さんは、中原俊と並び称されるくらい「優秀な助監督」だった。
現場で、立ち止まることは無く、ハッキリ大声で的確な指示を出すことで、現場が“まわっている感”がして、進行が早くなる空気が生まれる。
人手が足りないと見ると、疲れも厭わずパッと重い機材を運び、撮影部・照明部から「ありがとー」と言われ、スタッフの“やる気“感を、見事に演出しているかのように見える。コードをまくのも早かった。
僕には出来ない、と嫉妬した。
この人に勝つためには、8ミリ映画で培った編集技術で予告編を見事に作り、鼻を明かすしか無い・・みたいな・・

予告編は、NGフィルムを繋いで作る。
だが、西村組は、そのNGが少ない。
RPは、通常、完成尺(完成した映画の長さ)の2倍のフィルムしか与えられない。それ以上になると、オーバーぶんを会社に申請して支給され、“この監督はフィルムオーバーした”、というチェックが入る。
だから、NGがないように、本番前には、入念にテストを重ねる。

フィルム許容量2倍というのは相当厳しいが、日本の映画会社は、どこでもフィルム使用に厳しかった。
フィルムの特許料を、ウェスタンエレクトリック→ウエストレックス社という100年以上前創業のアメリカの会社に支払っていたからだ。
どの映画にも、ラストカットには“westrex”のロゴマークが映倫マークと一緒に入っているのに気づくだろうか。
調べたら面白いだろうが、この会社がフィルムを開発した訳ではなく、電話発明のベルが権利を買ったこともある権利管理会社で、映画館の音響システムも製造していた事から、フィルムの権利も獲得したらしい。

だから、日本では、映画フィルムがアメリカよりずっと高いので、アメリカ映画みたいに湯水のようにフィルムを使う、ということが出来ない。
・・・という説明を当時から聞いていた。

当然、ニシさんは、NGが少ないように撮れるベテランだ。
だから予告の素材が足りなくなるということまで、僕は考えてなかった。
NGフィルムでも、僕のようなセンスある者が繋いでいけば、当然面白い予告になるだろう、それにタイトルを載せて、見たい気持ちをあおればいいのであろう、という程度の認識だった。

男優の芝居が妙に不調で残業となり(そういうところはニシさんは妥協しない)、セットが終わって夜もふけ、もう早く帰りたいのに、白石さんが「金子、予告用の素材、見てみようか」と言った。編集部に僕を連れて行こうとしている。
面倒くさい、明日にすりゃ、いいじゃん、と思った。それも、白石さんとじゃなくて、僕が一人でやればいいことで、と・・・

この作品の編集はベテランの鈴木晄さんだが、予告編は編集助手が繋ぐ。
その後、僕の映画をたくさん繋いでくれた冨田功さんが助手だった。

編集部は食堂の上にあって、廊下を中央にして両側に計8室ほどの部屋があり、常時どこかの組が入っていて、メインの広い部屋には「スタインベック」という立派な編集機が置かれているが、その他は、“バタバタ”と呼ばれる「ムビオラ」という小型の編集機が置かれてあり、これは、操作する人にしか、映像が見られない。
操作の時に、バタバタと激しい音がする。
写真は、16ミリフィルム用のスタインベックで、ネット上ではこれしか見つからない。バタバタの写真は無い。

画像3

ムビオラで、予告用の素材を何十カットも見た。
初めてなので、それが多いか少ないか、分からない。ただ、似たようなスローなカットが多い・・・
冨田さんが、白い手袋をして、フィルムをおさえながら、ミシンの足踏みのようなものを足で押すと、バタバタとフィルムが動き出し、奥からライトが当たるから、レンズ窓を通して映像が動いて見える。

「ネコちゃん、見てごらん」

冨田さんは身をそらせて、僕にレンズ窓を見せてくれる。
野平ゆきが喘いでいる。
ワンカットは数秒のものから、1分を越えるのもある。

「見たやつの意味を、ワンカットづつ、香盤表にでも書いておくんだよ。つなげる時に混乱するから」
と、白石さんが言う。

はいはい、言われなくても、どこかに書いておきますってば、分かってますってば、8ミリやってたんだから。全くの初心者じゃないんですって。
白石さんこそ、一年前は全くの初心者だったから分かってなかったろうが、僕も何も分かってない初心者、という前提で教えてくるのがウザいウザい。

分かってるから、帰って下さい、とも言えず、言われたように、カットの意味をメモしていると、お互いから発する空気が険悪になってきた。
結局、作業は11時を過ぎ、11時を過ぎるとタクシーで帰れるから、白石さんは、それを狙っていたのかも知れない、と思った。

翌日は、セット撮影も大詰めだが、セックスシーンばかりなので、助監督の数はいらない。
白石一人いれば現場は充分進行出来るから、金子は編集部で予告を繋いでいろ、という伊藤さんの判断と指示で、僕は、1日、予告の素材を見て、繋ぎ方を考え、冨田さんに繋いでもらって、通して見たりしていた。

現場サボって編集している、というのは幸福。現場より、遥かに楽しい。
ただ、どうも上手く繋がっているように見えない・・・おかしいな。
1分間繋いで、最後に「日活ロマンポルノ」→「ご期待下さい」と出せば良いわけだが、その1分間がなんかしっくりこない、面白く無い、というのは冨田さんはハッキリとは言わないが、僕自身、感じていた。

また、スーパーインポーズする惹句も、いろいろ考えて書いたが、伊藤さんのOKが出ない。
具体的には殆ど忘れたが、「京都へ・・・」という惹句を考えたが、「こんな説明いらないよ」と言われたのは覚えている。

カットの意味を、紙に1行で書いて、ハサミで切って、帯のようにして、それを1枚づつ並べ、頭から流して見て、また並びを変えたりして、試行錯誤していた。
そうこうしてると、撮影が終わった白石さんがやって来て、また小煩くチェックが始まる。
テンポが出てない、という指摘だったが、それは、元々の素材が悪いから仕方無いだろう、オレのせいじゃない、という気持ちになってしまう。
具体的に、どこをどうしたら良い、ということは言わないし、言われたく無い。
その晩も険悪な状態になってゆき、ついに衝突した。
「いいじゃないすか」「いや、だめだ、これじゃだめだ」

30秒以上の、物語性ある映像を、テンポ良く繋ぐには、用意されている素材を客観的冷静に把握している必要がある。
映画の中の場面だとしても、前後がないのだから、そのカット自体が、どれだけの「意味」と「力」を持っているのか、見極めなければならない。
例えば女が悲しいセリフを言っているカットだとしても、セリフは長くなるから使えないから、一瞬の彼女の表情が「悲しさ」を感じさせていないと、「この人は悲しんでいる」とは感じられない。
このカットは、“そういう意味で見られるべきだ”、と言っても、“そうなっているとは限らない”のだ。
僕には、それが分かっていなかった。まったく・・・

8ミリ映画のように、自分で撮っていれば分かるかも知れないが、人が撮っている映像で、台本上の「意味」は分かっているからと思い、その「意味」で繋いで、繋いだことで連続した「物語」が伝わらなかったとしても、それは自分の責任じゃ無いもんね、という態度になってしまっているから、見る方は「?」となる。

これは、指摘されても分からない。
繋いでいる本人が自覚しないと。
白石さんは、教師では無いのだから、僕に自覚を促すために、疑問と否定を繰り返すしかない。
僕は、疑問には答えられず、否定には頭に来ているから、もう我がまま坊主の心境となり、うるさい、黙ってろ、と思うが、そこまで強くは言えないから、奇妙な言い訳をしたのだろう、簡単に論破され、拗ねることになり・・・

「もういい、あとやるから、帰っていい」
と、言われたのでした・・・

悔し泣きデス・・・

泣きながら編集部を出る時に、冨田さんに慰められた。
この予告編のことは、何も触れなかったから、より慰められた。優しい・・・

当然、42年経ってるから、こうして多少の反省を伴って語れるが、この時は、ただ悔しい、チクショウ白石、と思っていました・・・でも、「憎い」とか「敵意」とかまでにはならなかった。

そして、予告編のオールラッシュで驚いた。
凄く、面白くなっている・・・
特に、僕が使おうと発想もしなかったカット・・・野平ゆきが3人の男に引っ張られて大学講堂に入ってゆくカットが、扉をバーンと開けて、そこにメインタイトルが載っているのを見て、この映画スケールありそう、と思わされた。
全体の繋ぎも、僕のものとは全く違うが、テンポがある。
オールラッシュなんで、まだ字幕は入っていないから、惹句は、白石さんが、そのカットで大声で言う。

僕より素材を見る時間も、繋ぐ時間もずっと少なかったのに、見事に出来ている。負けました・・・

試写室から出てくるスタッフは、みんな納得顔をしていた。
得意そうな白石さんの顔・・・うう、悔しい・・・

ニシさんなんか、「本編より予告の方が面白かったら困りますな」と言っていた。
白石さんは、照れて頭をかいていた。

この時は、ニシさんは、当然白石さんを褒めて喜んでいるのだろう、と受け取ったが、監督になって37年経ってこのセリフを書いてみると分かる・・・
これはニシさんの本音だ。

この話には一年後に続きがある・・・
でも今回は力尽きて、そこまでまだ整理出来ないので・・・
アタマ、整理させて下さい・・・

(チャリンの方は次回予告)

ここから先は

56字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?