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【エクスタシー♡】

エクスタシーと聞いて、あなたはどんな感覚を思い描くだろう?もちろん、危ない「薬」の話ではない。

日本語にすると、「忘我」とか「恍惚」となる。Wikipediaによると「快楽が最高潮に達して無我夢中になること。忘我。」とある。また、「宗教的体験における神秘的な心境。」ともあった。

あなたはどんなエクスタシーを感じたことがあるだろうか?

例えば、子どもの頃、無我夢中になって遊んでいた時、エクスタシーを感じていたかもしれないし、大人になって恋愛をして、愛する人と一緒にいる時に感じていたかもしれない。エクスタシーもいろいろあると思う。

中でも、「これがエクスタシーか。」とはっきり、私の記憶に残っているのは、バイタルダンスのワークショップの中で体験したエクスタシーだ。

バイタルダンスとは、アルゼンチン出身のPatricia Martelloが教えている振り付けの無いダンスで、宇宙の共通言語である「音楽」を全身で感じて、感覚に任せて身体を自由に動かし、自分を解放してゆくプロセスだ。私は、バイタルダンスの認定ファシリテーターでもある。

Patricia はワークショップの中で、「これは、素晴らしいecstasy(エクスタシー)です!」というように、何回も「ecstasy」を使って説明していた。
そんなに何度も強調するエクスタシーとは、どんな感覚なのか?話しを聞きながら、自分の中でイメージを膨らませてみるが、単なる氣持ち良さとはどうも違っているように感じた。

何度もバイタルダンスのワークショップを受けて、体験を重ねてゆくと、身体の感覚がどんどん開花して行くのがわかる。今まで自分の奥底に閉じ込めていた感覚が、少しずつ引き出されきて、より繊細に、より大胆に感じられるようになっていく。

まるで、固い大地の土の塊が耕されて、新鮮な空氣やピカピカの太陽の光が内側に取り込まれ、土の粒子が細かくなって、柔らかい豊かな土壌になっていくように、自分の感覚が柔らかくなって、感じるセンサーの触手か縦横無尽に伸びて自然の中に溶け込んでいく。五感が磨かれ、直感も育まれてゆき、眠っていた身体の細胞が、隅々まで目覚めていくようだった。そんな体験を重ねてゆくと、私たちの与えられた身体の感覚はどこまでも開拓される無限の可能性を持っているのだと思えるのだ。本当にすごい!

そんなある日のこと、ワークショップの最中ににエクスタシーがやって来た。Patricia のリードするクラスで、美しい音楽を感じながら、ゆっくりと身体を動かすエクササイズだった。

両腕を翼のように広げて、ゆっくり、ゆっくり、前に進むような動きだったと思うが、だんだんハートの辺りがフルフルと震え、熱いものが込み上げてきて、自然と涙が溢れてきたのだ。「私、何で泣いているの?」と思いながらも、涙は止まらずあとからあとから溢れてくる…。ちょうどその時、目の前に友だちの姿を見つけたので、思わず彼女に抱きついて嗚咽していた。彼女は、そのまま私を受けとめて、優しく抱きしめてくれた。しばらくその状態が続き、音楽が鳴り止んでエクササイズが終わったが、その後もボォーッとして放心状態でだった。

とても不思議な感覚だったので、言葉で表現するのは難しいが…あの時、自分の感覚(ハート?)が大きく膨らんで身体の枠から飛び出して、会場の空間いっぱいに広がっていて、全てが受け入れられたような安心感と、満たされている充足感と、全てとの一体感があったように思う。至福であったと言えば、そうだったかもしれないが、単に幸せだったとか、感動したとか、氣持ちがよかったと言うのとは、少し格が違っていたように思う。もしかしたら、いわゆる「ワンネス」すべては自分、あなたは私、私はあなたを感覚で理解した瞬間だったのかもしれない。そして、これが、Patricia の言っていた、「素晴らしいecstasy」の感覚だったのだと思っている。

全ては自分。「ワンネス」の感覚が、エクスタシーだったという私の体験だ。

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