大事に、大事に。

8月あたりから少しずつ自分の中に異変を感じていたので、よく眠れないのも相まって久しぶりに精神科の門を叩いた。

2年ぶりに門をくぐり、そして2年ぶりの待合室。
相変わらず斜め向かい普通の談笑やら、誰かの遠い目、ドアの向こうからは女性が泣き叫ぶ声が響いていた。

2年前までは「鬼」みたいな名前の先生が担当してくれていたが、今回からはどうやら違う先生が担当に変わる様だ。

まぁまぁ仏そうな新しい担当医のおじいさんは、仏様らしくとても優しく「どうなされましたか?」と聞いてきて下さった。
仏様に敬語を使わせてしまった事も相まってか、久しぶりの環境シチュエーションだからか何かは置いといて、とりあえず僕は始めは相当ドギマギしていた。

ドギマギしながらあれやれこれやら話をし、果ては霊の話なんぞをすると「あ、ありますよね〜、そんなの」と仏様が霊の話に対して相槌をついて下さった。

今の自分の状態は伏せさせて頂きたいが、一番言い得て妙なのは「毒の沼に沈み込みそうな所に浮き輪を投げていただいた」状態に極めて近いのかもしれない。

「沼」とは最近流行りながらよく言ったものだと思う。

「あれも違う、これも違う」と色々やっていき、周りとコンタクトを丁寧に取らないまま主観だけで行動すると、ともすればとても素晴らしい個性や技術が生み出されたりもするもんだが、場合によっては大袈裟でなく人一人が人間として機能しなくなる場合もある。

しかもそういう意味の沼にハマってしまっている人はかなりの割合で「自分といたら人に迷惑をかけるし、迷惑がられるにちがいない」と思い込み、人を避けることを始めがちだ。

そういう話も仏様のような新・主治医と話をし、仏はほぼ穏やかに、時に神妙な、とても丁寧な相槌をくれた。

話を終え、席を立つ前に「いつもこれくらい丁寧に人と接しているんですか?」と聞く僕に、仏様は笑って「きっと、天職なんでしょうね」と答えた笑顔を見て僕は診断室を発ち、会計を待った。

仏の診断で請求された金額は「14000円」。想像していた倍以上だった。

仏の顔を思い出しつつ、綺麗な青空の13時過ぎの病院の前で「よーしやるか」と14000円の領収書を財布にしまって自転車を漕ぎ出した。

何がどうあろうと、終わらない限り人生は続くのだなぁと、当たり前のことを改めて思う。

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