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【松尾修作】2023.11.12 ツールドおきなわ140km オープン 48位

コロナ禍を経て4年ぶりに「ツール・ド・おきなわ」へとチャレンジとなった。昨年も参加予定だったが、直前にコロナに罹患してDNS。挑戦の結果、中盤から遅れて48位でのフィニッシュとなったが、いま現在可能な限りは練習に臨んだリザルトなので充実感はある。下記、レースにあたって準備した内容や当日のレポートを記す。(だいぶレースから時間がたってしまった….)

レース出場にあたっての準備

今年に関しては例年比でどうしても時間が限られた中での準備となった。社会人としてフルタイムで働きながら、4月から大学院に通うことになり、週5日はキャンパスに通って授業を受けている。レポートや課題もほぼ各授業で毎回出されるため、夜や朝もかなりの時間を費やすこととなった。そして課題がだいぶ難しい…。

また、コロナ禍を経て体重が激増したことも調整の難しさに拍車をかけた。レースがあればそれなりにモチベーションをもって日々を過ごすため、最低限の増加に抑えられるものの、ここ前回大会以降は3レースほどしか参加しておらず、その間にブクブクと太った。もう34歳なので代謝も落ちており厳しいダイエットが必要となった。

とはいえ、出場を決めたからには練習量を増やし、体重も減らさなくてはならない。だが、本来は7月後半から沖縄に向けたトレーニングを始めようと思っていたものの、本格的に始めたのは8月後半からとなった。猛暑が酷すぎて、乗りすぎるとダメージが蓄積すると思われたからである。これは今思い返しても良い判断だったと思う。

左が8月で右が11月の筆者

時間がない、と言い訳したものの10月は何とか時間を捻出し、2100㎞ほど走ることはできた。目標は2500kmだったが、今できうる精一杯だった。ダイエットの結果は写真を見れば一目瞭然と思う。左が8月初旬で、右が11月1日である。なお、体重は測らない主義なので、何㎏痩せたかはわからない。毎日のベストエフォートの積み重ねが、当日のベスト体重だからだ。(体重計に乗るのが怖いだけです)。

レース当日の準備

雨のレースで気温が低くなることが分かっていたが、半袖のワンピースを選択した。特にウインドブレーカーやアームウォーマーも持参はしていない。長袖ワンピースと迷ったが、かなりの暑がりであり、熱がこもるとパフォーマンスが一気に低下することが分かっているので、少しくらい寒い格好でも大丈夫だと踏んだからである。結局、半袖でも相当汗をかいた。チームメートはレース後に低体温なっていたようだが、代謝は良いのだろうか..。

ハチミツパンに加えて、生ハム+ミニトマトのサンドを自作

補給食は会場で買ったMag Onを4つ、手作りの一口パンが計10個だった。パンはバターロールを半分に切り、中にハチミツを入れて1日寝かせたものと、生ハム&カットしたミニトマトを入れたものを5個ずつ用意した。一晩冷蔵庫で置いておくと、素材の水分がパンに浸透して、パサパサしなくなるのでおすすめだ。なお、MagOnを4つ、パンは5個ほどレース中に食べた。ボトルにはパラチノースを1本いれて水で溶かしたものを用意した。

レースプラン

140㎞のオープンに臨んだのはチームから菊川さん、日暮さん、松尾の3名だった。菊川さんはスプリントで、日暮さんは上りで抜け出して勝利を目指した。プランは松尾が考案し、内容は下記の通り。

松尾は基本的に2人のアシストとして走りながら細かい指示などを担う役回り。図の通り学校坂以降が肝になるのだが、そこまで遅れずに走れるかが最大の課題であった。

レースレポート

レースは最後尾からのスタートだった。特にアナウンスが流れることなく号砲がなったため、出だしに少々戸惑った。周りも同様で焦った参加者が前方へ上がる途中で落車するなどトラブルがあったが、巻き込まれることなく1回目の普久川の上り手前には集団の一番前まで上がることができた。

レーススタート直前

1回目の上りは17分とそこそこ速かったようだが、個人的にはそこまでキツく感じることはなくクリアできた。パワーも出ていたが疲労は強くなく、コンディションは悪くないように思えた。

2回目の上りにかけて、集団は常にスローペースで、マークすべき選手も集団内にとどまっている。ここでは全く脚を使う必要性がないので、用意した固形の補給食を2つほど口へ運び、パラチノース水で流し込んでおいた。長い距離のレースだと固形の補給食は大事だ。後半に必ず効いてくるだろう。パラチノースも超重要。

上りに差し掛かると、トライクルのメンバーが列を成して先頭に上がるのが見えた。傍からも統率が取れて意思疎通ができていることが良くわかる。素晴らしい。RXも菊川さん、日暮さんは呼べば応える位置にはいるので悪くないポジション取りで上りに入っていった。

好調に感じた1本目とは異なり、かなりペースが速いように感じた。菊川さん的には2本目の方が遅かったらしいが、単純に気が付かないうちに疲労が溜まっていたからだろうか。今となってはレース強度の経験が今年に入って不足していたことが原因に思える。補給所の上り返しで息も絶え絶えクリアして、集団の再後方で下りへと入り、レースは折り返しを迎えた。

少し前を見ると菊川さんがいて少々心配になった。もう少し前に位置取って学校坂に入らなければならないからだ。とはいえ、70km/hほどスピードが出てるウェットな下りなので、無理もできず、少々不利な体勢で学校坂へと突入した。しかし、心配は杞憂に終わり、菊川さんはスルスルと前方に上がるのが見えた。一方、松尾はダムの上りでかなり脚を使っており、学校坂中ほどで集団から脱落。登り切った時点では集団から目視50mほどの位置でクリアとなった。

その後のアップダウン区間では集団が横に広がっているのが見えた。どうやらペースは上がっていないらしい。ここから数人でローテーションで追おうかとペースアップを図ったが、いずれも上りで千切れているメンバーなので脚が残っていない。結果的に自分と脚が揃っていた高校生と2名で前を追うことになった。しかし、前から降ってきた選手が加わったり脱落したりしながら懸命に走ったが、とうとうメイン集団をキャッチすることはできず終いであった。

羽地の上り入口まで到着すると、YouTubeの企画で共に行動していた森君(イナーメ)に追いつかれたが、上り終盤で振りきると同時に、追い抜かれた速い同カテの集団にジョイン。最終盤のアップダウンをスピーディにこなすことに成功。一方、名護市街に向かっての下りは高速で曲がりながらのグレーチングクリアも求められ、非常にリスキーだったので無理はせずに終え、そのままの流れでフィニッシュとなった。

内容的にはチームメートの役に立つこともなく、ただ走り切っただけのリザルトではあったが、今自分ができるだけの練習を行っての結果だったので満足はしている。成長の難しさと楽しさを極限まで味わえたレースであった。毎年のように言っているが、ツール・ド・おきなわはレース当日だけではなく、準備期間も全て含めて“おきなわ”なのだ。社会人が“おきなわ”を目指す理由はここにあると思う。もちろん、来年もその時のベストな状態で臨めるように尽力したい。

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