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“作家のドラマ”を読解する:『ツイン・ピークス』サーガ(1990~2017)

 脚本家でプロデューサーのマーク・フロストとデヴィッド・リンチとの共作テレビシリーズとして始まった『ツイン・ピークス』(1990~91)は、前日譚に当たる劇映画『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最後の7日間』(92)、テレビドラマの第3シーズンに相当する『ツイン・ピークス The Return』(2017)と合わせて、一つの物語世界を成しています。それは“サーガ”という古風な言葉で呼びたくなるほど、多様な登場人物が複雑に関連し合う世界ですが、“サーガ”と呼ばれることが多い『ゴッドファーザー』シリーズや『スター・ウォーズ』シリーズなどの世界と比べると、決定的な相違があります。
 『ツイン・ピークス』の物語世界には、物語がよって立つ規則がありません。物理法則はしばしば破られ、作品内のどこにも説明を見出せない現象が起こることも珍しくないだけでなく、それら不思議な出来事を既存のテクスト(映画作品でも文学作品やオカルトを含む宗教的文献でも)に照らして解釈することさえ不可能です。そこで描かれる非日常的な現象に関する唯一の参照可能なテクストは、この連作自体です。そのため、『ツイン・ピークス』の物語世界ではどんなジャンルの規則も最終的に無効化されます。
 そのような世界で起きる物語全体を合理的に解釈しようとすれば、鑑賞者は努力すればするほど足をすくわれることになります。特にリンチ自身が全話監督している最新の『ツイン・ピークス The Return』(以下では“第3シーズン”と呼びます)に関してはそうです。昨今はいわゆる“ネタバレ”や“解説”のたぐいが氾濫していますが、結末や細部の関連がどれほど明かされようが、全体として物語がこれほど開かれていれば鑑賞の楽しみが減少する心配はないでしょう。本稿では、この非叙事詩的なサーガ=連作の美学的な特徴について私見を述べたいと思います。

”ドラマ”から解放されてゆく物語世界 

 この連作は、テレビドラマが3シーズンで全48話、劇映画『ツイン・ピークス/ローラ・パーマー最後の7日間』(原題は”Twin Peaks: Fire Walk with Me”、以下では単に“劇映画”と表記します)が2時間14分という、長大な物語です。これほど長く一話完結形式でもないドラマでは通常、主人公を含む集団と敵集団との闘い、または主人公の成功ないし成長が描かれるものです。しかし『ツイン・ピークス』連作の物語は、そのような図式には当てはまりません。

 テレビドラマの第1、第2シーズンでは、ワシントン州のカナダ国境に近いツイン・ピークスなる田舎町で起きた、女子高生ローラ・パーマーの殺害事件の真相解明が物語の中心となっています。ドラマの人気を受けて92年に制作された劇映画では、先行するテレサ・バンクス殺害事件の捜査とローラの死の真相が描かれています。そして第3シーズンでは、劇映画と第2シーズンの結末を受けて25年後の世界が描かれています。
 これら連作を通じて活躍しつづけるのはFBI捜査官デイル・クーパーだけなので、彼が主人公であることは間違いないでしょう。その前提で物語全体を要約すれば、次のようになります。クーパーが現地の警察と共同で連続殺人犯を追ううちに背後に超自然的な悪の力が存在することが明らかになり、彼はそれと対決するが破れるというのが第1および第2シーズンの、その後失跡したと思われていたクーパーが、一種の異次元空間である「赤い部屋」に25年間閉じ込められていたあと現実世界に帰還し、次第に自分自身を取り戻して悪の力に再び対峙するというのが第3シーズンの主筋です。途中で不可思議な出来事が起きたり、他の魅力的な登場人物たちのあいだで恋愛や犯罪がらみの話が展開されたりしますが、それらは作者リンチとフロストによる才気あふれる逸脱や副筋だと見なせば、ドラマツルギー的に一貫性はあることになります。
 主人公の敵もはっきりしており、クーパーが対決する悪の力は、ローラが“ボブ”と呼ぶ痩せた中年男の姿を取っています。ボブは、彼女の父親リーランドに憑依して娘を殺させ、第2シーズンではローラに瓜二つの従妹マディまで殺させています。劇映画の最初のエピソードで遺体が発見されるテレサ・バンクスを殺したのもボブです。
 作中でクーパーは、テレサ殺害とそれに続く同僚チェット・デズモンドの失跡を、「(ゴードン・)コールの“青いバラ”事件」と見なしているとヴォイスレコーダーに録音しています。“青いバラ”に関しては第3シリーズ第12話でその意味が完全に明かされており、なぜFBIのクーパーが超常現象関係の事件を捜査していたのかも、そこで分かります。ブリッグス少佐らが参加した空軍の“ブルーブック”計画なるUFO調査が1970年に中止され、その数年後に軍とFBIで極秘チームを結成して調査を継続しました。それが“青いバラ”計画であり、調査チームの主任となったフィリップ・ジェフリーは、デズモンド、クーパー、アルバートの三人を引き入れたのです。これらのことはアルバートによって、文字通り“説明”されています。
 デヴィッド・ボウイ演じるジェフリーは劇映画だけに登場します(第3シーズンにおける人間だった頃の彼の映像は、劇映画のフッテージを白黒化して再利用したものです)。彼はテレサ・バンクス事件が起きる2年近く前に行方不明になっていましたが、突然クーパーや上司であるゴードンの前に姿を現し、「ジュディのことは話さないからな」と言ってから謎めいたヴィジョンを見せ、また姿を消します。それと同時にデズモンドの失踪が判明します。先行するブルーブック計画のブリッグス少佐とクーパーは第2シーズンと第3シーズンのあいだのどこかで失跡しているので、超常現象の調査にたずさわった合計4人が消えたことになります。彼らはおそらく「赤い部屋(とそれを含む“ブラックロッジ”)」に行ったのであり、そのことは第3シーズンに登場する奇妙な部屋の映像からも分かります(下図)。

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 このように、連作全体を通じて主人公とその仲間の集団、そして敵ははっきりしています。曖昧なのはローラ・パーマーの役割です。
 ローラの短い人生は、カンヌ映画祭に参加したものの無冠に終わり、アメリカ本国の批評家たちから酷評された劇映画の中でしか描かれていません。この映画にはクーパーも登場するものの、邦題が示すように物語の大半は彼女の最後の日々を描いています。ローラを演じたシェリル・リーがずっと画面に映っているのは、この作品だけです。第3シーズンにおいて彼女は、「赤い部屋」でクーパーと会う中年のローラ以外に、最終回(第18話)だけに登場するキャリー・ペイジという中年女性も演じています。第17話の終盤に出てくる若い彼女の映像は、劇映画のフッテージを白黒化して再利用したものです。シーズン全体を通して、画面に映っている時間はキャリー役が一番長いでしょう。
 クーパーは第17話で、ツイン・ピークスの保安官事務所に連絡して自分のドッペルゲンガーによる殺人を回避させ、そのあと文字通り時を超えてローラの命を救おうとしています。異次元空間の部屋(おそらく“ブラックロッジ”に含まれる、コンビニエンスストアの二階)で巨大なポット状の姿になったジェフリーと対面した彼は、「特定してくれ」と言われて「1989年2月23日だ」と答えます。ローラ殺害の当日です。すると相手は「ここで君は”ジュディ”を見つけることになる」と言います。
 クーパーはローラ殺害の夜、森で彼女の前に現れ、手を引いて家に連れ戻そうとしますが、彼女は忽然と消え、辺りに悲鳴が響き渡ります。そのあとクーパーは「赤い部屋」で、マイク、彼の腕から進化した奇妙な生物、そしてリーランドと対面します。現実世界に帰還した彼の前にダイアンが現れ、彼らは昼夜が突如逆転する境界線を越えて車を走らせます。しかし彼らの目的地は不明です。
 最終話でクーパーがダイアンに再会したあとの出来事は、この節の初めに要約して述べたようなドラマ的な主筋と副筋の関係からは説明がつきません。第17話で宿敵ボブの顔が映る黒い球(その誕生が1946年7月16日のトリニティ原爆実験に遡ることは、第8話で映像によって示されています)は粉々に破壊されています。クーパーはゴードンやダイアンに別れを告げ、ローラ殺害を阻止すべく1989年に戻ったものの、過去を変えることに失敗して現実に帰還し、ダイアンとの再会を果たしました。ドラマとしては、せいぜい彼女との愛の確認までで完結できたはずです。主人公の男性が宿敵を倒し、物語の発端である殺人を防ごうとしたがタイムパラドックスが起きるために叶わず、現実に戻ってドッペルゲンガーに傷つけられたらしい女性と愛を確認しあうというのであれば、それは模範的なハリウッド製映像作品のエンディングです。しかしリンチとフロストはそのような結末にせず、一見蛇足にも見えるいくつものエピソードを付け加えています。
 そもそも、第3シーズンの第2話で、死んだはずのローラがクーパー同様に年を取って「赤い部屋」に現れ、クーパーに彼女なのかと問われて最初は「彼女を知っている気がする。でも時々手が後ろに曲がるの」と言い、次に「君は誰だ?」と訊かれると「私はローラ・パーマー」と答えている時点で、第2シーズンまでのドラマからの離脱が示唆されています。このシーンには因果関係の明確さもドラマ的な必然性もないからです。
 それまでの、昼ドラのような男女の恋愛や資産をめぐる陰謀やドラッグの密売などを副筋とする善悪の闘争のドラマの代わりに、第3シーズンには漸進的なドラマの解体があることになります。ドラマよりも夢のように自由な連想が優先される別の物語が展開してゆきますが、その世界は本質的に不条理なのです。しかし作者たちは、多くの映画作家たちがそうするように革新性を強調したりせずに、終盤近くまで昼ドラ(あるいはソープオペラ)的な要素を残しています(エド、ネイディーン、ノーマの三角関係がその典型です)。そのため、第3シーズンを映像作家デヴィッド・リンチの作品として見ると、まるで『イレイザーヘッド』(76)の物語世界と『ストレイト・ストーリー』(90)のそれとが強引に結びつけられているように見えます。

”これは未来か、それとも、これは過去か?”

 この問いは、”片腕の男”マイクが「赤い部屋」でクーパーに対して提出するもので、第3シーズンの中で3回反復されています。しかも毎回、彼がその言葉を発するショットは構図が同じで、不自然なほど長いショット頭の間(ま)や「赤い部屋」固有の反響のない音声が正確に繰り返されています。最初にマイクがこの台詞を言うのは、中年になったローラがクーパーの前に現れる直前です。そして彼女が悲鳴を上げながら空中に吸い込まれるように消え、赤いカーテンが風に吹き上げられて闇の中に立つ白馬が見えたあと、マイクは先ほどローラが座っていたソファで再び同じ言葉を繰り返すのです。3度目に彼が同じ場所でクーパーにこの台詞を言うのは、最終話で後者がローラの手を引いて森の中を歩き、彼女を家に連れていこうとして失敗した直後です。

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 前節で述べたように、ローラは最初、自分が彼女であるとは意識していません。クーパーから「君は誰だ?」と問われて初めて、自分がローラ・パーマーだと名乗るのです。相手に訊かれたことで記憶が蘇ったようにも見えます。
 第3シーズンにおいて忘却のテーマは何度も繰り返されています。ローラだけでなく、ダギーの体に入り込んだクーパーや、他の主要な登場人物も、作中で重要なことを忘れていたのを思い出します。しかし第1話の冒頭近くでクーパーが”巨人”から言われた事柄は、視聴者自身が最終話を観るまでに忘れてしまっている可能性が高いです。それは、二人が話している蓄音機のラッパから聞こえるギチギチという音は、「我々の家の中だ(It is in our house now.)」ということ、430という数字、リチャードとリンダという名前、そして「2羽の鳥を1つの石で」という言葉です。最終話を観ると、クーパーが数字を最後まで覚えていたことは確かですが、他の事柄を覚えていたかどうかは判断できません。忘却のテーマは、時間の経過という要因と密接に結びついています。

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