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永遠の不良少年

作家瀬戸内寂聴さんの訃報が飛び込んできた。人物エッセイとして俳優だった故萩原健一さん(2019年3月死去)との思い出を書こうと思っていたので、巡りあわせの妙に少々驚いた。というのは、ショーケンこと萩原さんが寂聴さんのことを「おふくろ」と呼ぶような交友があったことを知っていたからだ。寂聴さんは「永遠の不良少年」のようなショーケンについて「かわいいの。何かほっとけないのよね、才能を信じているから」と私のインタビューで答えていた。


 私は2021年3月まで、朝日新聞社で記者、編集者を続けてきた。新聞記者と雑誌の記者、編集者の両方のキャリアを持っている。振り返ると、たくさんの人に会って、大切な話をたくさん聴いて、様々なお気持ちを受け取って、記事や物語に著してきた。
 ショーケンの再生への物語を朝日新聞の別刷り土曜beの紙面で書いたのは2009年だった。「うたの旅人」という欄で取り上げた。取材依頼するため、まず手紙を書いた。
 ――記者が愛着を持った「うた」をもとに、「うた」にまつわる場所や人をたずねて回るのです。「大阪で生れた女」を取り上げたく、ぜひインタビューさせていただきたいーー
 幸い、快諾を得て、すぐに会い、直接口説いて意図を説明した。ショーケンは一気に胸襟を開いてくれた。


50歳代半ばを過ぎたころから、記者の仕事は書くことより人の話を聴くこと、と思うようになっていた。そのころから、インタビューの際に、何かのタイミングで、取材対象者の心の隙間に入りこめたと感じるタイミングを経験することが増えていた。相手が思いがけない表情を浮かべたり、それまで口にしたことがないような言葉をもらし、感情を見せる。
ショーケンとの初対面の時間もそうだった。酒やドラッグに溺れていたこと、このまま調子に乗って生きていたら死んでしまうかもしれない、など尋ねていないことまでしゃべりだす。頼んでいないのに、ショーケンが「大阪で生れた女」を唄い始めた。湧き上がる感情を抑えきれずに泣きながらしゃがれ声でシャウトする。私も涙でメモがとれなくなった。


 永遠の不良少年は、仕事や私生活で何度もトラブルを起こし、警察沙汰にもなった。それでも彼を見捨てなかった人たちを訪ねて回った。寂聴さんもそのひとりだった。ファッションデザイナーの菊池武夫さんもそうだった。ショーケンが主演し、70年代に一世を風靡したテレビドラマ「傷だらけの天使」で衣装を担当して以来の付き合いだ。菊池さん主催のミニパーティーに私も招待され、ショーケンと立ち話をしていたときのこと。見出しに使えそうないい台詞を連発するのでメモを取りたいなと思ったら、それを見透かされショーケンに肩を抱かれ、耳元でささやかれた。「ハルヤマサン、何を書いてもいいよ。全部任せますから」。この時、ショーケンと会ったのはまだ2回目だったが、後日菊池さんにインタビューした際に言われた。「ショーケンとは長い付き合いなんですか。親友みたいでしたよ」。


 危なっかしいショーケンを最後まで見捨てなかった寂聴さん、菊池さん、ロック歌手内田裕也さん(故人)らに共通した思いは「ショーケンに自分が裏切られたわけではないし、ショーケンを信じているから」だった。
 私を含め、ショーケンの再起を待つ人たちの心根を本人に伝えたときの言葉も忘れない。
「本当の友達は、黙って、じっと、俺が立ち上がるのを待っててくれる。俺以上につらいはずさ」
 これまでの記者生活で垣間見た、鮮烈でいながら静謐なドラマを思い起こして書き残そうと決めた。タイトルは「人間巡礼」としよう。

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