木星とミミズク

僕は躁鬱病だ。

とは言っても、この3月からは躁に入りかけているのに気づいて、躁の3歩手前あたりで食い止める事に必死でいたら、気がつけば割とコントロール出来る様になっているような気がするので、「割とテンション高め」を都合よく享受させていただいてる状態だ。

躁に入った時の感覚は、とても好きな人と両思いになれた時の高揚感とよく似ている。
それは例えるなら飛行機からどこかの街を見下ろしている様な感覚に近くもあるし、何なら「自分は何でも出来る」と錯覚してその飛行機から飛び出してしまいそうな感覚に近いかもしれない。

でもそれは雲の上のガラスで出来た床を歩いている様なもので、ガラスが割れた瞬間に地面まで真っ逆さま。
叩きつけられた後には長い長い鬱状態が待っている。

それを痛いほどというか、その痛みを体が覚えているのか何かは分からないが、そのガラスに乗っかる事をこの2か月はギリギリながら回避出来ているので、いつでも躁状態の楽しい所だけをやんわりと受け取って生活していられている。

躁鬱病に関わらず、同じ様な問題を抱えている人にはどうか希望や愛情に対して、わずかでもいいから半歩だけでも距離を取って頂きたい。
半歩なり一歩なり希望愛情に対して距離を取ったところで、その熱意は冷めるわけではないし逆に少し離れてみた分、より良い所が見つかる事もある事を知った。

例えばとあるお店のハンバーグが好きで「このハンバーグ美味しい!」だけに向き合うのか、少し俯瞰すると「誰が作っている、どこの肉を使っている、どんな焼き方でどんな付け合わせがあるのか」といった情報が入ってくると、よりそのハンバーグが好きになるきっかけになるという感じ。

あくまで僕はこのアプローチの仕方でたまたま今がうまく回っているだけなのかもしれないけど、もし参考になればと思って書きました。

今日はレコーディングをしてきました。
誰かを想って希望というガラスに乗って、そのガラスが割れた後の曲も録りました。
追伸がてらに貼っておきます。


木星とミミズク

暗い暗い 海辺の24時の駐車場
「きれい綺麗」星空仰いでいた横顔

暗い暗い 帳の外でミミズクは鳴く
遠い遠い ガリレオが見つけた星みたく

天井は記憶のスライドショー 面影だけが残って
無くしたのか、見つからないのかあの日の続き、探してる

太陽みたいになれなかった
大事な手を離してしまった
宇宙の秘密も知りたいけど
あの子の笑わせ方を知りたいんだ

暗い暗い ゴミ捨て場 忘れられたギター
あなたは綺麗に磨き私にくれた
心が呼吸を取り戻した

太陽みたいになりたかった
あなたを笑わせていたかった
宇宙の秘密は知らなくていい、
また、いつかの笑顔に触れる旅に


『ここからは君が見えてるよ ちゃんと声も聞こえているよ
届けたい言葉があるんだろう?大丈夫、勇気をあげる』

木星が見た、ミミズクの唄
彼女は少しだけうなずいた
また望むなら 始まりは今

「行こう 行こう」日が昇る前に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?