快晴の午後の精神病院のこと

お世話になっている精神病院に行ってきた。

「いや、苗字の段階で患者を威圧してるやん」という苗字の仁王先生に近況報告。
自分との距離の取り方や、心身の効率の良い休め方を覚えてきたこと、そしてここ2ヶ月ほどは躁状態に入りかける3歩ほど手前でしっかりと自分を抑えられているといった話をしたら、先生は
「あ、現状はもう割と大丈夫っすね」
といつも通り名前と真逆の軽さで言ってくれた。
「寛解(躁鬱状態でない事)ですか?」
と聞くと
「うーん、なんとも言えないけど割とそうと思いますよ。」
と言ってくれた。そしてすごく泣きそうになった。

病院から出て見た日差しはとても眩しくて、何故かおもむろに「僕も知らない人にとっては街の景色の一つなんだろうなー」と思いつつ、随分と種類の少なくなった処方箋を薬局に渡して薬を貰った。

4年前、街の精神科から30秒で匙を投げられて流れ着いたあの病院に行くことはあと何度あるんだろうか。
先生に会うのは割と好きだったが、願わくば次回で最後になればいいなと思いつつアクセルを踏んで、病院はバックミラーから姿を消した。

診断、カウンセリングによる自己診断にもよると僕は2〜3歳から躁鬱を持っていたらしいので、安易に「わー治ったー!」と両手ばなしで喜べる事がではないのも知っているが、この4年間でたくさん失ってかわりに幾つか絶対に生きていく上で大切な事を理解し、手に入れた。

多分この先、そこそこの事が起こっても多分僕は大丈夫だ。
そして周りにたくさん迷惑をかけ、たくさんの人が意識的に無意識に直接的に間接的に助けてくれた。

そのたくさんの顔は忘れようとしても忘れられるものじゃない。

「いつか、いつか」と思っていた「いつか」は今のかもしれない。

僕には大切な家族、心からそう思える仲間、まだまだ少ないけど応援してくれる人達がいる。

今はそれで充分だ。

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