国語って何?
数回に渡り、「小学生の国語学習について」述べてきましたが、より原点に立ち返り、そもそも国語とはどういうことを学ぶ教科なのか。どうやって学んでいくのか。
あれこれ思うところを書いていきたいと思います。
まず、国語とはどういうことを学ぶ教科なのかについて。
「小学生の国語学習について」で、教室で活用している教材をいくつか挙げました。
その中のひとつである「読解はかせ」には、基礎編というテキストもあります。
抜き出して答える問題が多くなり、本文に書かれていることが何かを問うものがほとんどになっている教材です。
単語の拾い読みや文脈からはなれて、言葉を切り取るのではなく、文章に書かれていることを「正確に」読み取り理解するための基礎力をきたえる問題といってよいと思います。
なぜ、わざわざこうしたことを述べさせていただいたかというと、
「国語の解答は一つではない」
「国語の問題の解き方に決まったものはない」
こう考えている生徒がまだまだいるからです。
ではなぜ、こう考えてしまうのか、「読解を基礎から学んでいないから」ではなく、あえて申し上げると、小学生が学校で学んでいる国語と塾で学んでほしいと考えている国語にズレがあるからではと感じています。
たとえば、物語を読んで「〇〇さんは、どんな気持ちかな、みんな考えてみよう。」という発問、奇異には思われない、むしろ一般的なものと考えます。いかがでしょうか。
そうすると、当然、自分はこう考えるとか、自分は思いつかないとかいった答えが出てきても不思議はないと思います。
そして、これは「他人の気持ちを考える」ということ、つまり、道徳的教育という面で価値がある発問だとも考えます。
いわゆる読書感想文という課題も、本を読んで「自分は」どう感じたかを求めています。そうすると「人の好みは十人十色」という言葉があるように、物語を読んで、どう理解し、どう感じるかも人それぞれと考えるのも無理はないなと感じています。
しかし、物語文にも論理構造があります。
ですから、たとえば「相手の発言・行動」が原因で「自分の気持ち」が結果といった説明や、「自分の気持ち」が原因で「自分の発言・行動」が結果という説明ができますし、こうした観点から問題を解くのですが、学校で学んできたこととズレがあるため、最初は難しいようです。
ではどうするか。
繰り返しになりますが、文章の内容が全く異なるにも関わらず、同じ論理構造で成り立っているというのは、抽象的な考え方ですから難しい。
まずその前に、本文と問題を一対一対応させて読み解くことができる「抜き出し問題」から取り組んでもらおうと考えています。
「書かれていることは何か」という問いの答えは一つしかない
「書かれていることをつかむというのが基本となる解き方」と考えるからです。
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