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【MADE IN JAPAN が無くなる日♡】

お店に入って、置いてある洋服やら、雑貨などのタグやラベルを片っ端からチェックすると、ほぼほぼ「MADE IN CHINA」だ。たまに「MADE IN VIETNAM」や「MADE IN TAIWAN」を見かけるが、ほとんどが中国製のモノばかり…。
いつからこんなにたくさんの中国製のモノに囲まれるようになったのか?

30年位前は、世の中に「MADE IN JAPN 」が溢れていた。人から海外旅行のお土産を頂いてタグを見ると「MADE IN JAPAN」と印刷されていて、「あれ?日本製だったね。」と笑うこともしばしばあった。手先が器用で仕事が丁寧な日本人が作った日本製のモノは、品質が良く、丈夫で長く使えるので、世界中の人から信頼され、愛されていた。

また、海外旅行でアメリカやインドなどの片田舎へ行くと、日本製のトラックやバスなどが普通に走り、ちょっと昔に日本で使っていたお下がりの地下鉄の車両が、まだ現役で活躍していたり、街中の時計の文字盤には「SEIKO」の文字があったり…と、たくさんの日本製のモノたちが、海外のあちらこちらで使われているのを発見して、とても誇らしく感じたものだった。

なのに、今や日本に住んでいる私たちが、普段、お店の中で日本製のモノを見つけるのが困難な程、中国製のモノが溢れているのが、なんだかとても悲しい。

ひと昔前の中国製のモノと比べれば、随分とその品質は向上したとは言え、値段が安いからというのもあるかもしれないが、世界に誇った日本製の品質には及ばない。長く使おうとしても、すぐに色褪せ、カタチが崩れてしまい、全体的に煤けた感じとなり早々にゴミ箱行きとなってしまう。

モノには、作り手の精神や想いが宿ると思う。日本人の職人は昔から、道具にこだわり、大切にしてきた。例えば、針供養などをするのは、道具にも命が宿っていると言う感覚があり、道具を単なるモノとして扱うのではなく、一緒に何かを創り上げていく、掛け替えの無い相棒、同僚として扱った。そんな精神性のある人たちが作ったものと、とても低い賃金で雇われた、一体感の無い人たちが作ったものとでは、自ずと全く違うものが生まれてくるのではないかと思う。

が、残念なことに、多くの日本の製造業者は効率や利潤ばかりを求め、人件費の安い中国へ製造拠点を移してしまった。そこに高い精神性は無い。

結果、私たち日本人でさえ、日本製のモノではなく、効率と利益ばかり求めて海外で製造された外国製のモノを消費する日常となってしまった。

「お金」では買えない大切なものがあることを知っていた私たち日本人は、西洋の影響を受けて、いつしか「お金」に目が眩んでしまったようだ。

確かに「お金」にはとてもパワーがあり、魅力的だ。だが、そればかりを求めた先に、私たちが求めている充足感はあるのか?幸福感はあるのか?

最近は、なるべく数少ない日本製のモノを選んで買うようになった。私たちが持っている高い精神性の宿ったモノを次の世代へと繋ぎたいし、応援したいと思うからだ。

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