ロマンポルノ無能助監督日記・第29回[風祭ゆき主演『女教師狩り』でチーフ昇進、渡辺良子とも『ザ・ジゴロ』で共演しカラオケビデオ演出、美保純も登場]
金子のロマンポルノ初チーフ助監督は、『東京地検物語』に続いての鈴木潤一監督・風祭ゆき主演の『女教師狩り』で、撮影は82年7/26~8/5までの9日間、公開は8/29から藤井克彦監督・志麻いづみ主演『団鬼六・蒼いおんな』とのカップリングとなっている。
脚本は、後に『百合族』シリーズを書くが、94年に42歳で早死にしてしまう斎藤博のデビュー作。
読んで、語尾で言い切らないセリフが多く、曖昧な印象で、登場人物の心理が良く分からないと思った記憶がある。
この2年後の『OL百合族19歳』の時は、良く分かって、女の子のセリフ、特に山本奈津子の甘えるようなセリフが上手いな、と思ったものだが・・・
その後もTVで中原俊さんの『桃尻娘』などが評判となった。
鈴木さんは、結構、現場で直していたと思う。
高校の夜のプールから始まる。
裸の男女が泳いでいて、プールサイドの制服が何者かに奪われるファーストシーンは、ちょっと惹かれる。
男子高校生・大介=井上肇は、無記名の投書で同級生へのレイプを教師に疑われて憤慨し、言い訳せず自ら退学して出奔、湘南でヤクザに気に入られて働くことになる。疑った女教師島子=風祭ゆきは、大介の無実を知って謝りに来るが、大介はその島子を、夜の海の家でレイプしてしまう。この時の二人の心理が良く分からず、どうも納得のいかない展開で、終盤、学校に戻った大介は、元々性関係もあったのに「レイプした」と疑われた同級生・緑=伊藤京子を、嫉妬から投書で告発した別な男子学生(プールで制服を奪った奴)に雨の中でレイプさせてやり、更に自分も続いて泥だらけになってレイプするという結末になって、ロマンポルノ初出演の伊藤京子は散々酷い目に合って可哀想だなと思ったが、なんでまたこの人をわざわざ再び学校内で真っ昼間にレイプする必要があるの?誰も気づかないの?と思うし、彼にレイプされた島子が、夜のプールで全裸で泳ぎ、そこにボロボロになってやって来た緑と理解し合う、というラストでは、う〜ん、分からん、かなり本筋が乱れてしまったように見えるが、撮影は前田米造さんで、手堅いカメラワークで重厚感があって、本格的なものを見ている感覚はある。
画や芝居が良いから、余計に納得出来ない展開が気になってしまう。
前年81年に朝比奈順子主演『婦人科病棟やさしくもんで』でデビューした鈴木さんの3作目だった。
風祭さんは、“ロマンポルノ史上最細女優”だと思うが、この2年前80年に小原宏裕監督『赤い通り雨』で日活デビューし、いたいけな“犯され”演技力に撮影所内には衝撃が走り、続けざまに小沼勝監督が『妻たちの性体験 夫の目の前で、今』では男子高校生に集団レイプされても品を失わない美しさが衝撃を与え、根岸吉太郎監督も『女教師 汚れた放課後』で主演させて評判を呼び、あっと言う間に日活のエース女優格になったかと思ったら、相米慎二監督・薬師丸ひろ子主演『セーラー服と機関銃』でも亡き父・組長の謎の愛人として登場して存在感を放ち、日活の外の世間でも、売れっ子ぶりを発揮していた。
そう、この年は『セーラー服と機関銃』が正月に大ヒットした年だ。
(正確には81年末12/19公開の東映正月映画で、併映は『燃える勇者』)
公開直後に相米さんが、制作部に現れ、「おお、ソーマイ、ヒットしたんだってな」と誰かから言われて、手を膝にあてて深々と頭を下げた姿を、目撃した。
そう言われたら、こうするものなのかぁ、自分もやるかななぁ、と思った。
相米さんは、日活社員ではないが、フリーとして何本もロマンポルノの助監督をやっているので、日活では良く知られていた。
風祭さんはロマンポルノオファーから1年間迷っていたが、大島渚監督の説得で出演を決意したそうで、所属事務所の「植物園」社長は、大島監督の妹さんであった。
チーフになると、マネージャーや事務所から名刺をもらい、そうした事情を直接聞くことになる。
大島監督の「ああいう仕事って言うのは、”女優が如何に肉体労働者であるか”って実感する、その最たるものなんだから、軽く考えて体操だと思ってやってきなさい。なにより、1本の映画を背負う主役をやるということは、1度は経験しなきゃね。鶏口となるも、牛後となるなかれ、ですよ。」
の、言葉がウイキペディアに残っている。
鈴木さんとしても、3本目でエース女優を任された、という気負いがあったように思う。
撮影中、食堂で、鈴木さんが風祭さんと真剣に話し込んでいる姿を思い出す。
話の詳細は分からないが、鈴木さんがポルノシーンを頑張りすぎて、メインの話が迷走していると言われたのではないか?・・でも、それはチーフの仕事には関係ないので、深くは聞かなかった。
チーフはスケジュールを作成したら、役者の出演予定日と時間を事務所に連絡し、他の仕事がダブって入っていたら、時間調整もして、「○時入り○時出し」などと考える義務が生じる。
○時に現場を出したらテレビ局に○時に着くから、出し時間を監督に厳守するように言っても「そりゃ無理だよ」と言われたらどうしよう、とか考え台本を読みながらスケジュールを立てる・・・色々な不条理の狭間に置かれた仕事なのだということが二、三本やると分かってくる。
あまり映画のストーリーと自分の仕事とが関連しなくなって、監督に対する気持ちもセカンド時代とは違ってくる。
だからか、初チーフなのに『女教師狩り』は話を良く覚えていなかったのでAmazonで見直すと、おかしな所ときちんとしている所を剛直に繋げている感じがしたが、最終的には会社は合格点をつけるだろう、という作品になっている。
ストーリー的には納得いかなくても、セックスシーンやレイプシーンは映像としての迫力はあって、移動撮影なども丁寧で、映画的に撮られているからだ。
さすが東大倫理学科卒の鈴木潤一監督(と、僕が書くと皮肉ぽいですよね)。
この女教師が不倫して悩む恋の感情は良く分かるが、その彼女がレイプの件を少しだけ疑った男子生徒に、不倫の恋を諦めた後、そこまで贖罪の気持ちを持つものか、という疑問が残って(何度も「あやまりたいの」と言って近づく)、挙句は近づき過ぎて、彼女はこの男子生徒にレイプされるわけだが、抵抗しながらも、それを甘んじて受け入れてしまうのは(海辺を歩いて、靴を波に投げ捨てるのはその意図か?)、仕事としてこの生徒に真剣に向き合っていなかったという反省が、レイプを受け入れることに繋げられるのか?おかしいな・・・と思ってしまうのだ。
企画としては、レイプの動機のバリエーションを求めていたのだろう。
レイプされたから警察に訴える、という展開は、ロマンポルノでは殆ど無い。話が続かないから。だが、今の客は、先ずそこを疑問視するだろう。
今後は、更に「分からない」と言う人たちが増えてゆくであろう。
この助監督日記で、レイプ、レイプと連呼するのも憚れられる。
当時の企画部の要請を聞きながら、一本の物語にして、俳優たちの心理を納得出来る形で描いてゆく、つまりは後の世にも通じてゆくのは至難の技だなあ、と39年経って実感する。
ロマンポルノの3分の1はレイプ・・・女性が意にそまぬセックスを強いられるシーンがあるように思う。数えたわけではないが。
今見直すと、事件の発端的に描かれるレイプには納得性があるが、主要キャラクターが発作的にやるレイプは、退屈に見えることが多い。アクションシーンとして撮って、テンポを出そうとする場合もあるが、それにしては長い。普通、そんなにレイプってしないだろ、未遂で終わるだろ、と思ってしまう。
女性がセックスで快楽を感じているシーンは、女優の芝居力でエロを感じさせてくれるので、今見ても面白く、スリリングだ。
俳優への連絡のことだが・・・
入社した頃は、俳優課が役者への電話連絡をしており、日活俳優クラブという大部屋俳優さんら男女優が20人くらいおり、小さな役に重宝していたが、この頃は合理化により廃止、俳優課も人員縮小で、役者への連絡が助監督の任務になり、最初に事務所に明日の予定を電話する時は、ちょっと抵抗があった。(現在でも、「俳優担当」のいない小規模映画では同様の役割を助監督がしている)
だいたい午後3時以降に入れなければならない。
携帯が無い時代だから、ロケ現場付近の電話ボックスを探しておいて、10円玉を沢山用意しておく。
「えー、日活鈴木組チーフの金子ですが、明日の風祭さんの予定をお伝えします。9時開始日活撮影所、シーンナンバー・・・」と。
なんちゅうことは無いと思われるかも知れないが、始めは「何故こんなことをしなきゃいけないの?」という抵抗感を0.5秒くらいで乗り越える心理が、僕にはあった。
その背景には、「脚本も書いているこのオレが」とか「助監督3年やったら監督にしてやると入社の時言われたのにもう4年いや5年」という心理ベースの上に「これは本来の演出部の役割では無いだろう」という批判的な思いがあった。
セカンドの時は監督から何か言われた瞬間に「どうして別な人間が考えているイメージを他人のオレが分かるんだよ最後まで自分で考えろよ監督」という、“8ミリ監督から助監督への降格心理からくる抵抗感”がベースにあったうえで「そっちが頼むのなら仕方ないオレの考えを言ってあげよう」という偉そうな感情が湧き上がって来るのを抑え「あ、分かった、それで金もらっている仕事だったんだハハそれが助監督というやつだ仕方ねえ」と、やっとのこと“社会的契約”に気づく、ということが、0.2秒くらいのあいだ、グチャグチャに思考しているので、この思考を理解し得ない他人から見れば「ボーッとしてる」としか見えないだろうが、チーフになると、そこに「どうして役者の金儲けの手伝いをリベート無しでしなきゃいけないの?」という疑問と苛立ちがベースに加わり「役者だって日活よりは他の仕事やれるならやった方がいいにから協力してあげようじゃないの」という親切心も同時に芽生えていて葛藤し、ボーッと思考が1秒くらいに延びたかのような・・・
でも結構真面目に勤めた。
ダブりの仕事は風祭さんのことではなく、後々のテレビなどの仕事の時のことで、主演の人たちは、撮影期間はこれだけしか入れていないのが普通である。
映画は、だいたい主要俳優は撮影期間は他に仕事は入れないというのが、その頃の常識であった。
この時、風祭さんをレイプする高校生役で映画デビューした井上肇さんは、息の長い俳優となり『スキャナー 記憶のカケラを読む男』(2016)に、木村文乃の少女時代の父親役で出てもらい、久しぶりに会えた。
この時のデビューでは、遅れて来た旧日活青春映画スターのような爽快な雰囲気を持っていたが、当然、すっかり大人になって落ち着いていた。
風祭さんも、この後の数年でロマンポルノ出演は20本以上となり、僕の最後のロマンポルノ『ラストキャバレー』(88)にも、特別出演的に出てもらい、ロマンポルノの終末をスプリンクラーの水を浴びて表現してもらったのであった。
『赤い通り雨』でも『女教師狩り』でも、風祭さんは、激しい雨に打たれながらレイプされている。
雨降らしレイプは、日活の定番だ。
風祭さんは、都合何度犯されたのであろう・・・
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