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「予定空白恐怖症からの転換」|人生百貨店の裏側で。

少し難しめの本を読む直前や、流しに置かれた大量の食器皿を洗うときって、腕まくりをして、よしやるぞと思うことがある。

その一方で、最近眠くなるのが早くなり、いつのまにか寝る時間が1年前より30分から1時間近く前倒しになったりすることは、意図して変わったことではなく、自然に変わっていたことではないだろうか。


先日の個人ラジオ #人生百貨店 で、まちの保育園 きちじょうじ コミュニティコーディネーターの稲葉 匠さんから、冒頭の内容に近しいことをお聞きした。


ぼく自身も、22歳・23歳の社会人(東京)時代は、
土日祝の手帳に予定がないのが嫌だった。まさに予定空白恐怖症

定期的にリアルで会うことで、いろんな人と関係性を継続させていこうと当時は思っていたものの、同じ日の夕方や夜に会う人の前で自分は、少なくとも心の中ではヘトヘトになっていたと思う。今考えれば、人と会うことでしか自分を満足させられなかったのかもしれないし、自分で自分を満たす術が少なかった気がする。

匠さんの場合は、「あ、もう無理だ…!」という体からのSOSで、副業をストップされたとのことだったが、ぼくの場合は、東京から島根に移住して、多くの友人がいる東京や静岡に気軽に行けなくなって(行くとしたら往復2最低でも2万はかかる)、島根でも隣町にいくのでも1時間くらいかかる(ガソリン代がバカにならない)という、物理的・金銭的な要因がきっかけで、予定空白恐怖症が少しずつ改善されていった。


最初は、家の中に閉じこもってばかりだったが、暖かくなり始めて外に出ても寒くない時期になってからは、自然の中での時間が増えた。すると、海辺で本を読んだり、近所の人とコーヒーを飲むのってみんな出来るわけではないから、予定が空白ならそれなりに日常の楽しみ方ってあるんだなと思えるようになった。そこらへんから、生きやすくなった気がする。

(島根にいたときにスタートした #ビュー会 は、裾野にUターンしてからも定期的にやってます)


今は、予定空白恐怖症はほとんどなくなり、その代わり、何も予定を入れていなかったからこそ、ただぐーたらと過ごしてしまった罪悪感、時間の勿体なさを痛感することが多くなった。(ムダを経験したから、ムダだった…とか、もうこうなりたくないと思えるからそれはそれでプラスに捉える)

そういった罪悪感や時間の勿体なさを積み重ねるのが怖いから、土日も朝早起きをして、勉強をしたり、自炊や掃除をしたりと、有限の時間を有効に使おうと意識している。匠さんの「仕事のない土日の朝に早く起きて(家を出なくてもいいけど)家を出たのってすごくない?」って話と同じ感覚。


文章の締めが分からなくなってきたのですが、匠さんの回の裏側で感じたのはこんなところです。それでは、次回の裏話もお楽しみに。


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