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圧倒的実力を手に入れる方法

こんにちは!
鉛筆画家の望月宗生です。

今回は僕が鉛筆画の圧倒的な実力をどのように身につけていったのかを書きたいと思います。

このように文章で、または口頭でもあまり語ったことがなかったので改めて紹介できたらと😊

僕は鉛筆で女性や恐竜の絵を描いているのですが

目指すところは「人類がおよそ辿り着けない“洗練された領域”に到達する」ことです。

他の追随を許さないほどの圧倒的な作品づくりで自分の芸術を追求して、神の領域に行けたらと。

だいぶ厨二病感が漂っていますが、洗練に洗練を重ねた作品で世界に挑戦して、本気で世界トップクラスのアーティストになろうと思っています。

僕がやっている鉛筆画はいわゆる“デッサン”みたいなもので、それはあらゆる技法の基礎技術だったりします。

美術だけじゃなく、音楽でも、スポーツでも、勉学でも、基礎や土台って大事ですよね。僕はこの基礎技術を極めに極めようとしているのです。

ではどうして基礎技術を洗練させようとしているのか?


◼️センスのない画家の初個展はニューヨーク!


僕の学生時代はスポーツ三昧でして、ソフトボール、バスケットボール、陸上競技、キックボクシング、とスポーツマンシップに則った生活を送っていました。

基礎体力・技術をつけた上でテクニック、アイデア、戦術などを研ぎ澄ませて洗練させる。

そして対戦相手とお互いの実力を試し合う。それがスポーツの醍醐味であり本質です。

実力を競い合うことでともに成長できる環境が、想像を超えた洗練を生み出す。

学生時代にスポーツで他者との力比べをずっとしてきたことで、自分を洗練させてより高いステージへ挑戦するマインドが形成されたのでした。

ところがどっこい、僕は基礎技術ばかり磨いていたのでテクニックアイデア戦術も全くありませんでした。

ホンッッッッットに全くありませんでした。

バットを振っても球に当たらないし、ボールを投げても鉄の輪っかに入りゃしない。いわゆるセンスがないってやつですね。

そう、コツコツ基礎練するのも好きなのですが、なにより基礎技術でしか相手に対抗できる手段がなかったんです。

そして努力が才能を打ち負かす快感を覚えたのもこの頃です。世間は“才能”をもてはやしますから、その下剋上はもう気持ちがいい気持ちがいい笑

そんな変態野郎がセンスがないなりにアート活動を始めたのが2009年。

まだ何者でもない僕はひたすら絵を描きまくる毎日を過ごしました。まずは実力が必要だ、と鉛筆でカリカリ作品制作。

そんな生活を数年続け、実力もついてきた頃に、海外で募集されていた展示会の企画に応募しました。

若さゆえの根拠のない自信もあったので、最初から目指すは世界のトップだったんですよね。

そして積極的に海外の展示会への出品を繰り返していると、ある日ニューヨークでの個展開催のオファーが飛び込んできました。

アートのメッカと呼ばれるニューヨークからの個展のオファー。

日本で個展すらしたことがなかったのですが、僕は迷わずそのオファーを受け、英語もまともに喋れない状態で単身アメリカへ渡ることになります。


◼️異国の地で初めての挫折

初めてのアメリカへの旅。不安もいっぱいだったけど何より見知らぬ土地での経験は良い意味で僕を奈落の底につき落としてくれやがりました。

ニューヨークでは個展中に作家はギャラリーには居ないのが普通らしく(“作家は忙しいもの”だとか)、自由時間はかなりありました。

それならばとマンハッタンにある数多くのギャラリーを毎日毎日ひたすら巡りました。こんな経験なかなかできないぞ、と朝から晩まで歩きまくる。

チェルシー、ソーホー、ブルックリン。

ニューヨークのアートはなんぼのもんか、ギャラリー街として有名な所は時間が許す限りまわりました。

そしてそこで見た作品達にめちゃくちゃ衝撃を受けます。

「レベルが違う…」

自分の作品には自信がありました。何年もかけて実力を身につけたのだから。

それでもまったく歯が立たないのが明白だったことにショックを隠しきれませんでした。

やはりニューヨークのアーティストは優秀で、僕の作品との差をまざまざと見せつけてきたのです。。

個展は無事終了したものの、僕のはじめてのアメリカへの旅は自信喪失という結末で終わりました。

自信満々に息巻いて飛び込んだニューヨーク。しかし現実を突きつけられてショックと焦りと共に帰国しました。

自分が今までやってきた事はなんだったのか…
アーティストを辞めようかと考えもしました。

帰国後、悔しさが込み上げてきてしばらく考え込んでいましたが、何より僕の作品に足りなかったのはクオリティ(質)の高さであると結論に至りました。

いつまでもヘコんでいたって仕方ない。日本で再度実力をつけて、また海外へ挑戦することを誓いました。


◼️血の滲む鍛錬、、からのわがまま発言


ニューヨークから帰国後、より多くの経験を積むために展示会に積極的に参加し始めます。

また、アート業界にまつわる書籍を何冊も読み漁ったりして、改めてアートの研究に没頭しました。

自分の作品に足りないものを考えながら試行錯誤を繰り返し、思い悩む日々も何度もありました。

自分では傑作だと思った作品がなかなか良い反応がもらえなかったり、酷評を受けて落ち込んだり。

その度に何が良くなかったのかを考える。とにかく遊ぶ時間も削って絵を描きまくったのです。

その努力の甲斐あってか、展示経験を重ねるごとに徐々に作品のご購入・高評価をいただけるようになってきました。

また「損保ジャパン日本興亜美術賞」に入選して美術館での初展示を果たしたりするなど、少しずつ自信を取り戻していきます。

謎にファイティングポーズをする僕ですが、そんな中、現代アート専門のギャラリーから個展のオファーをいただきました。

銀座のギャラリーで展示していた僕の作品を見て気に入ってくださり、オファーに至ったとのこと。

ニューヨーク帰国から3年、そろそろ個展をしたいと思っていたタイミング。流れは来ている。

個展オファーは願ってもないチャンスだったが、やるなら全作品を新作で全力投球したかったので、わがままを聞いてもらい2年半待ってもらうことになった。


◼️おめぇには魅力が足りないんだよ!


「さぁ個展の準備だ」と意気込みますが、もちろん制作だけに没頭するわけにはいきません。

なぜなら2年半後の個展に多くの集客をするために知名度を上げなければならないからです。

制作を続けながら多くの人に知ってもらえるチャンスはなんだろうか。そうだ、美術賞だ。

アートのコンペに入選・受賞できれば美術館等で展示され、出品した絵は個展のためのストックにもなるし広告・宣伝にもなります。

以前、損保ジャパン日本興亜美術賞に入選していたし、ニューヨークの時より格段にレベルアップもしていたので自信はあったので応募しました。

…しかし。
その年の美術賞には落選。

全国の猛者達が自信作を出品するコンペだ、そう簡単にはいくまいかと気を取り直して翌年にまたチャレンジを決意します。

そして翌年、よりクオリティを上げて今年こそは!と2つのコンペに臨むもどちらも落選。

さすがにこれにはヘコんだ…

審査員のお眼鏡にかなわなかったからと言って必ずしも駄作というわけではないが、やはり自分の作品を全否定されてるような気分になってしまう。

その上、当初の目的である個展の集客につなげるための機会も失われたのでダメージは大きかったです。

やはり下心丸出しではコンペもナンパも上手くいかないものですね。世の中よく出来てる。

とは言え他の作家さん達よりも魅力が足りなかったから選ばれなかったのも事実。

自分に足りなかったものを求めて、落選した美術賞の展覧会や、アートフェアなどに足を運んで研究を重ねました。

人気の作品・売れている作品を前にして、何が他と違うのかを考えていましたが、答えは実にシンプルかつ難題で“魅力的な画面構成”だったと気がつきます。

まさに僕にとって難題。なぜなら僕にはセンスがないから。

これまでは「まずは実力が必要だ」と、綿密で質の高い描写にばかり意識が囚われていて、アートにもっとも大切な部分から目をそらしていました。

しかし思えば芸術家を始めて8年、そろそろ“魅力的な画面構成”を意識して制作しないとなと思うと同時に、自分の最大の武器は高品質な基礎技術であると自覚することができました。

美術賞に連続で落選したことはかなり落ち込む出来事でしたが、それによって極めて大切なことに気がつけました。結果的には、今後のためになる重要な節目となります。

そして2018年夏、2年半かけて準備してきた個展が満を持して開催されます。ニューヨークで挫折したのが2012年の夏だったので、それからまる6年後だ。

当時より実力は格段に上がっているのはもちろん、アートの知識、経験も身についていたことにも個展中に気がつきました。

日本に帰ってきてがむしゃらに作品を作って、作って、作って。
クオリティを向上させて展示会に出品することで、ギャラリーオーナーさん、百貨店美術部の担当者さん、作家さんと情報共有をしてきた。

個展開催までに夢中で走ってきたので意識していませんでしたが、気がついたら実力も知識も経験も積みさなっていたんですね。

ニューヨークに行った時とは比べものにならないくらいアーティストとして成長し、2年半という修行とも言える怒涛の制作の日々を過ごしたことで“超強力な武器(ハイクオリティな技術)”を手に入れました。

個展終了後、あらためて自分の個展作品集をながめていて僕はこう思います。

「怖いものがなくなったな」


◼️日本でアートをメジャーな文化にする


個展後、大阪最大手の百貨店である阪急うめだの企画展や台湾のアートフェアに選抜作家として出品したりしました。

しかしこの頃から活動の幅をもっと広げたいと思うようになり、アート業界とは違った業界の方々に積極的にアプローチし始めました。

視野を広げたり客観的に自分の活動を観察して可能性を探るべきだと感じたからです。

自分の作品集を片手に多くの方々に出会い、コミュニケーションをとりにいく。

その中で気がついたのが日本人の大部分がアートに興味・関心がないことです。

かねてより日本人のアートへの興味の無さは各所で言われてましたが、アート界隈の外にいる人達に直接アプローチしてみてそれを実感しました。

アートを語ろうにも共通認識に溝があり過ぎて、楽しさを共有できなくて、なにか寂しさを感じました。

大好きなアートを一緒に楽しめる機会がものすごく少ないのはやはり悲しいことです。

どうやったらもっとアートに関心を抱いてもらえるだろうか。その答えはただひとつで『アートっておもしろい』と思ってもらうこと。

現状「アートってよく分からない」という人が多数で、楽しんでもらうには「分かる」を提示しなければなりません。

そして日本人が“分かる”美術は、世界で活躍する日本人トップアーティスト村上隆さんも言う「きれい」「美しい」「技術が優れている」です。

僕が目指しているところは冒頭に述べた通り「人類がおよそ辿り着けない“洗練された領域”に到達し、世界トップクラスのアーティストになる」こと。

自分の絵で提示できるのは「美しい」「技術が優れている」の2つでしょう。日本人にとって僕の絵の美術観は比較的分かりやすい。

つまり僕ができるアートへの興味付けのフローはこうです↓

①技術を洗練させて世界トップクラスになる

②影響力・発信力がつく

③日本人に分かりやすい形でアートを提供する


アーティストなら誰もが思いつくだろうけど「これができたら苦労しねーよ」的な難題ですね😅

特に③は「独自性を打ち出す」べき芸術家が、「大衆に迎合する」活動もしなければならないという矛盾が生じる。

僕は現代アートの制作で独自性を表現しつつ、YouTubeチャンネルでは美術に明るくない人でも楽しめる動画をすでに作り始めています。

これができるのも基礎的な技術があるからこそ。サクッと描いたスケッチから精魂込めて描いた圧倒的な作品まで自在に描き込み具合をコントロールできます。

基礎技術を極めることはその汎用性の高さから“繰り出せる攻め手”を豊富にしてくれるのです。

また、あまり知られていないことですがアート鑑賞は「自分で物事を考えて決断する力」が身につきます。アートに正解はないので。

一見、不必要な力ではないかと思うかもしれませんが、どんどん多様化する時代において自分独自の幸せを見つけることは最重要課題です。

豊かな人生は自分でデザインするもの、デザインできる時代なのです。そんな時代にアートは絶対に必要。

これからの時代、日本でアートをメジャーな文化にすることは僕ら芸術家のミッションのひとつですね。

✳︎


正直言えば僕の野望はただの個人的なエゴに過ぎないのかもしれないです。

しかしそれが果たされた時に多くの人の人生が豊かになるのであれば、それも意義ある活動と言えるでしょう。

芸術家は自由な活動をしている分、責任も負わなければなりません。

僕はこれからも野望に向かって自分勝手に走っていきます。

なのでその分、皆さんの人生を豊かにする楽しいプロジェクトも提供していきたいと思います!


        2021年5月24日 望月宗生

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