見出し画像

【忘年会♡】

12月も後半ば過ぎると、忘年会の季節だ。今日は、武田邦彦先生のオンラインサロン『幸せな砂時計』の忘年会パーティーだった。総勢50人以上は居たと思うが、渋谷のお洒落なお店のフロアを貸し切って、ブュッフェスタイルのパーティーだった。主催者の方がいろいろ趣向を凝らしてくださり、お店のBGMは武田先生セレクトで、昭和のムード歌謡だったり、クラシック音楽だったり、民謡なのか三味線の調べだったり…およそお洒落な渋谷のお店の雰囲氣にはそぐわないものだったが、先生らしさが出ていて、それはそれで良かった。

パーティーは、30分ほど武田先生から、『幸せ砂時計』のメインテーマである「幸せ四階建て理論」の総括のお話から始まる。
幸せの構造には段階があって、一階から順に四階まである、いうのが武田先生の幸せの構造論だ。お察しの通り、上の階に行く程、幸せとは何かの基準のレベルが上がってゆく。四階ともなると、お釈迦様やイエス様レベルの幸せとなるらしい。あえて言葉で表現すると、「どんな状況であっても幸せを感じられる」レベルになる。

武田先生から何回お話しをうかがっても、毎回奥の深い内容なので、頭の理解が追いつかず、実践もままならない。いまだに玄関口か、一階の辺りをウロウロしている状態だ。良くて、行けるのは二階まで。何とか覗けるのは三階まで。四階は、全く未知の世界となる。

今日の武田先生のお話しも三階までで、「今、四階のお話しをしても、なぜそれが幸せなのかご理解出来ないでしょうから、まぁ、一年か一年半後辺りにお話ししましょう。」とお預けとなる。

最初の30分間の武田節に何となく酔いしれた後、皆で乾杯をして、お料理を摘みながら、各テーブルで歓談が始まった。初めましての人たちとご挨拶がてら、『幸せ砂時計』に入ったきっかけなどを聞いてみると、大抵、やしきたかじんの「そこまで言って委員会」や、さんまさんの「ホンマでっかTV」で、武田先生のことを知り、それ以来追っかけのようになって参加している人が多い。きっかけは、TV番組だったが、TVや新聞などのオールドメディアの偏向報道に疑問を感じて、YouTubeの動画や、「虎ノ門ニュース』を観ていたのも共通点だった。

いわゆる”風邪騒動”から始まる、ワクチンやマスク狂想曲が蔓延る世の中に疑問を呈し、戦後77年経っても未だ戦後レジームから脱却出来ない日本のこれからをどうするか?や、私たちの幸せとは何なのか?それがこのサロンの仲間内での大きな興味関心となっている。

パーティーの後半では、武田先生からのクリスマスプレゼントをじゃんけんで争奪するゲームなどで盛り上がり、参加者全員へのプレゼントでは、武田先生の秘蔵の動画が公開された。
動画の中身は、先生の参議院選挙期間中の奮闘ぶりを記録した数々の写真がBGMにのせて上手に編集されたものだ。御歳79歳にも関わらず、あの暑い暑い夏の真っ只中、日本中を縦横無尽に駆け巡って、辻立ちをされた様子や、行く先々で多くの人たちと笑顔で握手を交わされている様子であったり、その舞台裏では、隙間の時間に横になって体力温存に努めたり、移動の新幹線の中では泥のように眠っている姿などが映し出されていた。昨年末には死にそうな病氣なって一カ月以上入院していた人とは思えない、驚くべき回復力と行動力だ。何に突き動かされて、そこまでやっていらっしゃるのか。

先生曰く、「私の一番の幸せは一兵卒でいることです。一兵卒は、上官にあの丘を取れ!と言われれば、銃を持って敵に突っ込んで行きます。上手く行って当たり前、失敗したら生命を落とすことになります。上手く行っても位が上がる訳ではない。それがいいんです。何も見返りを求めずにやるから幸せなんです。妻や子どもたちを守れればそれでいい。」とスパッとおっしゃる。これが、先生の言う、幸せの三階建ての幸せとなる。

先生のお話で、一番印象に残ったのは、
「昔、親父に『邦(くに)、生きているうち評価される人間になってはダメだ。死んで30年後位に皆に評価されるような人間にになりなさい。』とよく言われたが、この親父の言葉の影響は大きい。」と言うお話だった。

自分の地位や名誉ためなど近視眼的な見返りを求めずに、人の為に尽くしなさいと言うことだろうか。何か私の心にも深く響いたお話だった。

武田先生のバックショット♡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?