いまこの一瞬の深い喜び【自然法爾という生き方】
君はいま、宇治平等院鳳凰堂にたたずんでいる。
天皇が、天下万民が平等でありますようにと、願いを込めてつくられた平等院鳳凰堂。
ここへ来たのは、身内同士の醜い争いがあったから。
時は平安の末期、貴族同士がお互いに相乱れ争いあって、本当に平和な世が来るのか。何をもって陛下がこの平等院鳳凰堂をお建てになったのか。
君は今、この鳳凰堂に立っている。
どんな願いで、建てられたのか。
人はともすれば、最初の願いを忘れてしまう。
心をどこに置けば、清らかな世の中が続くのか。
鳳凰堂に向かって手を合わせておりますと、一陣の風が吹きます。
この風が、嫌な世の中を吹き流してもらいたい。
そんな思いで、手を合わせております。
すると、瞼を閉じているのに、矢の刺さった鴨が心の中に浮かびました。
人々は口々にそう叫んでおります。
ちょうど湖の真ん中でもがき苦しんでおりましたので、誰一人助けようとはいたしませんでした。
そのうち、一人の若武者が湖に飛び込んで、鴨を救い上げました。
岸辺に連れていきますと、はよう傷の手当てを!と若武者は言います。
あなたは驚き、鴨に近づいて傷の手当てをいたしました。
そこでハタと気がつきました。
目を閉じておりましたが、
目の前には美しき千手観音がお立ちになり、
と、言われます。
と、尋ねますと、
このように啓示がございました。
早速家に帰りますと、家には老婆が一人おり、足が痛いと嘆いておりましたので、足を揉んで差しあげました。
すると身体の痛みは心の痛み。
心まで和らいできて、人当たりが柔らかくなり、嫌な言葉を口にすることが減ってまいりました。
それから少しずつ、貴族の争いも減っていったのであります。
歴史の大きなうねりというものがありますが、それが実は、取るに足らないほんの些細な出来事からはじまる。
水の一滴がやがては大河の流れとなりましょう。
今から自然法爾(じねんほうに)という、動きと生き方がはじまります。
自然法爾とは、躍動する力が今この一瞬に深い喜びを感じたとき、自然に動きとなって出る力。
自然(じねん)とは、生かし生かされる大自然。
法爾の法とは、水の流れのごとくという意味で、
爾というものは、それに従うという意味であります。
今まで閉ざされていたものが開けます。
氷のように固まっていたものが溶け始めるでしょう。
君の中で、今こそ、この自然法爾の生き方がはじまります。
君の中の、自然の法爾を祝福いたします。
自分であって自分でないもの
この自分であってこの自分を動かす
はるかに大きな自分
この大きな
この大きなうねりがはじまるのです。
ヒノミコノ
アヤカシコネノ
キノモトノ
ミナモトヒラク
イワトビラキカナ
魂の真言
オンアミリタテイゼイカラウン
END
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