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みんなのちょっとしたオーバーリアクションが火種を大火に変える

株式会社アトラエでマーケティングを担当している松廣です、これまでの社員ブログがnoteに引っ越すということで、今後はこちらで書いていきます。

初回はコンパクトな内容で、
超単純だけど、意外とできていない"聞き手(受け手)の振る舞い方"について書きます。組織内で何か事(コト)を起こしたり、自分から主体的に人を巻き込んで仕事をするなどの機会が多い人は、自然とやってたりする事かと思いますが、気を抜くと意外と意識できていないこともあるので、改めて書いてみようと思いました。

やってる人は自然とやってるオーバーリアクション

組織にいると誰もが、聞き手(受け手)になることがあります。聞き手とは、単に誰かの話を聞くというのもそうだし、複数人のミーティングで1メンバーとして参加するのもそうだし、誰かの発表を聞くのもそうだし、Slackなど社内のコミュニケーションツールで誰かからの発信を受け取るのもそう。で、この聞き手としての振る舞いが人によって全然違うのです。

具体的には、例えば複数人が参加するオンラインミーティングがあったとします。ミーティングをセッティングした人が話をしている時に、画面OFF & ミュート設定で、聞いているかどうかも分からない人もいます。勿論、理由があってそうしていることもあると思うので、一概に悪いことではありませんが、参加者の多数が画面OFF & ミュート状態でのミーティングが、ものすごく盛り上がるともちょっと思えません。

また、ちゃんと聞いているんだけど、特にリアクションなく字の如く真面目に聞いているだけの人もいます。聞いて理解することに徹しようとしているのかもしれません。これも別に悪いことではない。

ただ、その一方で、かなり意識的にリアクションしている人もいます。例えば、話し手が話す合間合間に相槌を打ったり、「なるほど〜」とリアクションをしたり、タイミングで自分の意見や感想を伝えてくれる人などがそうです。想像に易いですが、こういう人が多いミーティングはやっぱり盛り上がるし、発信者が思っても見なかったユニークなアイデアが出たりするものです。要は良い空気づくりは、発信者側だけではなく、受け手のリアクションに依存しているということ。例として取り上げやすかったので、今回はミーティング内の振る舞いを中心に記載しましたが、先述のとおり、様々な場において当てはまることです。

聞き手(受け手)としての自覚と責任を持つべし

ここまで読んで、「何だそんなことかよ」って思うかもしれませんが、組織内を見渡してみると意外と出来ていないものです。

そして、面白いのが、出来ていない人も悪気があってやっていないわけではないことがほとんどであるということ。事実として、ミーティングの場を大事な場として捉え、話をちゃんと理解しようとしている人は多いです。

個人的に、この差分は「発信者側としての経験、機会の数」が分つものだと思っています。発信者側に立つと、散々準備してきたけど思ったよりも盛り上がらなかったミーティングの経験、ある特定人物がいることで途端に盛り上がるミーティングの経験、自分が話している時に感じる様々な感情と向き合わなければならない瞬間など、考えさせられる機会が圧倒的に多いと感じています。

もちろん、発信者側として、ファシリテート能力を磨き続けることや事前準備も超重要です。このメンバーでどういう情報を伝えれば、誰がどんな反応をしそうか、必要に応じて事前にある程度情報共有をしておくべきかなど、その場を良い場にするための努力は怠るべきではありません。

一方で、あえてミーティングという場を設定されている背景を理解し、聞き手としての役割を理解し、その責任を負うことも、発信者側の意識と同等以上に重要です。どうすればこの話は盛り上がるだろうか、どうすれば話し手に余計なストレスがかからないだろうか、自分が持っている観点で伝えられることはないだろうか、ちょっと議題とはズレるかもしれないが、今こういう情報をこの場で伝えておくと視点の補完ができるのではないか?そういった思考を巡らせ、発信してみるなど、聞き手としてできることは、実はめちゃくちゃあるのです。

そんなに気負う必要はない

聞き手としての振る舞いについて色々書きましたが、そんなに気負う必要はなく、ちゃんと相手の立場を想像して、関わる全員が普段よりちょっとだけやれることを増やしてみるくらいで良いと思っています。

ミーティングでいつもよりもちょっとだけ大きく頷いてみるとか、誰かの発信に対して1日に1つだけは反応してみるなど、そういった小さなことが、ゆくゆくは大きな影響を生むはず。

小さいと言えど、行動を変えるということは、自分からしたら思ったよりも恥ずかしかったり、難しいと感じたりするものです。ただ、その全員の小さな変化が、誰かが作った火種を大きくし、小さな変化が重なりあって良い変化をもたらすものだと思います。そしてこれは、組織が人の集まりであり、ある種の生き物であるが故の面白さであるとも思います。

誰にでも創造性を発揮できるポテンシャルがある

最後に、僕の仕事人生のバイブルの1つである"ピクサー流 創造するちから"から、ある一節を引用して終わりにします。

私が思うマネジャーとしての自分の仕事は、豊かな環境をつくり、それを健全に維持し、それを妨げるものに目を光らせることだ。誰にでも創造性を発揮できるポテンシャルがあり、それがどのようなかたちであれ花開くのを後押しすることは心底尊いことだと思う。

ピクサー流 創造するちから

本書では「マネージャーの仕事」という文脈で書かれていますが、組織としてパフォーマンスを最大化するためには、組織の一員であるメンバーひとりひとり、つまり全員がこの「自分の役割が何であるか?」という観点を持つべきだと思います。

組織というものには、自分ひとりでは到底つくりあげられないようなモノをつくったり、達成できないような目標を達成できる力があります。そのためには、全員が全員の可能性を信じ、その可能性を最大化できるような振る舞いを心がけるべきです。

今回の受け手としての行動も、まさにその一つではないでしょうか。個人的には、このような視点を持ち続け、日々の所作を変え続ける事こそが、組織人としての一つの教養であるとさえ思います。


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